離れていた父と話した日〜娘としての役割がまわってきた | 札幌で家づくりとリフォーム+ライフオーガナイズで風の流れる心地いいくらし*Mille Co Co*

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人生を楽しくする住空間づくり、リフォームとライフオーガナイズ(片づけ収納の仕組みづくり)で、快適で心地よい暮らしを。
主婦歴25年の主婦兼事務員から、いきなり「現場の人」となり、(有)クワサコ住建代表を務めるミルの日々と、家づくり暮らしづくり

私が小学5年の時に、父と母は離婚し、
同じ市内で暮らしていたが、
会うことはなかった。
 
ずっとあってはいけないのだと思っていた。
 
その後、父は再婚したらしいと
大人同士の話を立ち聞きして知った。
けれど誰にも何も聞けない…言えない…
そんな私だった。
 
高校卒業の時、父から
人づてに手紙をもらったけれど、
内容はよく覚えておらず、
その手紙も手元には無い。
 
ずっと長いこと、
誰にも父のことを話せなかったし、
自分が親のことでどんな感情を持って来たか、
は、
蓋をしっぱなしのようなものだった。
 
その感情がどのようなものだったかなど、
もう覚えていない。
 
ただ、
蓋をすることで、自分を保っていた…
そんな感覚だけ少し覚えている。
 
 
ところが
私の結婚が決まった時、
 
たしか母に
 
父に知らせて、
父を結婚式に呼んだら?
と言われ…
 
私は少し混乱した。
10歳の時別れたきりの人に、
どう接して良いのかもわからないし、
 
 
私は、呼ばないと決めた。
 
そんな私に、
父は結婚のお祝いを持って
会いに来てくれた。
 
そして、
私に子供ができて、
娘の初節句に、
再婚相手の奥さんと選んだという
人形が送られて来て、
 
初めて、父とその方の暮らす家を訪ねた。
そんな風にして、
私と父はゆるく
時々やりとりのあるつながりが復活してきた。
 
…その後父は再婚相手の方を亡くし、
養子縁組した娘さんも亡くし、
現在一人暮らし。
 
 
この度
「お願いしたいことがある」との手紙が来て、
初めて、ゆっくり2人きりで話すことに。
 
 
 
父の終活のお話でした。
自分が旅立った後のことを、
私に託したいと。
 
ならば、まず、
いったいあなたはどんな風に育ち故郷を出て、
ここにいることになったのか、
どんな家族とどんな風に暮らし、生きて、
今こうしているのか、
 
話してほしい、とお願いした。
 
考えてみたら、
子供の時に別の家族となってしまった私は
何も知らないのだ。
 
初めて、
父の生い立ち、故郷の話、
父の家族の話
 
様々のことを知ることとなった
一日。
 
 
私に回って来た
家族でなくなっていた父を
いつの日か送るかもしれないという役割
 
託されて、
私はするりと受け入れることができた。
 
 
不思議なものです。
 
そんな日を過ごせたことを
ほんのりとうれしく思ったことを
記録しておこうと思う。
 
 
今日の一枚
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札幌駅ステラプレイスの屋内駐車場の目印は野菜。