冬の山形旅行 鶴岡・寒河江・西川町 | とらんぬのブログ

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肉を食え!!たまにエモ!人生はロックと快便!

1月に神の衣(=ユニコーンの衣装)を見るだけのために山形行ってきたんすよ。

サクランボーでコラボした月山ビールのある西川町の『道の駅にしかわ』で

神々しい衣を拝み、月山ビールとコロッケを味わい、そして併設の温泉を堪能したのである。

ついでに蔵王に行って、樹氷も見てきた。
自然の創り出す世界とは圧倒的に高額で困難な芸術だろうなあ、と。

なおあまりおすすめはしないが、雪を口にしてみてほしい。

あまりにもサラサラで、これまで口にしてきた雪、というか食べ物とは比べ物にならない、

不思議な感覚で、口の中を過ぎ去る。溶けるのではなく、過ぎ去る。

その消滅はあまりに一瞬の出来事で、粉雪という目の前の存在が本物かどうか

わからなくなるほどに瞬間的に消え去るのに、あるはずもない甘味が口に残るのだ。

何度も思い出そうと口にしているうちに指先や顔が凍り付き始めるもやめられなくなる。

異常な恍惚と甘美の悪の中で軽い凍傷&遭難体験ができて、悪天候の蔵王マジオススメ。

で、さっきの西川町『道の駅にしかわ』にて、スタッフの方から教えていただいたイベント、

雪旅籠の灯り』、凄いときには6mにもなる豪雪を生かして昔の町を雪で再現し、

その街並みをろうそくで照らすという、何とも暖かく奥ゆかしく素敵そうで、

これは是非行ってみたい、と思ったのだ。

 

ということで1月に引き続き2月も山形に行くことになりました。

今回の旅は鶴岡市からスタート。

朝5時半に夜行バスで東京から鶴岡に到着。6時にホテルの温泉で疲れを癒す。

雪降る露天風呂から地上を見ていたらガンガン除雪車が降り積もった雪を整理していて

その上からまた雪が降っていて、奥には白い頂どころか全体が真っ白な山々。

北国の冬の色彩は本当に白い絵の具で9割描けるんじゃなかろうか。

暖かい都市部に暮らす人間になじみのない光景で、もはや異国に来た感覚である。

 

7:50に出るバスに乗り込み、国宝・五重塔へ向かう。

随神門を降りると、

バス停埋まっとるwwwwwwwww

いや全然笑えないんだけどどういう表情すればいいかわからんから笑うwww

 

で、随神門周辺も雪まみれで、しかも最初に下り階段なのだが、

そもそも階段が雪に深く埋まってて全く見えない。

道が凍り付いていたりすることを考えて、簡易版チェーンスパイク持ってきたが、

新雪がやわらかに降り積もっているので、スティックのが安全かもしれないね。

なお服装はセーターの他はほぼ山登りの格好に近い。

 

で、歩くこと10分。

観光シーズンならば聞こえるであろう人々の声もなく、ひたすらの静寂の中にて、

構造物自身の声が聞こえんばかりの圧倒的存在感に寒さを忘れ立ち尽くすのみ。

 

なお横から見ようと横道に行ったらズボボボボって雪の中にはまったwwwww

いやまじで危険すぎて、近づきたかったがあきらめました。また春に来ます。

 

で、冬以外であればここから1.7kmの2446段の階段を約一時間かけて登り、

出羽三山神社に向かうのが普通なんだが、この雪の中で勧めるのだろうか・・・

とりあえずそちらの方向に向かってみると、一応足跡があったので行ってみる。

 

・・・おい・・・死ねるぞこの道wwwwwwwwwwwww

まず雪深いので何回もズボズボはまる。

階段がないので雪の上をほぼ斜めに進んでいく。足への負担が半端ねえ。

15分くらい登りつづける。雪が降りしきっているのに汗をかき、セーターを脱ぐ。

そして振り返ると自分を沈黙したまま見下ろす木々、または木に化けた聖者。

 

