新世代ジャズを牽引する注目のアルトサックスプレイヤー
矢野沙織
男性ミュージシャンをバックにライブハウスのステージで堂々とサックスを披露する、ヘアケア用品『アジエンス』の新CM。もう目にした人も多いのでは? 登場しているのは、アルトサックスプレイヤー・矢野沙織さん。ライブシーンで流れている曲は、CMのために自身が書き下ろした新曲『I&I』。これに今までリリースした4枚のオリジナルアルバムから選んだ12曲を加えたベストアルバム『矢野沙織BEST ~ジャズ回帰~』を発売。そこで今回は、内面からの力強い美しさを持った"アジアンビューティ"の個性と才能に迫りました。
ジャズ・アルトサックスプレイヤー。1986年10月27日生まれ。東京都出身。 9歳のときにアルトサックスを始め、14歳で自らジャズクラブに出演交渉を行いライブ活動をスタート。わずか16歳でジャズの名門・SAVOYレーベルよりデビューアルバム『YANO SAORI』で衝撃デビュー。日本にとどまらずN.Y.でもライブを重ね、ジミー・コブやスライド・ハンプトンなど巨匠との共演も果たし、着実に評価を高めている。一方で『報道ステーション』(テレビ朝日系)テーマ曲に起用され、世に新世代ジャズの到来を知らしめた。
▼矢野沙織公式サイト
http://yanosaori.com/
音楽は音楽、私生活は私生活なんです
ーCM出演は初めてだそうですが......。
矢野 (CMキャラクターに選ばれたと聞いて)もうびっくりしました! しかも「覚悟しておいてね」と言われていたから、撮影前は不安で。だって、初めてだからどうしていいか分からないじゃないですか。「ライブシーンでは、サックスを両サイドに振るようなオーバーアクションで吹いたほうがいいのかな」とか。でも、実際のパフォーマンスでは全然やらないんです。そのことを伝えたら「そのまんまでいいよ」って。幸いなことに演技もセリフもなかった。だから、歩くシーンも含めて、全てが"素"でできたのは良かったです。『I&I』も好きに作っていいよと言われましたし。
ーでは『I&I』は自分なりにテーマを決めて?
矢野 いやー、実は何も考えてない(笑)。いつもそう。なぜなら、例えば「海を見たから●●」とか「失恋したから●●」っていう感情と曲作りがあまりリンクしないから。音楽は音楽、私生活は私生活なんです。だからいつも作曲するときは最初からイメージを考えないようにしています。そのとき自分が吹きたい曲。それが一番。しかも今回はCMの仕上がりがどんなものになるのかも分からなかったので、余計に。
ーそしてCM出演を機に、ベストアルバム『矢野沙織BEST ~ジャズ回帰~』をリリース。なぜ今、ジャズを回帰しようと?
矢野 そんな大層な理由はないんです。私自身、ジャズの長い歴史の中の限られた年代の音楽しかやっていないので。ただ、アルトサックスプレイヤーである20歳の私の役割をまっとうしたいな、と。私の役割って、きっと同じ年代の人たちにジャズの存在を知ってもらうこと。音楽のブームを作るのは若者ですからね。でもジャズの需要は少ない。触れる機会もないんですよね。そういう意味でCM出演は大きなチャンスだった。「この子はジャズをやってるんだな」って知ってもらえる。
せっかくこんな機会を頂いたんだから、私が今までやってきたジャズを、1920年代のビリー・ホリデイから2007年の『I&I』まで、歴史を辿ってやっていけたらなと思い、この1枚が完成しました。どんな風にアルバムを聴いてほしいか尋ねると、「もう音を出した時点でお客さんのものだから、そんなずうずうしいことは言えません。アルトサックスを始めたとき、家で練習すると"うるさい"って怒られるくらい普通の家庭に育ったので、聴いてもらえる状況にいるってだけで幸せ。だから自由に、好きなように聴いてください」と、とっても謙虚な矢野さんでした。
コンビニの前に座っている方が勇気のいることだった
