2020年・冬から 2021年明け
体重39kg台になり、退院にむけての準備が始まった頃。
この頃の娘は非常に情緒不安定でした。
自分の足の太さを一日に何回も確認して
「足が太くなっている気がする!太ももなんて要らない!!」と泣き始め
足のマッサージを始めたり
帰宅中は圧縮タイツを常に履いて、ダンスしたり、ストレッチしたり
(洗濯することも出来ないくらい常に履いてました)
「40kgなんて絶対無理!!40kgになるくらいなら学校に行けなくていい!!」
と泣き叫んだり・・・
「髪の毛をバッサリ切れば、新しい自分になれる気がする!!」
と言い出し、美容室を予約したら
「やっぱり切りたくない」と言われたり
一日に何回も服を着替えたり、いきなりメイクを始めたり
突然「徹夜してみたい」と言って朝方まで起きていたり
「書道がしたい」と言い出し半日近く墨汁で字を書いていた事もありました。
今、思うと自分で自分を変えたくて、でもどうしたらいいのかわからなくて
もがいていたのかな・・・と思います。
でも当時の私は娘の言動・行動に振り回され、翻弄される日々でした。
病気のせいなのか、反抗期なのか 正常なのか、異常なのか
もう見分けがつかなくなってました。
娘が摂食障害なのでは?と不安になり始めたころ、
摂食障害についての本を読み漁りました。
その中の何冊かに
「体重がもとの体重に戻れば、太ることへの恐怖心も消えてくる」
と書いてありました。
なので、体重が戻れば、また食べれるようになる!とずっと思ってました。
そうやって回復していった方も実際にいるのでしょうが、娘は違いました。
元の体重に戻っても、元の体重を上回っても
食べる事への恐怖感、罪悪感は決して消えることはありませんでした。
むしろ体重が増えるにあたり、恐怖心が増していったように感じます。
なので、40kgを目前にしたこの頃、荒れたのだと思います。
「病院にいた方が楽。早く病院に帰りたい。」
「ママだって私が病院に居た方が楽でしょ」
と言われたことがありました。
私の態度や言葉でそう感じたのだと思います。
実際、娘の言う通りでした。
娘の帰宅中は次は何を言い出すか、何をしだすかと常に気を張ってました。
なので帰宅期間が終わり、病院へ送っていき、看護師さんに娘を引き渡すと
全身の力が抜け落ちるくらい安堵の気分になったのは事実です。
病院なら食べてくれる、笑っていると思うと、とても安心できました。
家にいる時の娘の異常な行動を見なくて済む事にも正直安心できました。
ひどい母親・・・ですよね・・・
自分の娘と一緒に暮らすことに不安を感じる日がくるとは思いませんでした。
こんなに気をつかって、ドキドキして・・・こんなに苦しい時間があるなんて。
親子なのに、家族なのに。なんでだろう・・・と。
この頃になってもまだ病院の帰り道はいつも泣きながら運転してました。
そんなある日、いつものように試験登校のために病院に娘を迎えに行き、
病棟に入っていくと、鍵のかかった鉄扉の前で女性がうずくまってました。
気分でも悪くなってしまったのかと思い、駆け寄ると
女性は肩を震わせて、声を出さないように泣いてました。
「大丈夫ですか?」と声をかけると黙ってうなずきましたが、立ち上がる事
ができませんでした。手をかそうと私も鉄扉の近くまで行きました。
すると、鉄扉の向こう側にも人の気配を感じました。
鉄扉には真ん中に擦りガラスがはめ込まれていて、中は見えませんが、
人影は映りました。
そして鉄扉の向こう側からもすすり泣く声が聞こえました。
鉄扉の向こう側、病棟の中にいたのは摂食障害で最近入院した女の子でした。
そしてうずくまって泣いていたのは、その女の子のお母さんでした。
「・・・食べなくなって・・・痩せてしまって・・・髪が抜けてしまったんです。
・・・頭が・・・寒いと思って・・・今・・・毛糸の帽子を届けました・・・
・・・三年生なんです。中学三年生、なんです・・・」
泣き崩れながら絞り出すような声でお母さんが言いました。
状況はすぐに飲み込め、お母さんの涙にもらい泣きしてしまいました。
しばらく鉄扉の前で二人で泣きました。掛ける言葉がみつからなくて。
でも気持ちは痛いほどわかりました。
中学3年生の冬に摂食障害で入院するという事。
どれだけ不安で、心配で、せつないか・・・胸が締め付けられました。
どんな病気でも、子どもの入院は親にとって辛いものです。
進学、進路にかかわる大事な時期と重なれば尚更辛いです。
どんな思いで毛糸の帽子を届けたのか・・・と思うと
今でも、この事を思い出すと涙が出ます。
入院中の忘れられない出来事の一つになっています。
そして、この時のこの女の子の存在が娘の3回目の転機のきっかけと
なったのです。