同調圧力の功罪  - 遺伝子伝承の本能行動か | プロムナード

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新型コロナ、当分の間収束する気配は見えないし、恐らくしないだろう。最近は言われなくなった「ウイズ・コロナ」は、まだずっと先のことだ。

ウイルスを完全に排除するには、経済活動などを一切捨てて、ウイルスが不活化するまでの2週間ほど、一人残らず一歩も家から出なければいい。もちろん交通機関もすべて停止する。人間が活動を停止するということ。そうすれば、行き場をなくしたウイルスは消滅する。実に簡単だ。

しかしそれが出来ないから、どこで妥協するか、それがはっきりしないために事態はややこしいことになる。しかし、そのどこかに閾値はある。つまり、ここまでは動いていいが、それ以上動いてはいけないというライン引きがあるはずだ。ウイルス感染拡大は自然現象なのだから数理科学で予測可能だし、一定の値となるか発散するか収束するか、或いは発振し続けるか、そのどれかとなる。どれになるかは閾値への対応次第だ。

 

 


新型コロナウイルスとは、もう一年以上付き合っているのだから、専門家はその閾値を大体理解しているのだろうし、それは政治の中枢を担うトップには伝えてある様に思う。しかしながら、その閾値については厳密に緘口されている様だ。それはなぜか。

スピード違反というのは、時速xxを超えると、それを違反として罰則が与えらえれる。これが閾値だ。この値は厳密に規定されているが、例えば高速道路の上限は時速100kmであるものの、実際には車の流れがスムーズであるならばということで、若干のスピード超過は「見ていなかった」ことにされている。だから、運転者は、「これくらいまでだったらいいか」といった具合に、制限速度を超えていることを承知の上で、つまり刑罰を受ける可能性があることを知っている上で、アクセルを踏んでみる。閾値は厳密に定義されているが、実際にはグレイゾーンが存在する。

これと同じことが生じることを懸念して、新型コロナの専門家は閾値をはっきりと言わないのだろう。だから閾値に対する様々な憶測が生じ、グレイゾーンの幅も厚くなる。つまり、「わかっているが、この程度だったら許されるのでは」という心理が発生する。様々な鬱陶しい社会的規制の中で生活しているからこそ、余計にそういう心理が発生するのだ。

その結果として同調圧力も出現する。きちんとした閾値がなく、グレイゾーンがあるから発生するのだ。

この同調圧力、得てして悪く言われる傾向があるが、極論から言うと、それは「人類の遺伝子を伝承させる本能」であると思う。

日本人が新型コロナに感染する人数も、死亡者数も諸外国に比べて低いことから「ファクターXがあるのでは」という研究がされ始めて久しい。例えば免疫細胞である白血球のHLA因子や呼吸器系や消化器系に形成されているマイクロバイオームなどの物理的ファクターが研究対象であるが、その様な定量的定性的なパラメータ以外に、ファクターXとしては、心理的なファクターもあるような気がしている。

同調圧力もその一つではないだろうか。マスク着用や自粛といった法規制にはない規制ではあるのもの、従っている人は従わない人へ圧力をかける。これが同調圧力だが、とりわけ日本人は、その同調圧力に対して強くは抵抗しない国民性の人種なのではないかと思う。しかし、その圧力こそファクターXともいうべき、感染拡大を阻止するという社会的民衆行動でもあるのだ。

かつて、トランプ元大統領が20年ほど前の1999年に出した「敗者復活」に、日本人の慣習について触れている。一部を抜粋すると、

「日本人はいい。彼らは挨拶するとき、お互い少し離れて立ち、礼儀正しく、とても美しいお辞儀をする。これは古くからある習慣だ。たぶんはるか昔、私の様に病原菌を嫌う潔癖症の人によってもたらされたのではないかと思う。今でも、このような礼儀正しい挨拶をするのは、とてもスマートで賢いと思う。私はアメリカでもこのような習慣を取り入れてほしいと思っている。」

とある。

今からちょうど一年前に、この本について小生のブログで紹介したのだが、その後一年が過ぎ、現在の日本の状況は当時よりも厳しい状態となってはいるが、それでも諸外国よりはまだ持ちこたえている。その理由、まさしくこれが日本でのファクターXの一つとなっていると言えるのではないだろうか。

https://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-12626619991.html

同調圧力は必要悪なのだろう。マスクの着用は強要すべきではない。ないが、した方が感染拡大の阻止には有効だ。三密回避も同様。三密も避けるべき。この様な公衆衛生行動は、ひょっとすると人間が生物として持っている本能である「遺伝子伝承のための危険回避」であるのかもしれない。とすると、ある意味自然な行為なのだろう。

こう考えると、感染拡大阻止という観点から見れば同調圧力は決して非難すべき行動とは言い切れない様に思える。圧力をかけなくても常識ある行動が取れれば感染拡大は収束していくはずだ。

しかし、感染拡大を阻止しようとする本能的な行動をしないという、「正規分布から逸脱した人々」の存在が感染を広げているという可能性がある以上、ある程度の同調圧力はやむを得ないと思える。

ワクチン接種についても同様だ。最近はようやく減ってきている様ではあるが、相変わらずあやしい新興宗教信者の発言の様な、意味不明の拒否理由を述べている人も散見される。すでに洗脳されている人をサルベージするには、洗脳期間よりもさらに多くの時間が必要ということはよく知られているので、無駄な労力をかけて説得することよりも原理主義になっていないレベルの人たちを「救済」する方が感染拡大防止には有益だ。しかし、同調圧力によってワクチンを接種するという方法を講じると、万が一重大な副反応が生じた時に、相当ややこしいことになるだろう。
だから、グレイゾーンにいる人に対しては、理解できるように説得するという圧力で改心させることが必要と考える。

戦いはまだ続く。