今日ね、変わった雲を見て
綺麗だなと思ったけど
縞模様の雲をみると
私はどうしても地震雲だったらどうしよう?
って不安になっちゃうんだ(*_*)

イメージ 1


で、本物の地震雲..
2016年4月に自分で撮影した毎日激しい余震があった時期の
熊本市北区の地震雲を見て比べてみようと、スマホを探すも
この時期の写真がもうスマホから全て消えてる(*_*)
※後にスマホが故障して修理に出したら、データを初期化されてしまった為。

てなわけで
「Milla 地震雲」でネットで検索し
自分の過去記事をヒットさせ
自分のブログから、自分でアップした写真をダウンロードしてみた(笑)

イメージ 2


それをアップしたのは正しく避難生活の..家はズタズタで帰れないわ、余震は激しいわ、配給もまだもらえるかどうかわからんわ、
断水はいつ解消するかわからんわ、
避難所で「断水だからトイレ使用禁止」と言われて「え??じゃあどうしたらいいのだ(*_*)」と言うような時期でした。

ところが1年過ぎると、
ありがたいことに、水も食糧もトイレも風呂もあるからさ、
余震に怯えながら娘たちとガレージで冷凍うどんを冷凍のまま噛ったことや
震災直前に溜めていたお風呂の水の上澄みをすくって
(つ、つめたい..)と思いながら体を洗ったこと、
【思い出】になっとる。

まぁ、私は
そこから早く意識を脱したくてやってきたわけで
(いつまでも被災者と言う意識を持っていたら歩き出せないと..)
思い出にすべき、なんですが。

今日、久々に自分の過去記事を読み
自分の過去記事で泣くと言う
ナルシストか?(笑)みたいな経験をしました❤

被災地域ではない場所から
あのときの私を応援してくださった方々には
「へ?ミラさんが一番胸に詰まる過去記事はそれ?」
と不思議に思われるかも(笑)

一瞬にして
ぐちゃぐちゃに散乱した家財道具の写真や、ボロボロの壁の写真も久々に見た。
支援物資の暖かい食べ物に感動したことも思い出した。
これらはいまの私にとって
ぐちゃぐちゃな壁の写真ごと【いとおしい過去の我が家】で
命を守ってくれてありがとう、と
暖かい感触。

けどね
一番今胸に染みたのはコレ!
(自分の過去記事を胸に染みたと言う私は、そうさナルシストw)

https://blogs.yahoo.co.jp/maki_abtr/14170054.html

阿蘇神社崩壊のニュースを見て
避難所の学校の狭いスペースの廊下の
テレビの前にみんな集まって
ギチギチの状態で観てたの。
周りは近所の人だらけ
それなのに、私は涙がボロボロ止まらなくて
(阿蘇神社はもうなくなったの?
なんでこんな目に遭わなくちゃならんの!
私らが何を(悪いこと)したと言うのさ?
)
3日目にしてやっと【やりきれなさ】が感情や涙となって出てきた。

怖かった、そして助かった
でも水も食料も不安
帰れる家もない
家の修繕の見積りも数ヶ月待ち
保険も罹災も調査がいつになるか目処も立たない
どうやって生きていこう?
でも避難所ではみんな同じなのに
みんな明るい。
貴重な食料を分けてくださったり..

【みんな辛いのに必死にやってる。
泣くわけにはイカン!】

自分のことでは、泣けなくて。

そのピンと張り積めた糸を
阿蘇神社が..私を泣かせてくれた。

これね✋
すごいことなんですよ。

私は一回あのときに泣かんとアカンかったんです!
そーじゃないと、精神の糸が切れてしまうんです。
自分では気づかなかった。

【なんでこんな目に遭わなくちゃならんの!
私らが何をしたと言うのよ!!
えーんえーん!】

泣かないのがカッコいいんじゃなく
一回は子供みたいに大泣きして
「私悪くないもん!
なんでこんな目に遭わなくちゃならんの!」
って、やった方がいいんです。

【泣いたってしょうがないから】
【不平を口にしてもしょうがないから】
我慢するのよね、大人だから。

その無意識に張りに張った肩肘を
阿蘇神社が泣かせて、糸を緩めてくれました。

神様にしかできなかった技だな。
防具をめぐらしたあのときの私を
【なんでこんな目に遭わなくちゃならんの!】と言うだだっ子の子供みたいな意味で自然に泣かせる、のは
神様にしか出来なかったはず。

