大阪から母と叔母が来てくれてました。

「遠方から来てくれたひとを連れて川越を案内する」
のは初めてのパターン。

脳みそが「私はオノボリサン」と言う意識から
「案内しなくちゃ」に変わるので
ありがたいですよね✨

アチコチ行ったり
色々笑ったりしたのですが

今日、私がここに書きたい内容は
「五百羅漢」

喜多院と言うところには
前にも一人で行ったことがあるのですが
拝観料払って
中をゆっくり回るのは
「一人じゃなくて、誰かと一緒に」
と決めていた😊

私が興味を持っていた「五百羅漢」だけじゃなく
「三大将軍徳川家光公、誕生の間」や
「春日の局 化粧の間」も
見ることができたから

私は
「え?家光さんて(←友達みたいに気安く呼ぶなw)川越で産まれたん??❤️
春日の局さんが乳母として
川越で育ててらしたの??
ほな、大奥って川越での話なん?
いや、ちゃうわ、
江戸城での話やんなぁ
(いつ江戸城に引っ越されたの?)」
と興奮しつつ、不思議にも思いましたが

ま、私は
「歴史に疎い女」でね😅

ピンポイントに知ってる(興味がある)のは、
唯一、徳川家光公の時代、春日局さまの時代だけ✋

それはなぜか?

ドラマ【大奥~第一章~】を観ていたから・・
春日局さまと言っても私には
【女優松下由樹さんのお顔】が浮かぶし。
知識もあさーい。

けど、たまたま(ドラマで)知ってる
あの【竹千代ぎみ】が産まれたのは
この場所なん!?
と、興奮しましたが

帰ってきてから
やっぱちょっとなんか腑に落ちなくて不思議で、ネットで調べたら

喜多院が火事になったあと
徳川家と深い親交があった喜多院のために
復興の名として
家光公がご自身の生誕の間と
春日局様の化粧の間を
江戸城から
喜多院に移されたらしい。

その後、江戸城も大火に遭い
これらが残った、とのことでした。

でも私は
「徳川家ってやっぱ凄いな、かっこいいな」と興奮。
(建物の中は撮影禁止でお庭だけ撮影可でした)

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こちらは敷地内の仙波東照宮の徳川家の家紋。

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叔母は、歴史や建物に興味があり
全てちゃんと説明文を読みたいタイプの人。

対して私は
歴史とかは(ドラマ大奥の範囲内しか分からん)けど
建物の風格や調度品などから
「スケール」「品格」「威厳」みたいなエネルギー、
更に庭や木や建物をしっかりと大切にメンテナンスし、保管されてる(現代の)人々の心のエネルギーを感じ取って
(かっちょええ~)と唸るタイプ(笑)

一緒に回っても
叔母と私の二人の【着眼点】は全く違うけど、それぞれがそれぞれの【ポイント】で興奮しつつ
結構どっぷり時間を使いゆったり回りました。

「私は中に入らなくていいわ」
と、うちの母は孫(うちの娘たち)と一緒に外で待っていた。

私もメインで興味があったのは五百羅漢だったので
建物の中がたまたまドラマ大奥で知っていた「家光公」「春日局」じゃなかったら
こちらは「おばちゃん、行っておいで。私は拝観料は払うけど建物はパス。五百羅漢のとこでゆっくり見て回るから」と
別行動していたと思う😅

で、散々
母や娘たちを待たせたあと
私と叔母は
「五百羅漢」の場所へ。

「私に似た顔の像が見つからない~(>_<)」
とか言ってる叔母をほったらかして(笑)
私は
一体一体、まるでリーディングしてるときみたいな感じで
歩いて回った。

叔母と来てるならきっと
「亡くなった祖父母に似てる像が見つかるはず」と思っていた。

こんな感じの場所です。

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一体一体、全てお顔が違う。
表情も違う。

一体一体全てに向かい合ったけど
私は「自分」や「じーちゃん、ばーちゃん」は見つけれず
唯一、目に止まったのは
こちらの像

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宮崎の高千穂の荒立神社の宮司さまを思い出した。

あと、不動明王が福岡で前に私に似てると思ったことがあったけど
やはり今回も目について
「不動明王を抱えてらっしゃるこのかたはだぁれ?」と写真をパチリ。
私の師匠的【ソウルメイト】?
私が知ってる誰に似てるとかは分からなかった。
いずれ誰なのかわかるかも?と、写真だけ残しました。

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そんななか
叔母が
「私に似てる像はわからなかった。
でも、この像だけは気になるの」
と私を手招きする・・

