がん患者よ、近藤 誠を疑え ‥ 3 | inca rose*のブログ

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アンサー35    
放置したがんが「消えてしまう」ケースも珍しくない

• がん医者らにとっての「不都合な真実」

ー多くの人が不安に思っているのは、「見つかったがんを放置すると、がんがどんどん大きくなっていって、すぐに死んでしまうのではないか」という点なのですが。

だからと言って、「慌てて手術や抗ガン剤治療を受けると、かえって寿命を縮めてしまうことになる」ということは、これまでさんざん説明してきたはずです。当たり前のことですが、放置がんの運命は「増大」「不変」「縮小」「消失」のいずれかです。
このうち、世の中の多くの人は「増大」、すなわち「がんが大きくなっていく」のが一般的だと考えているようですが、実は、「何も変わらない」「少しずつしか大きくならない」といったケースは意外に多く、なかには「小さくなっていく」「消えてしまう」というケースも決して珍しくはないのです。

とくに、健診や検診で発見された症状のないがんについては、このような経過をたどるものがむしろ多い、と言っても過言ではありません。実際、僕は腎臓がんを放置した患者さんを何人も診てきましたが、病巣が3センチくらいの大きさのものでも、がんが消えてしまった患者さんのほうが、大きくなっていった患者さんよりはるかに多く、増大した患者さんは1人しかいませんでした。

子宮体がんを放置した患者さんも、Ⅰb期では、大きくなった患者さんが1人いましたが、Ⅰa期であれば、消えてしまうケースがほとんどでした。さらに言えば、子宮頚がんのステージ0期やステージⅠa期の患者さんの場合、僕の知るかぎり、ほぼ全員のがんが消失しているのです。


ーこれは驚きました。稀にしか起きないとされている「自然退縮」ですね。

驚くほどの話ではありません。そもそも、健診や検診で発見された症状のないがんの大半は「がんもどき」なのです。また、「本物のがん」であっても、成長速度の著しく遅いものもあれば、理由は不明ながら消失してしまうものもあるのです。実は、「本物のがん」における「自然退縮」は、海外において、半世紀以上も前から報告されてきた現象なのです。

たとえば、1950年、世界有数の総合医学雑誌として知られる『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』に、転移のあるがんが大きくならない、転移のあるがんが消えてしまったなど、自然退縮を含めたケースが報告されています。にもかかわらず、このような事実が世の人々に知られていないのは、この領域が大半の外科医らにとってのタブーだからです。このようなケースを論文や体験などを通じて知っていても、巡り巡って手術という自分たちの仕事がなくなるのを恐れ、外科医らは知らないフリを決め込んで口を閉ざしているのです。

ただし、僕がこのようなケースを世に問う場合は、患者さん本人の同意を得たうえで、編集者や記者などの第三者を患者さんに引き合わせ、かつ、カルテをはじめとして、レントゲンやCTや病理検査などの客観的データについても、第三者に確認してもらうことにしています。
それくらいの準備が必要になるほど、がん医者らにとって、僕が提示する放置療法の証拠や根拠は「不都合な真実」なのです。


• 「挙証責任」は、がん医者の側にある

ーそれでも、がん医者らは「放置療法で犠牲が出ている」などと批判していますね。

もともと、がん医者らにとって、がんは「1種類」しかありませんでした。つまり、早期がんと進行がんは連続しており、時間が経つと、早期がんは進行がんへと変化する、というのが、がん医者らの考え方だったのです。ならばなぜ、早期がんを手術したのに再発する患者がいるのか?   当然、このような疑問が湧いてくるのですが、がん医者らはそれにはまともに取り合わず、この根本的矛盾を無視していたのです。

そこに、がんが病巣の塊を形成する固形がんには「本物のがん」のほかに「がんもどき」が存在する、と主張する僕が現れたものだから、がん医者らは驚愕したわけです。この2分法ならば、先の矛盾にも明快な説明がつくからです。つまり、がん医者らが早期がんだと思って手術したのは「本物のがん」であり、それゆえ目には見えない微細な転移が再発の形になって現れてきた、ということです。

そこで、「がんもどき」が存在することについて、今度はなんと言って取り繕うのかと思っていたら、がん医者らは苦し紛れに「早期がんのなかには、放っておいても転移しないものがないわけではない」と言い出したのです。
要するに、放っておいても転移しない早期がんは例外的な存在であり、大半の早期がんは放っておくと転移するので手術は必要だ、と言いたいのでしょう。


