7/27-28 生pp(ピーアニシモ) | とらんぬのブログ

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肉を食え!!たまにエモ!人生はロックと快便!

人がその長いよな短いよなその生涯で創る美の数には限界があるのだろうか。

永遠と信じられた才能が突如として消え、地の果てに去り、積み重なる天才の屍の山々を日々眺め、

屍になることも出来ず風に漂いあらゆる場所に舞い降り、寄る辺を探す何の変哲もなき凡人の自分は、

かつて世界から消失されかけながら再びこの地に戻り未だ輝きを増し続ける神を見にきた。


努力により揺るぎなき何か、精神の不動産というべき力を得るのだが、

その獲得に至る行程の永遠の長さが耐えられず我々は倒れていく。

そこにある手近な喜びを、我々が苦痛を味わわないくとも手に入る誰かの結晶を求める。

自分自身の感覚を凝縮させて絞り出す作業より、誰かの成果を見ていたいのが人間だ。

暖かく柔らかい方に人間は流れる。

 

阿部は努力というものを、それを自然な行為として受け入れ、息を吸うように血を流す。

我々が常に諦めている揺るぎなき何かを求めて創り出し、更に精錬させていく行為を、

この夏の日、6月に突如神戸の端っこの洋館にやってきた魔法使いが、

横浜の見慣れた海辺の街に新緑の森とともに現れる、とのことで。

神戸の激戦はご存知の通りだが、横浜もなかなか大変で。

とりあえず両日2ndを確保できたものの、毎回1stはメニューが違うので気になってはいたものの、

当日券を求めてやってきた人がかわいそうだなあ、と控えていたので、27日2ndから参加である。


いつものユニコーンライブと違い、会場はモーションブルー横浜。

ブルーノート系列のおしゃんてぃな会場なので、その場の雰囲気を壊さぬように

とにかくめーいっぱいおしゃれして丁寧に化粧していく。

で会場着いて毎回思うのだ、「やりすぎた」wwwwwwww

番号は100番を超えてたが、1人で参加なので後方ながらある程度視界が確保出来る場所に。

で、またこれもおしゃんてぃな青いカクテル(ただしびっくりするほどアルコール薄い)飲みながら待つ。


そして主役たちの登場。なんぞこれwwwwwwwwww

あのおなじみのギンギラギンのジャケットをゆーたさんまでwww
♪ブルーモーションよこ~はま~♪と「ブルーライト横浜」の替え歌wwwwwww
ここおしゃんてぃな空間じゃなかったのかよwwwwwwwwww

 

で、先に登場したのがゆーたさん。

ゆーたさんといえばあらゆる一流ミュージシャンの寵愛を受けるスーパーサブのイメージだが、

16年ぶりにアルバムを出した、とのことで、ファンはよく待ったねえ・・・
地に足を付けながらも青春の夕陽の色をいまだ思い出すような、

ろ苦くも美しい音の世界をじっくりと味わう。素直に良い曲だなあ
ゆーたさんの最後の曲で阿部が登場し、幸せに満ち溢れた共演を披露。
この中にずっと浸っていたいなあ、という空気を残した中で、阿部のコーナーへ。

 

魔法使いが世界に光を注ぐ。
今回ピアノの中にライトが仕込まれていて、光が上蓋に反射して、ピアノが宝石箱のようだった。

そして心の赴くままにピアノ内部をティンパニか木琴のバチの叩き始める。
阿部の手にかかればピアノは鍵盤楽器とだけでなく、打楽器に、そして精神を映す鏡になる。

そこにあった単なる楽器であるはずのピアノには人格、楽器格があった。

聴覚と同時に視覚としての享楽をもたらし、阿部の意志、阿部の意義を全身で翻訳していた。

それからの1時間、阿部は自らの特殊な魔法で、

全く別人のような、それでいて本性をさらけ出しているかのような、

はるかかなたの宇宙の魂か、どこか知らない異世界から召還した精霊か何かとなって、

いつものユニコーンの状態とは違う、ピアノを介した生命体となる。

 

阿部はユニコーンにおいてはミュージシャンでありエンターテイナーでもありアイドルであり、

色々な仮面で我々を楽しませてくれるが、ソロでは魔法使いまたはシャーマンという仮面、

いや本来の姿かもしれないが、その音、そして行為でこの日常の世界から我々を切り離す。

その魔法か手品か、奇跡かイカサマか、いつのまにか異空間が目の前にあるが、

それは突然落とし穴に落っこちて現れたけばけばしい世界ではなく、

ゆっくりと森の中を歩いているうちに、同じ森であるはずのその木々の細部が明確で、

葉の1枚1枚が煌いていることではじめて、神隠しにあったことに気付くような、

喩え難く静寂に包まれた魔法であった。

ゆっくりと魔法に飲み込まれた別次元の旅の最中、我々はそれを現実だと思っている

現実はこれほど美しいのか、と。

 

