11月29日-30日 ユニコーン 百が如くツアー 山形県民会館 クロージング公演 | とらんぬのブログ

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肉を食え!!たまにエモ!人生はロックと快便!

私がその人を再度崇拝するようになって10年が経過したが、それはたったの10年で、
それよりも長い年月その人を見つめ続け、再び支えることを誓う人々がいたからこそ、
この神殿に皆でさよならを伝えることが出来るように、という強い願いは、

多くの者の愛によってこの日へと繋がった。

 

山形県民会館クロージング公演、ユニコーン。

魔術師が生まれる前からそこにあり、彼を見つめ続けた神殿が、11月30日終わりを迎える。

 

思えば自分の遠征趣味もここからスタートした。

全国各地に個性あふれる会館は多々あれど、阿部40祭に勤労初日と、

ユニコーンの再始動に最も重要な全てを知っているのはこの会館なのだ。

十分に達成された科学技術は、魔法と見分けがつかないが、それは音楽もだ。
この2日間、我々がこの神殿で体験した、かつてより運命付けられていた集大成。大団円。
精神を蝕む苦痛とそれに抗う努力が、やがて昇華され生み出された永遠の愛に包まれた、

高潔な音楽という魔法が会館にあふれていた。

 

とりあえずオサーンかわいいよオサーンな場面やMCの抜粋。
29日と30日が混じってます。

・オープニングから阿部とかにさんがこちゃこちゃやっててかわいい・・・

てか全体的にこの二人演奏中もごちゃごちゃやっててとにかく幸せオーラであふれてる・・・★
・29日に早回しを奪われたが30日にしっかり言えてガッツポーズでえびちゃん絶好調。

ビジュアル面も含めて最強。なぞの手の動きとかもはや理解不能w

「やまがたー!さいこー!」
・川西さんの曲で4人が動く曲でもえびちゃんやばいくらいハイテンションで、

後ろから来るのもあるけど舞台の端まで行ってしまいコーラスが間に合わないw
・なおかにさんの音程がこれまでのツアー史上最も酷くて、逆にここまで酷いのは才能だと思うw
・奥田さん曰く、山形県民会館は阿部が建てた。阿部が生まれる前から建てたw
・会場の端から端まではしりつーさせられて意気が上がるテッシーw
・きゃいきゃいMCしている阿部と民生さんの天国状態に「うるさい!」と叫んだテッシーに

軽くさついを覚えたw
・おしどりみるくけーきの歌を歌う奥田さんのドヤ顔w
・あっちとこっちに分かれたあべとえびちゃんがじゃんけんして負けたえびちゃんに対し

阿部「やーいw」w
・旗を持った甲殻類が会場を練り歩いてとにかくかわいい。
・人生のリリックを語るかにさん、県民会館への賛辞を混ぜようとしてgdgdになるw
・民生さんのダンスナンバー、コーラスと演奏に忙しい阿部に反応してもらおうかと、

これでもかと目の前で踊っててうぜえwでもかわええw
・本編最後の曲、29日、髪をかき上げる姿が何故かエレガントで阿部信者狂喜。

ただし舞台上の阿部信者もじゃが一番狂喜でやたら真横に立ってアピールしまくってうぜえw
・30日アンコール、暑い阿部、服が乱れまくってるんだが非常にエレガント。

それを見て奥田さん「乱れていますね!」

・自分のところにあるのにわざわざ奥田さんのところの水を飲む阿部を見て

「みっ?」または「めっ?」と叫ぶ奥田さんw
・29日最後に舞台上から投げキスする川西さんに一瞬で落ちて川西の女またしても大増殖w
・1日目のどんどんぱのコーナーで1匹外れてた犬を抱えるえびちゃんがあざといがかわいいw
・2日目のどんどんぱが阿部の準備が長くてなかなか終わらず何度も踊り続ける4名w
そして後方からどんちゃんたちをぷかぷか浮かべながら登場し「しーあわせ!」と、

紙吹雪を撒き散らしながらPA広場にきてハッタリがなり始めるのを止め、

「今日は延長してもいいよなー!」と叫ぶ阿部は神。本当に神。
・「俺は昨日夢を見たんだ。俺は風船おじさんみたいに空へ飛んで、

メンバーとは無線で繋がっているんだ。でもどんどん飛んで、もうだめだ!