ー矢野さんとアルトサックスの出会いは小学4年生の頃。ブラスバンド部のじゃんけんで負けて始めたと伺いましたが(笑)。
矢野 はい(笑)。しかもそのブラスバンド部も何か楽器がやりたくて入ったわけじゃないんです。友達が入るから入っただけ。だから、みんながフルートをやりたいと言えば、「私もフルートをやりたい」って立候補して......最後に残ったのがアルトサックスだったんです。それが、やり始めたら面白くなって、これでご飯を食べたいなと思うように。
当時は音楽に対して何の先入観もなかったので、音楽好きの父親の影響でどんなCDでも聴いていましたね。小学校5年生でチャーリー・パーカーと出会ってからジャズに傾倒していくんですが、JB'Sも安室ちゃんも同じフィールドで好きだった。ただ、チャーリー・パーカーは自分と同じ楽器をやっているというので、親近感が湧いたんでしょうね。チャーリー・パーカーになりたいなと思ったんです。
ーそれからは独学で学び、14歳にして自ら東京中のジャズクラブに出演交渉を行い、ライブ活動をスタート。
矢野 小学生のときから、「中学卒業したらN.Y.に行くんだろうな」と漠然とは思っていました。プロになるもんだと思い込んでいたから、全く進路に迷ったことがなかった。でも、実際にどうやったらプロになれるかなんて考えてもいなくて......。あるとき、同級生たちと進路の話になったんです。実はそれまで、「みんなそんなに考えていないだろう」、「自分が一番優秀に違いない」と何となく安心してた。でも予想に反して意外としっかり将来を見据えてた。すごく焦りましたよ。そんなとき、たまたまビリー・ホリデイの自叙伝を読んだんです。14歳のときにはライブハウスで歌って生計を立てていたと書いてあった。それで「あ、もうその状態は絶対プロでしょ」と。
ー中学生でライブハウスはなかなかOKしてもらえなかったでしょうが、すごい行動力ですね。
矢野 そのときは何もやらないでコンビニの前に座っている方が勇気のいることだったんで。とっても焦ってましたからね。だから、行動力があるわけじゃないんです。やらなきゃと思ったら、どんな人でもやるものなんですよ。引きこもりだって、きっと地震がきたら外に出ますよ。
難航した出演交渉の中で、たった一軒だけ興味を持ってくれた『西新井カフェ・クレール』。「マスターはシャイだから『俺が矢野沙織を育てた』なんて一切言わないし、きっと思っていない。だから、面と向かってお礼を言う機会はないけれど、感謝しています」(矢野さん)
今があるのは、”若くて珍しい”から。それだけの事
ー自分で切り開いたジャズ・アルトサックスプレイヤーの道。正式な音楽教育を受けたわけではなく、ライブハウスでの実践で磨いてきた。雑草派ゆえの強みとは。
矢野 アルトサックスを始めた時点で先生に付かせてもらっていれば、今頃、超エリートだったと思いますが(笑)。例えば、小さいときから先生にずっと付いて→楽器を身につけて→ジュリアード音楽院に行きました、と。もちろんそれは素晴らしい経歴ですが、卒業したときには少なくとも25,6歳になっている。それでデビューしてもジャズの世界では十分若いんですよ。でも、女子高生がビバップ(モダンジャズの起源ともいわれるジャズの一形態)をやりますってことと比べると、はるかに印象が薄い。私がびっくりするような方たちと共演できたのはなぜか。"若いから珍しい"。それだけのこと。おかげで大学で勉強するよりもたくさんのことを実践で学べたと思います。それが今の強みかな。
逆に、大学へ行って、サークルに入って、飲み会に顔を出して、「やだー、先輩に告られちゃったぁ☆」とかはないので、それは大学生活のうらやましいところ(笑)
ー5年後にはどんな女性に成長していたい?
矢野 女性として健康的でいられれば。私はまだ子供だから、セクシーを語るには早いと思いますが、"健康=一番のセクシー"だと。男性の本能からしてもそんな気がする今日この頃です(笑)。
ーアルトサックスプレイヤーとしては?
