音魂 綾戸智恵 「大きな愛に包まれて」 綾戸智恵さん。母の介護のためライブ活動を7月に休止。「次いつ会えるか分からないけど、みんなの心の中に住み続けていたい。家賃も払わずにね」と綾戸節は健在だ
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6月にデビュー10周年を迎えたジャズ歌手の綾戸智恵さん(51)が7月、ライブ活動の一時休止を発表した。「結婚でさえ1年半しか続かなかった私が、(デビューして)10年も歌ってこられたのはお客さんのおかげ。お客さんは太陽。太陽がなかったら洗濯物干されへんでしょう」と笑ったが、年間100本以上のステージをこなしていた「ファンとのキャッチボールの場」から離れると決断したのは3年前に脳の疾患で倒れた母の介護のためだった。【西村綾乃】
「母を一人に出来ない」と、仕事場には母と2人でやってくる。この日のインタビューもそうで「今は母のことが人生の一番の目的。死に行く母をちゃんと昇天させてやりたい」と母を見つめる。
3歳で始めたクラシックピアノ。小学生でゴスペルにはまり、中学生の誕生日に母から贈られた株券を現金に換えて、高校時代あこがれていたアメリカの地を踏んだ。その後は日本でアルバイトをしてお金を貯めては渡米し、本場のジャズクラブに通った。そして米国で同じゴスペルクワイヤーの仲間だった黒人男性と結婚したが一子をもうけた後に離婚。91年に息子のイサくんとともに帰国した。
「母は何も言いません。首を絞められたりいろいろあったけど、今は仲良し。今たたいたら死にますしね。昔よりも距離が近くなった理由は母が2本足から、杖つきの3本足になって、今はその横に私がいないと食事もトイレも何も出来ない5本足になったから」。
「母は死ぬ」と自分に言い聞かせるように何度も繰り返す。「死なへんって慰めてくれる人もいるけど、必ず死ぬ。母も自分の母親に抱っこされて大きく成長した。また同じように愛されてちっちゃくなって死ぬんです。人間は棒で生まれて輪になると死ぬと思う。円になればどこが始まりか最後かも分からない。母も円になったあとは、またどっかで棒に生まれ変わって誰かになり、また円になる」。
息子と母を抱え英語の教師、観光ガイドをしながら駆け抜けた30代。40歳という遅咲きのデビュー後も、乳がんが肝臓に転移し、抗がん剤の副作用で声帯にポリープが出来てしまい、連続して歌えないなどの困難もあった。
「10年やろうとも、10年でやめるとも思っていなかった。この10年間会社と契約もしてこなかったんですもん。歌手になろうという夢もなく、家族を食べさせようと思って歌ってきただけ。求めてくれる人に鳥肌が立つようなステージを見せたいその思い。心の契約が私を素晴らしく歌わせたんです」。
舞台では150センチ38キロの身体すべてを使いパフォーマンスする。「『Tennessee Waltz』とか人の歌ばっかり歌ってると思われてるかもしれないけど、自分で作った曲もあるんですよ」。それは愛する息子のため初めて制作した「Get Into My Life」だ。
「ようこそわたしの人生へ」と名付けられた曲は、「なぜ僕はママの子なの?」と息子に訪ねられた何気ない会話が元になった。
「ちっちゃくてかわいかったんですよね。いまはどんどんおっさんになってますけど。自分の手を離れ、遠いところにいってしまうというような思いを、手紙を書くような気持ちで歌詞に込めました。私の音楽の良し悪しは言いません。7月に東京で開いた休止前のライブには来てくれましたけど。『10年間、お母さんごくろうさま』ってね」。
「単独のライブは母が亡くなるまでやらないかも」とつぶやく。「長いこと家を空けられませんのでね。単発とかはあるかもしれませんが。みなさんに次いつ会えると言えないのはつらいですが、ジャズはみんなの中にずっと住んでいるもの。家賃も払わずにね。またいつかみなさんの前で歌える日が来ればいい。あと来春公開の映画『60歳のラブレター』にイッセー尾形さんの妻役で出演しています。魚屋の女房役でね。今後は……次の日の太陽が出て考えます。来るもの拒まずです」とガハハと笑った。
〈綾戸智恵 プロフィル〉
あやど・ちえ。57年9月10日、大阪府生まれ。98年6月、アルバム「For All We Know」でデビュー。03年には、52年に江利チエミさんがカバーした米の人気曲「Tennessee Waltz」で、「NHK紅白歌合戦」に初出演した。
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