あとはみんな頼んだ!と思って覚悟していたら、福島の温泉に着いて、

そこが死んでもいいと思うほどいい温泉だったからみんなもおいでよ!という夢だったんだ!」という、

ゆめかわいい夢の話をし始める阿部wでも本当に素敵な夢だと思ってちょっと泣きそうにw
・PAの目の前に館長さんがいらっしゃって、PAの上に登らせ、

「館長じゃないですか!この人がいたからここまでこれた。ありがとう!」と感謝を述べ、

「しーあわせ!」をまきまくるw
・舞台に戻るときに「どんちゃんに触るなw」と阿部w自分はええんかw
・舞台の下から歩いてくる阿部を片腕で引っ張って救い上げる川西さんが素敵すぎて・・・

・会館への感想を一人一人語るときに奥田さんがスティックで阿部の手を

とんとんし続けてたのが意味不明で面白かったが、何だろう、照れ隠しか?w
・ラストの山形県民会館総決算の映像、それを見るために前方に集まっているが

少し離れた場所にいた民生さんを引っ張ってくる川西さんまじ結婚して。
・しーあわせの紙吹雪を掛け合っていちゃつく川西さんと阿部が一昔前の韓流ドラマ状態で

いいぞもっとやれw

 

中盤~後半、闇夜を貫く光の圧倒的希望のように出現する、

胸を締め付ける阿部曲と奥田さんの巨大な曲によるユニコーンの本性を、

この二日間、全身の一番奥深くで体感する。
世間的なイメージとして強い、面白おじさんバンドのドタバタ劇状態の前半~中盤から、

日本ロック界に名を残すことを既に約束されながらも、

その現在進行形の伝説すら超えゆく、凄まじい破壊と創造を繰り返すロックバンドとしての生き様を、

この会館の最後の日に全ての技巧と精神でもって表現した。

50を超えた人間の円熟を増した上での洗練を纏うだけでなく、
これまで150分の中で散漫に注がれていたエネルギーを100分に注ぎ込もうと、

剥き出しの精神を全て見せつけるようなむしゃらさが混ざり合って、
今からスターダムにのし上がろうとする若手ロックバンドに在る初期衝動をも感じた。

奥田さんの声は間違いなくこのツアー最高のコンディションで、
この曲以外も、通常ではパワーを抑えて叫ばない曲でも、

日本最強のボーカリストとして、持ちうる全ての力をぶつけ捧げる如くであった。

 

すでに百が如くツアー後半戦、残り数公演にまで差し掛かり、
このホールのクロージングのためにこれまでのライブがあったわけではないのは勿論だが、

この場所があったからこそ、もっと言えば阿部がいたからこそ、

ユニコーンが再び蘇ったという真実に対し皆が通常以上の全力が尽くしていた。
山形に対する偏執的と呼んでも良いほどの愛情を、

メンバーだけでなくスタッフや観客が皆共有していることもあり、

このホール全体はこの日、世界とは切り離され、心地の良い爆音の混沌の宇宙に浮かんでいた。

 

いつものアンコールではみつばちさんのかわいい声だが、最終日、阿部は自身の声で話した。

この日は自分の声で、本当の言葉で、話す必要があったのだ。

「俺は人生の終わりにこの光景を思い出す!」

ステージ上のメンバーとスタッフにも「しーあわせ」を振りまいていく。

最後に俺にもかけて!と奥田さんにたっぷりとしーあわせをかけてもらう阿部。そして叫ぶ。
「みんなが幸せでありますように!ユニコーンがこれからもずっと続きますように!」