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「あぁ・・私、素通りしてしまってたわ、オバチャン・・この像は・・(亡くなった)じいちゃんや!」
と私がいう。

叔母も
「せやろ?顔はな、鼻が違うねん。
じいちゃんの鼻はもっと高かった。
だから、じいちゃんとソックリってわけじゃないけど・・なんか、じいちゃん思い出すねん」
と叔母。

「眉毛とオデコと頭の感じが・・死んだじいちゃんだ!!」
と私。

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1つ言えるのは、
他の像は畏れ多くてさわれないけど
この像だけは何故か
抱きしめたい
撫で回したい感じがする。
数ある像のなかでは、
そんな「可愛い」感じでもないのに・・

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「じいちゃーん、身体の具合はどう?」
ミラは熊本から帰省する度に
じいちゃんの肩に手をおき
背中を撫で
すっかり弱ってしまったじいちゃんの肩や背中を撫でた。

愛情から自然に出るスキンシップ。

私が帰省した8月4日を
待っててくれた。
だから私は最期を見送れた。

朝方に目の前で旅立った祖父。
亡くなる直前、
亡くなった直後も
両手で頬を挟み
「じいちゃん、じいちゃん」と
話しかけた。

あの感触が甦る。

「オバチャン、なんか
この像だけは愛情持って
撫で回したい気持ちになっちゃうね
てことは、やっぱ、じいちゃんなんだろね」と。

高千穂の荒立神社の宮司さまを思い出した像は
頭を下げただけで、撫で回しはしなかった(失礼だから)

じいちゃんを思い出すこの像は
叔母と二人で愛情を持って撫で回し
「楽しそうな表情じゃないけど、
安泰な安心した感じの表情よね」
と話した。

もう、じいちゃんは心残すことなく
じいちゃんの世界に没頭出来てる
そんな気がする。

没頭してるじいちゃんを
私と叔母が撫で回しても
【邪魔】ではなく
その愛情はじいちゃんの次の世界の力になる気がする。

こんな撫で回せるのはね
じいちゃんが私たちに愛情をくれたから
身体はなくなっても
私たちには愛情が残ってる。

死の間際の・・
そして亡くなって遺体となったじいちゃんは、
今まで知っていたじいちゃんの姿とは違うから
愛情がなかったら触れなかったよ。
けど、私は
冷たくなったじいちゃんを
よく頑張ったねと
両手で頬を包み込んだ。
なにも怖くなかった。

ばーちゃんも臨終に間に合わなかったけど、同じ風に両手で遺体の頬を包み込んだ。

幼い頃
私が愛情を持ってばーちゃんにそうしてもらったように。

私は遺体に全然慣れてないし
愛情がないと触るのは畏れ多いし
怖いのよ。

けど私は二人とも愛情を持って撫で回した。

大好きだった。
【全力で愛してもらったから自然に私もいつもじいちゃんばーちゃんの身体を撫でる癖がついてた】
みたいな感じ。

叔母も同じような感じで
二人でこの像に
愛情を撒き散らした❤

じいちゃんが
私を忘れたとしても
もう・・もしね、生まれ変わって
私の手の届かない場所で別の愛情を受けてるとしても
【いつまでも、天国から孫のミラを応援してくれるじいちゃん】
で居なくなっても
それでも構わない。

【ミラを忘れたとしても、それでも幸せで居てね。ミラはじいちゃんばーちゃんを愛してますよ、今も!これからも!】

これがさ
私と叔母の勘違いで
【この像がじいちゃんを表す像じゃなかったらどーすんのさ?】
撫で回して失礼で
バチが当たるのか?

ミラは【絶対そんなことはない】と確信してます。

馬鹿にして、下に見て
撫で回したわけじゃないもん。

撫で回した時に
自然に出たエネルギーは
【感謝】【愛情】
だったもん。

宇宙は自分が出したエネルギーをそのまま読み取り
そのまま跳ね返して来ます。

じいちゃんばーちゃんへの愛情とか、歴史も無視して
じいちゃんばーちゃんの人生
私の人生も
社会的地位も、貯金も、
じいちゃんばーちゃんの貯金も
同情とかも
善悪も
全く無視して

私が出したエネルギーをそのまま私に跳ね返す。
叔母が出したエネルギーはそのまま叔母に跳ね返す。

ならば、私は
【久しぶりにじいちゃんを愛情を持ってなでれて、幸せだ】
もうじいちゃんの肉体はないから
こんな気持ちになかなかもうなれないのに、
五百羅漢の中からじいちゃんを見つけたよ❤

再度また行って
次はばーちゃんを見つけたい‼️

絶対居てくれるはず❤️