(Facebookに投稿したやつをこちらにも。必要な方がいるかもしれない)
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今日彼と喋ってて、すごくハッとした言葉があったのでメモ。
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「生きる理由」と、
「生きている理由」は違う。
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「生きる理由」だと、大きくて途方もなくて、一生かけて探し続けるもの、みたいなイメージ。
人生の迷子になる人も、これが見つけられなくて絶望の淵に立たされたりするんだと思うんだ。
でも、「生きている理由」なら。
途方もなかったものがキューーーンと手元に戻ってきて、あれもこれもが理由として足る。
それなら生きていける、って思った。
「生きる理由」が見つけられなくて消えたかったあの頃にも、「生きている理由」ならあったんだよね。
それは週末にだけできるゲームだったり、先が楽しみな漫画だったりした。
それだけが理由だったし、それだけで生き延びてこれた。
「生きる理由」が見つけられなくても、「生きている理由」があれば生きていけるし、生きていていい。
その先で、いつか「生きる理由」が見つかればいい。
私は幸いにも、
身近な人を若くして亡くした経験がない。
(8歳のときに祖父を亡くしてその後は、30歳のとき祖母を亡くした。そのくらいなのだ)
でも彼は、いろいろな年代の身近な人を亡くしていて。
生と死について考える瞬間も
たくさんあるんだろう。
生きた年数関係なく、
「生ききった」
と思えて亡くなることができたら。
未練はあれど
後悔はないんだろうな。
そんな最期に憧れる。
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今、
「生きている理由」を考えてみたら、
その理由がたくさん、たくさんあって幸せだなって思ったよ![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/027.png)
![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/027.png)
「生きる理由」は、、
それを見つけるために生きていくんだろうね
これからも。