いつもは一番最初に舞台袖に消えていく阿部が、川西さんに促されて残り、

舞台上を端から端までゆっくりと歩み、静かに、愛おしそうに、会場に長いお辞儀をした。

阿部の最後の叫び、「これで山形県民会館、終わりでーす!」は、

それは悲しみに満たされた葬送の言葉ではない。
ユニコーン最大の名曲の1つ、「HELLO」にもある、終わりという名を持つ永遠の生もあることを、

あらゆる苦難を乗り越えることで知っている阿部が、
この会館の生を見つめ、そしてまた自らの生を見つめてくれた会館に贈る、愛の挨拶だ。


*このあたりから阿部を讃える宗教の呪文みたいになってて

ライブの話がほぼなくなってすっちゃかめっちゃかになってますw

 

既に複数回ライブを見ていると、自分の心が死んでいる時間が生じる。
いくつかの場面では、「なぜこの曲がセトリにあるのかなあ。つまらないなあ。」と思ってしまう。
狂信的ユニコーンファンであるとはいえ、どうしても全てを受け入れることはできない。
日本の宝と呼んでも過言ではないボーカリスト・奥田民生を擁しながら

ユニコーンがいまひとつ売れない原因がそこにあるのもわかっている。

 

ユニコーンの長所は短所と全く同じだ。
幕の内弁当はいろいろな味をひとつの中で楽しめる長所があるが、

それゆえに一緒に入っている食べられないもの、苦手なものを避けるべく、

結局は幕の内弁当を選ばずから揚げ弁当やステーキ弁当を選ぶことになる、という、
弁当であれば友人とおかずを交換したり、残したりするなど対処出来るが、

ライブでは避けることが出来ない。必ず耐えねばならない時間がある。
毎回その部分に差し掛かると心を無にしてひたすら待つしかなく、

無となる10分の中で楽しみを探そうにも難しく、

「なぜまた再びこのライブに来てしまったんだ。」という、

自分はユニコーンファンでありながら、なんて酷いことを思う人間なんだろう、

という気持ちを抱えながらライブを見ていたりする時間がある。

 

それでも自分が毎回同じセトリのライブに何度も通ってしまうのは、

幕の内弁当にしか入っていない特別なものが欲しくて仕方ないためだ。

この人の魔法で自分の精神が宇宙に浮かんでは沈み、全事象が麻痺する快楽を味わう為に、

何度もライブに通ってしまう。

阿部の曲、阿部の声、阿部の演奏。阿部の魔法。
自分が奥田民生のソロに全く反応しないまま青春期を過ごした理由の大半が、

阿部という唯一無二の素材が奥田民生ソロ弁当に含まれていなかったからだ。

 

日本の音楽出版業界には、ユニコーン専用の時候の挨拶例文集でもあるのだろうか、
「奥田民生率いるユニコーン」、「奥田民生を中心とするユニコーン」・・・

ユニコーンの記事にほぼ必ず見られる紋切型の挨拶例文・・・
今年ユニコーンは色々足して100周年を迎えることもあり、
多種多様な媒体でクローズアップされているものの、
勿論全ての人間がユニコーンに興味を持っているわけもなく、

ユニコーンを知らぬ人に少しでも記事に興味を持たせるために用いているのも判るが、
それでもかなりの媒体が奥田民生ソロを讃えることを記事の締めにすることを、

ライブを見たりCDを聞く前から、その安上がりな構成を準備しているかのような、
ユニコーンとはあくまで奥田民生の糧、肥やしと表現しているかのような、そんな記事が目立つ。
それらの記事を担当する音楽ライターに不満、いや、怒っている。
何たる怠惰。