雪が自分のリュックにあたる音と、自分の心臓の音以外、何も聞こえない。

ここには冬の世界以外何もない。

では自分が目にしているこの足跡は何者の足跡なんだ。

魂を清める山伏のものか、魂を引きずり込む悪魔のものか。

ただ後に戻るにも、既に酷く高く面倒な遠い場所に来てしまった。

戻るのも勇気だとわかっているが、それを判断するほど冷静でもなく、

ともかく足跡をたどり上に上がっていった。

何が怖いというと、ゴールまでの目標物がない。

小さな小屋や神社は通り過ぎるものの、その名も存在もすべて雪に沈んでいる。

最初はあまりにも美しかった聖域を彩る雪の杉並木は、

ただ高みの世界から見下ろすのみで疲れた人間を包み込みなどしない。

聖者の仮の姿などではない。それはとにかく冷ややかなる高みを生きる木々だ。

当たり前の事実を思いながら進んでも進んでも一切光景が変わらない。

ただ脚の痛みと極寒の中の異常な熱さともに何十分と過ぎていく。

 

ここはどこだ?

果たして、私が危険を回避するため踏みしめているこの足跡は、

本当に頂上に続いているのか?

もしかすると行き倒れた山伏の凍死した姿を目にすることにはならないか?

流れている汗が熱さのためか冷や汗なのか分からなくなってくる。

ここがどこかわからないと、次の一歩を踏み出すのが面倒にすらなる。

とりあえずヤッホーと叫んでみるが、自分の声が響くのみで何も帰ってこない。

山中は静寂だ。人生のごとく。

 

誰一人、鳥一匹いない新雪の中で孤独に歩むのは命知らずなのか、

ただ命の尊さを軽んじているのか。

一つ思ったのは、こんな場所で死ぬのはごめんだ、ということ。

ただでさえひたすら静かな生だというのに、死さえも静かであるのは許しがたい、と。

怒りは自分の人生の原動力の大きな一つであるが、

雪の中を進むためのエネルギーとなったのも静寂への怒りであった。

怒りは強い。

 

そして見えた。明確な目標物。

出羽三山神社・羽黒山頂大鳥居。

厳かな赤をくぐる。

 

おいこら道がねえじゃねえかwwwwwwwwwww

山伏の足跡ももうないし、ほとんど勘で進んでいくと、

やっと車道らしき整備された場所を見つける。

てか山登りの時にはひたすら曇って雪だったのに、晴れてきたwww

綺麗だけども何か納得できないwwwww

 

冬場は豪雪のため入られる施設がほぼなく、

本殿にも表からは入れないので、参集殿から2階に上がっていくという。

ちょうど白装束に身を包んだ参拝者が祈祷を受けている最中であった。

奏でられる読経と打ちつけられて響く太鼓を後方で聴きながら、

この世の時間の感覚とは別次元のものを冷気の中で思い、

日常の忙しさの中で朽ちていく毒々しい心よりは少しだけ清らかになる。

晴れやかな中でほんの少しだけ整備された散策し、

今度は春に来て精進料理も食べたいなあ。

で、レストハウスで玉こんを食べ、ついでに思わずあの絵はがきを買ってしまう。

 

この前綾町に行ったときに絵はがき買っておけば『どうでしょう』ごっこできたのになあw

 

で、冬に出羽三山に行く人に。とりあえず声を大にして言います。

五重塔から出羽三山神社への

雪中行軍まじ危険!!!!!!!

冬は車で出羽三山神社に行こうね!!!