矢野 前述したように、同世代に対してジャズの窓口を広げる役割を担いたいけれど、それはいい意味でも、あと5年。要はそれまでは"若い女の子"でいられるんです。でもそれだけじゃ、賞味期限がありますから。それまでにいろんな譜面が読めて、いろんな音楽ができるよう、音楽家として最低限の技術は身につけておきたい。優秀な音楽家を目指します。
ー最後にエスカーラカフェ読者にメッセージを!
矢野 普通のライブに行く感覚でジャズを聴きに行ってもいいんじゃないしょうか。私自身、ジャズを全く聴いたことがない人にもなるべく分かりやすく、そしてなるべくカワイイ格好をして出ようと思っています。もし聴いてみて、嫌いだったら仕方がないです。でも好きと思えたらシメたもんじゃないですか。そうなれば、みなさんの心が潤い、私が潤い(笑)、素晴らしい相乗効果。だから、"取りあえず"、聴いてみてください。
『矢野沙織BEST ~ジャズ回帰~』
2940円(税込み) 特典DVD付き 好評発売中
発売元/columbia music Entertainment.Inc.
パンチと情感が身上。「まだまだあるぜ、パッションが!」
ウィッグにツケ睫毛、革のミニスカに網タイツ。バリバリの60年代ファッションに身を包み、昭和の歌謡曲やブラックミュージックを情感たっぷりに歌い上げる。ソウルフルな歌をつなぎ、ノリのよい爆笑トークでわかせるライブは、「オモロうてホロリと泣ける」と、大阪を中心に大人気だ。 ラジオのパーソナリティとしても活躍する大西さんのインタビューは、お笑いサービス満点!元気をもらえる、まるでトークショーな時間でした。
大西ユカリ
1964年生まれ。大阪府富田林市出身。高校卒業後、大阪市内の「TAKEO KIKUCHI」に勤務しながら、夜はライブハウスをめぐりスナックで歌い始める。96年、ソウルバンド結成。91年、バンドメンバーと結婚。夫婦で神戸にソウルバーをオープン。95年、歌への思いを断ち切れず、離婚を決意。2001年、「大西ユカリと新世界」結成。02年、CDデビュー。
http://www.hustle-records.com/
昭和歌謡を歌う威勢のええねえちゃんとして評価してもろた 「おもろいポーズとって、って言われない撮影は久しぶりやなあ。普通の方が、なんか照れくさいわ(笑)」
ーとても印象的なアルバムタイトルですね。
大西 昭和の歌が残ってるイメージが出したくて、「仁侠」という言葉にひっかけて「残唱」いう言葉つくりました。この造語、明朝体で書いたらなかなかええ雰囲気出ますやろ?
前作はデビューさしてもらってから5年目の、ありがとうございます!いう気持ちを込めて一生懸命つくった優しいアルバムやったんですね。つくり終えた時点ですぐ次作の構想はあった。まだまだあるぜパッションが!次はカバーだ!ってね。1枚目では、昭和歌謡を歌う威勢のええねえちゃんと評価していただいて、その後、私、ソウルやらR&B、ブルースとか黒人音楽全般が文化として好きですから、それにうまいこと日本語はめて曲つくってきたつもりなんですけど、ともすれば大西ユカリと新世界はどこいくのよ、いう意見もあって、決着つけたいとこあったんです。
ー数あるカバー曲の中から、今回の選曲にテーマはあるんですか。
大西 入れたい曲がようさんあり過ぎて、「どないしよう」と思ってた時に、co-producerのベースの森がアドバイスくれてね、脚本家のつもりでストーリーつくったら、アルバムに一本筋が通るんやないかと。そこへリンクする好きな曲をはめ込んでいったんです。10代の女の子がやさぐれてね、ゴーゴークラブ行ったりとかして歌いながら恋もして、最後なったらお母ちゃんゴメンな、っていうストーリーで、ラストの曲はエンドロール。一本の映画を1枚のCDに収めたつもりです。裏切られても悲しくても貫きたい自分の恋心みたいなところを出したかった。自分にも投影してるところあるなあ。女の人なら、ちょっとええな思う人ができて、ちょっとうまいこといきかけたら泣きますやろ?そういうのを出したかった。