阿部自身、自身の魔力で世界から切り離され、どこの世界にたどり着くか判っていないが、

そのたどり着いた場所で、普段見えないものを見つめながら、

それが創り上げられた過程を描くタピストリを永遠の時間を要するような丁寧さで

ひと針ひと針織り上げるように、世界を音で翻訳していく。


神託だ。

演奏でありながらこれは阿部の中に在る神との対話そのものだ。

強烈に個人的な行為を舞台上であえて見せているのか、

舞台のためにその行為をショーとして整えたのかはわからないが、

最も困難で苦痛が伴うことさえある、自身を見つめ内なる神と対話する行為において、

阿部は音という手段をとっているのだ。

観客だけでなく本人も世界と異世界の陰影を見つめ、緊張の糸は更に張りつめられていく。

阿部の時間は1時間弱で、普通なら6,7曲できる(ゆーたさんはそれくらいやってた)のだが、

実際に演奏されたのは3,4曲(2ndはアンコールで1曲追加)のみであった。

しかし「のみ」という表現はそれは単なる曲数のはなしで、

1時間弱に凝縮された、音を介した宇宙誕生から終焉そして再生の物語の現出は、

時間など感覚に過ぎない、という真実を細胞レベルで我々に注入した。

今回3回ステージを体験したが、それはどれも違う演奏で、

そこで起こっていた演奏というか現象に包み込まれて飲み込まれ、全身で受け止めた心身は

緊張から解放された後、脳内は謎の高揚物質で満ち溢れ(おそらくセルトニン)、

極端な表現力の低下が一時的に生じ、ツイッターの皆さんにサイド会場外で会ったと

「あああああ」しか言えないレベルになっていた。

あ、そうだ、これは、阿部の魔法で、再度この世界に生まれ直したのだ・・・

 

そうか、世界は言葉でも光でもビッグバンでもなく、阿部ではじまったんだ!

どう考えてもおかしい思考だと思うが、この考えは絶対に正しいと断言出来るので

論文にして発表すればノーベル賞獲れると思う(自信満々)。

ユニコーンでもそうなんだけど、特に阿部のライブに行くと、曲・演奏がどうこう、というより、

これまで刺激されたことのない精神の奥に光が当たったり振動が生じたりで、

聴いたことより体験した、という感覚が激しく残る。

それに近いライブが、音楽性はぜんぜん違うものの個人的にはSIGURROSなんだけど、

そこにはなかった世界を音により創り上げられ、最終的に意識が軽く遠のくような感覚の中で

音を通して自分の精神を見ている、という現象が起こる部分が共通しているのかも知れない。
で1日目2ndがあまりにもすばらしすぎて、当日券を求めてかもしれない誰かを思って

1stを控えたあの優しい気持ちは一瞬で吹っ飛んでその場で2日目1stを購入してしまうw

 

全ての回で全く違う音が、違う世界が繰り広げられる。

阿部は音楽だけを作っているのではない。

その時響いた神々の逸楽や情欲を、光を、言葉を、感情を、自分自身を、宇宙を創っている。

2日目が顕著だったのだが、脳の奥で何かが起こって、

現実に足をついたまま夢の向こう側で舞い踊り、それでいて現実がはっきり見えた。

目の前でライブが演奏されているのに、それは自分の深淵で起こっていて、

普段はどこにあるかわからない自分自身の精神に触れていた。

かつて阿部は自分自身を探し求めて夢と現実の間を、そして生と死の間を彷徨し、ついに見出し、

そしてそこに種を植え花を咲かせ、その実を皆に分け与えている。

ただしそれは弱きものにとっては劇薬のような禁断の実かもしれぬが・・・


しかしBeautifulDayは本当に名曲だわね・・・あと阿部の開店休業ってはじめて聴いたなあ。
次の生ppはゆーたさん曰く未定とのことだが、是非というか絶対第2回やって欲しい。

阿部のことを近くでよく知る人にこそにもこの世界を体感してほしい。
いや、やはりこのライブを見ないままのほうがいいのかもしれない。

あまりにもパーソナルな精神をさらけ出しながら宇宙の高みにいる阿部を体験してしまったら

これからどんな風な顔をして阿部と接すればいいかわからないだろうから・・・

 

で、あまりにもライブが凄過ぎて、その興奮をどうにかしたくて、

思春期の性欲の発散じゃねえけどw、とりあえず山形の月山に登山してきました。

 

月山まじおすすめ。