まあ言わなくても普通の人はそうするわwwwww

 

で山頂からバスで地上に戻っていく。

次の目的地に効率的に行くためのルートとして、「南銀座」というところで乗り換える。

これがまるで路線バスの旅的に、12:40頃到着して12:48頃にくるバスに乗るという、

ちょっとでもタイミングが悪いとすべて意味なしという、ややスリリングな状態だったが、

うまくタイミングが合って乗り換え成功し、「南岳寺前」に到着。

 

山形は即身仏が多く残る地域である。

即身仏、つまりは自己犠牲の精神に基づく自主的なミイラ。

即身仏に至る過程は数年にも及ぶ体の成分自体の作り替えを含む、

心身を打ち砕くような修行を経た上で、更には気候の条件等が整わないとできない、

苦痛と異常と偶然が完全なバランスで重ならないと完成しない。

書こうしたわけでもないのに歯や爪もきちんと残っていて、なかなかすごい。

グロいものが苦手な人でもそれほど怖くないと思う。

なお12年に一度衣替えをするとのことで、その衣の端切れを入れた御守を購入。

 

今であれば貧しさから人々救うのは科学や雇用創出や社会保障制度とかだろうが、

基本的に農業が社会の中心にあった時代、天候不順等で苦しむ人々を

即身仏という自己犠牲によって救う、というのは、現代の目線で見ると

非科学的で無駄かつ自己陶酔的な意味不明行為でしかない。

しかしながら当時の僧にとって、災害に苦しみ朽ちていく貧しき人々に

自分ができる唯一かつ最も高尚な方法が、それ以上の苦しみでもって仏に祈り、

更にはその身を、その魂を捧げる、という方法しかなかった時代、

その苦痛を選んだ僧の思いについて、お寺の方の講和を聴き、

目の前に在る、既に死んだはずの僧は、精神として生き続けているのだなあ、と。

誰かを幸せにするために、私は自分を犠牲にすることは絶対できないが、

その精神を持つ者がいる、ということを理解するのは必要な気はする。

 

南岳寺から徒歩15分程度で庄内観光物産館へ。

都市間バスの発着まで少しあるので色々食べてみる。

てか、せっかく色々あるのに、イベント限定ラーメンとか出てたので

山形に来てまでラーメンを選んでしまうw

でも山形ってラーメン消費多いから正しいっちゃ正しいねw

チャーシューの味が濃くてボリューミー。

あとはだだ茶豆アイスとだだ茶豆団子。

どんだけ豆好きやねんw

 

で、14:35、バスが来たので寒河江まで行く。

寒河江SAにてトマトサイダーを飲んでうまー。

そしてラ・ネージュなるフルーツを発見し購入。

なお後で調べたんだが、ほとんど生産者がいないので、

あまり首都圏には出回らないらしい。

家帰ってから食ったがラ・フランスのさわやかバージョンみたいな味でなかなか素敵。

これは本当に買ってよかった!

 

で、本日2回目の温泉。

ホテルの横にある「ゆ~チェリー」という温泉施設、これがなかなか良い。

駅からは遠い(と言っても2km)が、寒河江SAの目の前なので、

都市高速バスで来た人には非常に使いやすい。

そして露天風呂の目の前が山と川で、

思わず何度も素っ裸で仁王立ちしてしまうほどに素晴らしい眺望。

家の近くにこんな温泉と光景が欲しい。

 

体をあっためた後、2kmほど歩いて寒河江駅へ向かう。

農村の夕暮れ。絵画のように美しい。そして人がいない。

車は見るんだけど誰一人歩いていない。本当に車社会なんだろうなあ。

 

とりあえず寒河江駅でバスに乗り、本日のメインイベント、雪旅籠の灯り会場へ!

これが結構遠く、途中から道路の横にそびえたつ雪の壁がおっそろしく高くなる。

確実に雪道に慣れてない人なら事故起こすだろうなあ・・・

 

そして会場到着。

わあ・・・

ええやん・・・

優しい光やなあ・・・

凄く小さなお祭りだけど、何となく懐かしい、心があったまる感じだ・・・

 