クレイジー・ケン・バンドの横山剣とは20年のおつきあい。「剣ちゃんはもっと早うに売れてもよかった。ほんま昔からええ歌いっぱいあったから。まだまだ引き出しのある人やね。見てると励みになります」
よぉ働いて、よぉ遊んだ25歳やったなあ。
ーDCブランド全盛期にブティックに勤めていた大西さん。今日もさりげなくかわいいピンクのジャージとスリムなジーンズでお洒落ですが、ステージでの衣装とメイクはガラリと変わりますね。
大西 普段はね、基本はスカジャン。舞台では、アメリカのブラックソウルミュージック歌う女性シンガーが格好ええと思ってましたから、それでこんなことになってしもたんですわ。素のままではなく、ちゃんと衣装を身につけて出てくるスタイル。お客さんにライブチャージいただいているわけですから、ステージ上には虚構性、憧憬を出したいんです。
ー大西さんの25歳はどんな時期でしたか
大西 よお働いたし、よお遊んだわー。大人になった気もしながら、まだまだこれからやと、嬉しくてしゃあなかった。節目ごとに目標たててきたからね。25歳はバンドしっかりやろうと心に決めてた。よく歌ってたスナックで誕生日迎えたん覚えてる。恋愛も一途やったね。なんでもどんどんやっていこうという情熱があった。
私はラッキーですよ。自分で切り開いて、こうや!と決めて来られた。小4から和菓子屋さんでアルバイト始めて、中学の時にはもう、稼いだお金で好きなことができるとか、そないなことしたらもったいないいう金銭感覚が身についてたね。非行には走らんかったけど、不良な感じにはごっつ憧れてました。
今の20代の人らは、仕事も恋も始まりがないから終わりがない。恋愛の一途とか仕事への情熱がうすいんとちがうかなあ。いろんなことに敏感やし、なんでもよう知ってるしフットワークも軽いんやけど、自由すぎて大丈夫かなと心配になる。
「小さいときは郵便局の人になりたかった(笑)。ハンコ好きやったんです。郵便局の人、ぱんぱんハンコ押しますやろ?物差しでしゅーっと線ひいたり、カーボン紙とかね。文房具が好きやったんやね。お母ちゃんは私に銀行員になってほしかったみたい。で、23、4で結婚してね。そんなわけにはいかんかったなあ」
今は、手ェずっとグーなんですよ(笑)
ー歌にも人生にもパンチと情感があふれていますが、大西さんにとってパンチとは。
大西 生き方に説得力のあることかなあ。大事なものの優先順位が決まってるとか。ほんまの優しさって、嘘つかれへんとか、信念のある生き方や思うねん。私もよぉ嘘つかん。わかりやすいって言われる。そやからよく泣きますよ。悲しいときじゃなく悔しいとき。涙出る瞬間って子供の頃から変わらへんことない?ほんで、今泣かんでどないすんねん!ゆうときは出えへん(笑)。甘えたらいかん!って、育てられ方や育った時代の影響やろな。
ー大阪から火のついた人気が全国にひろがっていますが、この先は?
大西 そら、もっともっと売れたい! ひとつでも売れたら、一気にまわりのみんなが潤うんです。このアルバムかてすんごいのができた思うてる。えらいこっちゃなー次。次もっとええのん作らないかん、どないしょう......って毎日ぐるぐる考えてまう。そやから手ェずっとグーなんですよ(笑)。売れたら、こんな悩みがもっときつぅなんねやろなー。これ、今から練習んなるなーと(笑)。自分らの年になると、いっぺんそれくらいの世界にいってもええんちゃうかなってね、せっかくやってんねんから。これからの10年が勝負や思てます
▼『昭和残唱』大西ユカリと新世界 (発売中)平成のゴッド・ネーチャン大西ユカリが歌うことの原点を見つめ直し、残された昭和歌謡にソウルを魂入。数ある昭和歌謡の数あるカバー達にトドメを刺す魂の歌血を聴け!
http://www.excite.co.jp/
music/buy/4580113675396