今もなお新たな挑戦を続ける奥田民生の偉大さに、勿論自分も常に感動しているが、
奥田民生は彼の才能のみでこの高みまで来たのでは絶対ないことくらい、

奥田民生の歴史を真剣に見つめればわかるであろう。
阿部がいなければ、今の偉大なる奥田民生もユニコーンも、

この世界に存在しなければかったと、自分は確信している。


前2作から比較すれば突然の三次元の革新であり、

日本ロック史に大いなる足跡を残したと評され続ける「服部」は、
その類稀なるスター性と勢いによりデビューし、トントン拍子にコマを進めていた

ユニコーンに不足していた音楽的知識と技術が、

阿部の、音楽業界の後方支援として活躍経験と幼少からの素養によりに一気に飛躍した。

音楽で生きるべく、スタジオでの活躍を夢見た阿部だったが、
奇妙な、しかしまるで遠い昔から約束されていたかのような、

淡い恋のはじまりのような運命により、ユニコーンに加入した。
音楽への思いを表現する場所としてユニコーンを選び、奥田民生と出会い、
「服部」からの全員主役制を推進したい、という彼の願いを叶える為に奔走した。
目の前に立ちはだかる困難を理解し、それは正面突破出来るものか、

できないのであればどういった策があるのか、奥田民生との共同作業の中で、

アイデアの実現のため、ユニコーンの頭脳として必死に動き続けた阿部への風当たりは

当時の資料から類推するに、それは戦争であったと思われる。


利他的行動なのに一見すると利己的行動と勘違いされがちな強い言動により、

ユニコーンに関する全批判を1人で受け続けていた。
どうしてユニコーンをこんな風に変えたのか。どうしてお前が前に出るのか。
前作、前々作のファンからの批判は全て阿部に集中し、それは未だ続いている。
30年前から、称賛は奥田民生の役割であり、批判は阿部の役割だった。
これに加えて、奥田民生という最上の才能とともにいることへの嫉妬、妬みを受けるのも、

宗教的受難のようにひたすら阿部に降りかかっていた。
彼はそれでもかまわず前へ進んだが、それは20代の青年に酷く重すぎる責務であり、

「ヒゲとボイン」の頃には完全に壊れ、そのまま生きながら死を思い、生きるために精神を殺し、

それでも生きるために、真実に生きるために、音楽によって生き続けていた。

 

阿部義晴/ABEDONの生み出す、唯一無二の美に包まれた音の世界が、

一瞬で壊れてしまいそうながら、圧倒的な強さで永久の世界に凛と立ち、

人間が真実に生きるその意義自体に繋がっていることを、我々は本能的に知っている。

再始動後2枚目「Z」収録の「デジタルスープ」の歌詞のごとく、

阿部は音楽家として「真実に生きる」ことを、人生の指針としているが、
真実を生きることは、おそらくは生き地獄に等しい。
人は自分の見たいように物事を見て、都合のいいように物事を解釈することも、

うまくやりぬいて生きるために必要な技術だ。それが人間の本能だ。

阿部もその本能があることくらいは知っているだろうが、

彼が耐えられないのは、何事もなく穏やかに生きることによって、

美を毀損してしまうことを、見ないふりをして生きることだ。

ある側面から見れば不器用で、単に愚かな道を選んでいるようであるが、、

しかし苦痛に耐えながら進み続ける高貴な精神をもって

美を創り、守り抜き、高めゆく者には、畏敬の念をいくら払っても足りない。


阿部は自由で目立ちたがり屋な奴と勘違いされがちだ。
それは、アンセムレベルにまでなってしまった「人生は上々だ」や、

再始動の鴇の声ともなった「WAO!」のイメージや、これまた見た目の判断されがちなバンド、

氣志團のプロデューサーというイメージせいでもあろう。
快活な面白ミュージシャンという表立ったイメージはあくまで一側面であり、

むしろ阿部義晴/ABEDONとは、心の目で見る静寂や触れられぬ深遠、

鮮やかな闇や風に舞う光、人がただ漠然と生きているだけでは知りえない美を、

音によって表現する芸術家だ。

エポックメイキング「服部」の中にもある「逆光」をはじめ、隠れた大名曲「立秋」や「開店休業」、
再始動の全てを決定付けた「HELLO」、現在も新しい世界に挑み続ける「ZERO」等、
ユニコーンでの名曲によっても、美を追求する芸術家としての魂を感じることが出来るし、
阿部のソロ活動の音楽、ソロライブではより生々しく、手触りや温度まで感じられる。