しかし、この光の美しさも素晴らしいのだけど、とにかく夜空が凄かった。

都会にいると夜空の色は黒くない。灰色混じりの藍色、とでもいうべきか。

ろうそくに見惚れたあと、空を見上げると、見たことのない漆黒と、

オリオン座が判別できないほどに空を覆い尽くす豊穣の星。

いつも見ている空と同じはずなのに、この黒を、この光を、私は知らなかった。

多分、ろうそくを見る時間と夜空を見る時間は同じくらいだったかもしれない。

雪とろうそくの白とオレンジは心を穏やかに、晴れやかにしたが、

空を彩る黒と金はある意味心を乱し、畏れ多き何かを感じさせた。

これはなんという感覚と呼ぶべきなのだろうか。

おそらく多くの人が未知の色彩を前にして、ふさわしい表現も思いつかず、

ただただ尊き色の中に飲み込まれてしまうと思う。

まだ西川町に行ってない人は是非、晴れた夜に空を見上げてほしい。

 

なお会場には食べ物ブースやバーがあったりする。

アイスバーは唯一ブルー系で適度にちゃらくて良い。

ホットワインがまじで冷えた体にいい感じ。

 

雪の滑り台はまじスペクタクルw

体験してきたがなかなか怖かったw

 

あと月山のゆるきゃらもいた。

かわいい。

 

そんなこんなでシャトルバス発車時間なので戻る。

早いなあ。今度来るとしたら早めに予約してここに宿泊しよう。

場所が想像以上に遠くてこじんまりしてるし、宿泊場所もほぼないので、

これ以上キャパが増えると成り立たないだろうなあ。

すでにゆっくり楽しむにはかなり難しいだろうけど、ゆるゆると静かに長く続けてほしい。

良い祭りでした。

 

なおオチだが、帰りのシャトルバス乗り場の待つ場所を間違えて積み残されたwwww

ずっと駐車場行きのバス乗り場に待っていたというwwwwww

偶然山形方面に帰る人がいて乗せてもらえたおかげで助かった…

やはり阿部ファンはどこかスットコ…というよりこれは自分の注意力散漫ですw

なお車に乗せてくれたおじさんに、

ユニコーンのおかげで何度も山形方面きてる話をしまくってしまったが、

おじさんはユニコーン知らなかったw

 

ライブ以外で定期的に旅にでるのは自分の行動や意識を見つめ直すのに

意義あるなあ、としみじみ思った。

田舎は本当に不便である。

こんな風にバスに遅れても、都会であればがんがん次の便が来るが、

田舎は一本逃せば全て終わってしまう。田舎のシステムとは苛酷なのだ。

その苛酷さを皆が知っているが故、都会であれば『自己責任』と

切り捨てられるような今回の自分のような失敗を助けてくれる人がいたりする。

効率性や利便性は人間が多くいないと成立しない。

だから人間が少ない地域では、自分自身で自分そして他人に対して

効率性や利便性を作り出すようにして、互いの暮らしを支えている。

 

雪だってそうだ。都会の人間が妄想するようなやわらかで優しい雪なぞない。

人は押しつぶされぬように、雪を命がけで高いところから降ろす。

すべての物事に対して抱く感情が違うのだ。

 

都会という、ある意味人に優しい、分刻みで効率的な24時間稼働可能なシステムが

都会人の他社への無関心を可能とした。

おそらく都会であれば、私がバスの待機場所を間違えたことは自己責任として処理され、

自分もそのまま受け入れて、数km歩くなり、近くのホテルに泊まる等の対応ができるが、

物事への対応時間の単位が「分」ではなく「時間」や「日」である田舎においては、

今回のようなトラブルへの対処法が一切ないわけで、

自身が危機に陥る場合を思い、困難に陥る人を助けるシステムとしての

「あらら仕方ないねえ。助けてあげるよ!」の精神があるのだろう。

ただそういう精神に出会えることはほとんど偶然に違いない。

それがない状況で私は氷点下の中生き延びられるか…と思うと、

ここ最近、いや、小さな頃から続いている注意力欠陥を何とかして改善せねば、と

心に言い聞かせるのである・・・が、きっと忘れてしまうのだろうな・・・

 

まあとにかく良い旅でした。

てかさあ、何で『ことりっぷ』とか『タビハナ』は山形特集の本がないんだ!!!!!

情報集めるの大変なんだよ!早く発売しようよ!

ユニコーンファンが自分らで詳しい旅行雑誌作ってまうぞ!