私は被災地で、みんなと一緒にいて
意識は常に【感謝】とか【命が助かって私は恵まれてる】に向いていたから
涙流すのとは真逆の意識だったから。

あの頃の自分の記事を振り返り
それは嘘偽りのない必死の現状レポートだと言うことは自分が一番知ってるからさ

ゼロを思い出す
逆に
思い出せるゼロ状態がある私は強いな★
と、過去の自分からエネルギーもらったわ(笑)

地震で命をなくされた方々
ご自宅が全壊や、津波で跡形もなくなられた方々もいらっしゃる。
だから私が【ゼロ】と言うたら申し訳ないと思う。

そして、あのとき
避難先の体育館にいただいた数々の支援物資の段ボールに手書きでマジックでたくさんの【生のお言葉】をいただきました。

福島や三陸地方の東日本大震災の被災者の方々から
「今を乗り越えたら日常が戻るから!頑張ってね!」
「東日本大震災の時には支援をありがとう!少しでも力になれますように!」とm(__)m

オムツや濡れティッシュ、野菜ジュースなど
目一杯段ボールに詰め込んでくださり
暖かいメッセージを。

この方々に比べたら私なんて全く被災者レベルじゃない!

この気持ちはもちろん、あるよ。

けど「私は悲惨でした」をアピールしたくてこの記事を書いてるわけじゃなくて

それぞれの人生経験のさ、
泣くに泣けなかった時期をゼロと仮定して

その時期を時々振り返ることで
今の自分はあんときにくらべたら恵まれてるし
可能性がいっぱいあるなと
思うことは大切かも。

うちの父は心臓大動脈瘤と診断され手術したし
うちの母も乳ガンで手術した。
生きるか死ぬか、の意味では
我が家にとっては大激震の日々でした。

それぞれの「ゼロ」の日。
それからの立ち上がり
みたいな意味合いで受け止めていただけると幸いですm(__)m

内容としては大したことないんだけどね
【それでも私たちは生きていく】と言うタイトルの3つの過去記事があります。
https://blogs.yahoo.co.jp/maki_abtr/14171987.html

https://blogs.yahoo.co.jp/maki_abtr/14172295.html

https://blogs.yahoo.co.jp/maki_abtr/14172419.html

これはもしかして
私だけの経験だから
私にしか作用しないかも知れませんm(__)m
※私なんて(その1)の記事のうどんの写真見ただけでいまだに涙が出る(笑)

ゼロから立ち上がる(復活する)エネルギーを、
もし、今、文章のエネルギーから活用してくださる方がひとりでも居てくれたら
嬉しいな❤

私はこの3つの記事、
この先、節目ごとに読み返したろ
と思った(笑)
大した内容じゃないけど、けど私あんときのパワー、すごかったな、と←ナルシストm(__)m

特に熊本のクライアント様方に❤️

体育館で段ボールのちゃぶ台でオーダー下さったり
壁がボロボロで障子も全部破けてて
セッションルームのドアも閉まらない、あの部屋に(笑)
「ドアは開けっぱなしにしてます!
大きな余震が来たら外に避難してください!」
と、数万のブレスをオーダーするのに、
あの状態のセッションルームに来てくださったクライアント様方に❤️

良かったら..今一度読んでいただきたいm(__)m

てか✋
あんときにくらべたら
今は天国だ🎵

って..みんなにもパワーが戻るかなと思ってこの記事を書いた。
もし、私だけだったらごめんよ💦