青年・奥田民生が今の奥田民生にまで辿り着くまでに、知らない世界を学ぶ過程があったが、

そのほぼ全てを隣で感じさせた存在が阿部であり、その役割は現在も同様である。

奥田民生の歴史において絶対に欠かせるわけがない阿部との関係性について、

なぜほぼ全ての音楽ライターはまるで申し合わせたかのように割愛しているのかが不思議だ。
奥田民生の歴史における阿部、奥田民生にないものを教え、補い、与え、高め続けている阿部は、

ジョンの歴史におけるポールでありヨーコを足し合わせても足りない。
語弊があるかと思うが、宗教と同じレベルの存在とさえ言える。

阿部を宗教であると評してしまうのは、阿部のライブにおける表現力に拠るところも大きい。
阿部の音楽を通して、魂を奪い、浄化し、昇華し、再び生まれ変わる宗教的体験を、

何度となく経験している。
今回のツアーにおけるオープニング、光の扉が開かれると、

無機物が命を帯びて生命があふれて出すあの瞬間の湧き上がるような感動、
そして先に述べた中盤の、感情を知ってしまった生命が覚えてしまった悲しみと、

の悲しみの根源としての愛、そしてまた深く広く新しい世界を

自ら開拓していく決意ともいえる本編ラストと、

この素晴らしいユニコーンを再度この世界へ産み落としたあの音楽。
毎回そうであるが、世界を切り開くのは全て阿部の曲なのだ。

 

阿部に何故惹かれるか。

阿部の魅力をうまく表現することはできない。

強いて言うのであれば、彼がこの世にもたらす音から、我々は生の尊さを体感するゆえに、

彼に魅力を感じざるを得ない、とでも表現すべきか。

彼の精神の中には不変の真実がありながら、彼自身を表現する名前を付けることが難しい。

表現が我々の想像のはるか向こうに在り、この世のもので例えることができないし、

たとえ名前をひねり出しても、彼は美の新たな形を、更なる強さを求めて変身を繰り返す。

我々が彼の本質を理解した、と思った瞬間、別次元の高みから微笑みかけているのが阿部だ。

 

名前を付けることで、人は理解できぬほどレベルの高いものを自分の手中に収めたような、

明らかに誤っているのにもかかわらず勝利を得たかのような錯覚の感動を抱くが、

その快感の獲得をさせてくれない対象に対して、人は驚くほど強い感情を抱く。

その時、そのようなものは存在しないと単純に黙殺するのが最も楽な方法だが、

理解に届かぬ悔しさに心がうずいてしまい、それは理解できないほどひどいものだ、と

脳内を騙すことで生まれる虚像に憎悪を抱いたりする。

阿部という存在に対し、多くの人がこういった歪んだ感情を抱いてきた。

多くの媒体が阿部について、申し分け程度に触れるのみだったり

完全に無視だったりするのは非常に不愉快であるが、つまりはそういうことなのではなかろうか。

しかし彼の高潔な精神を、開拓者としての魂を知る者、愛に満たされた音を体感した者は、

絶対的な敬愛の念で彼を見て、彼の精神に導かれて生きるようになる。

 

一人一人にこの会館への思いを尋ねていったシーンで、

観客ではなく、阿部の方をしっかりと向いて強く語った川西さんの言葉が印象的だった。

「阿部がいたから山形を知ることができた。阿部がいたから山形に来ることができた。

山形は第二の故郷だと思っている。」

それは川西さんだけでなく、奥田民生含め、あの場にいた全員が阿部に伝えたいことだった。

阿部の音楽があったから、我々はなんとか生きて、今ここにいる、と。