ー「質」の問題を「数」の問題にすり替えただけに見えますが。

しかし、アンサー3で詳述したように、実際には早期がんは「本物のがん」よりも「がんもどき」のほうが圧倒的に多いのです。そして、この事実を突きつけられたがん医者らは、僕に対して「もどきが本物に変化しないという証拠を示せ」と開き直ってみせたのです。それにしても、これは医者とは思えない不当な要求です。

なぜならば、そもそも検診や手術や抗ガン剤治療を行なっているのはがん医者らであり、それらを医療行為として行なう以上、彼らはそれらの医療行為の有効性を患者や社会に示す義務があるからです。つまり、挙証責任はがん医者の側にあるわけです。
一方、それらの医療行為が有害無益であることを立証しようとする場合、僕の側は「たった1つ」の証拠を示せばそれで十分なのです。

別のケースで説明すれば、アインシュタインの相対性理論を突き崩すには、「光は重力によって曲がらない」という証拠を1つ示せばいいわけです。しかし、実際には何も示すことができないため、反証はならず、相対性理論は正しいとされています。これに対し、がん医者らの理屈は僕の反証によって突き崩されているので、アインシュタインの相対性理論とは大違いであり、正しくはないということです。


アンサー36
がん医者はがんを放置した場合の「余命」を知らない

• がん医者は、なぜ「余命」を口にするのか

ー患者が「手術も抗ガン剤治療も受けたくない。できればこのまま様子を見たい」などと言うと、がん医者らはどのような反応を示すものなのでしょうか。

僕のセカンドオピニオン外来に来られる患者や家族に聞いてもそうなのですが、もう「あること」どころか、「ないことないこと」言われます。自覚症状のまったくない治療不要の患者に対しても、手術医や抗ガン剤治療医でウソを言わない者はいません。
ウソには、大きなウソもあれば、小さなウソもあります。小さなウソをあちらこちらに紛れ込ませる巧妙な手口もありますが、とにかく、がん医者らはあの手この手で患者を不安に陥れ、なんとか手術や抗ガン剤治療に持ち込もうとするのです。

がん医者らのやり方が「恫喝産業」と称されるゆえんですが、とくに患者が「このまま放っておくとどうなりますか?」と尋ねると、がん医者らの心に「恫喝」のスイッチがカチッと入るようです。典型は「余命」です。

慶應病院時代、膵臓がんの患者さんからの急ぎの問い合わせがありました。電話に出たら、「近藤先生、私は早期のがんなのですが、手術をしなかったら『余命半年』だと言われました」と。僕は「そんなことはありません」と説明したのですが、その翌日、今度は別の膵臓がんの患者さんから電話があり、「私は進行がんと診断され、手術をしなかったら『余命半年』だと告げられました」と言うのです。
要するに、早期がんでも進行がんでも「余命半年」。その当時、これと並んで多かったのが「余命3ヶ月」で、どんな種類のどんな進行段階のがんに対しても、がん医者らは「余命半年」「余命3ヶ月」などの脅し文句を連発していたのです。


ーがん医者らは何を根拠に「余命」を口にしていたのでしょうか。

きちんとしたデータや根拠などありません。そして、その点は現在でも同じです。実は、がん医者らは、患者を手術や抗ガン剤治療に引きずり込み、間髪を入れずに治療を開始してしまうため、治療をしなかった場合に患者がどうなるかについての知識や経験が、まったくと言っていいほど欠落しているのです。
当然、がんを放置した場合に、患者がどれくらい生きるのかについても、がん医者らの知識・経験は皆無です。

そこで、がん医者らがこぞって持ち出すのが、手術や抗ガン剤治療をした場合の「生存期間中央値」なのです。
前称したように僕自身はこれを、患者・家族が理解しやすいように「半数生存期間」と言い換えていますが、生存期間中央値とは「ある治療を行なった場合に患者の半数が死亡するまでの期間」ですから、「半数死亡期間」と言っても同じことです。

要するに、患者が「放置療法」を想起させるキーワードを口にして治療にためらいを示したらすぐ、がん医者らはこの「生存期間中央値」を「余命」と言い換えて患者らを脅し、過酷な標準治療に引きずり込もうとするのです。
以前、僕は『「余命3ヶ月」のウソ』(2013年刊、ベスト新書)という本を書きましたが、僕のセカンドオピニオン外来にやって来る患者や家族の話を聞くと、その後、がん医者らは「余命3ヶ月」という脅し文句を使いにくくなったようです。しかも、その代わりに頻用されるようになったのが「余命4ヶ月」。デタラメもいいところです。


• 貴重な余命を「治療苦」で台無しにするな

ーしかも、その場合の生存期間中央値は手術などの治療をした場合の数字ですから、放置療法を選択した場合のそれよりずっと短いものになりますね。

そのとおりです。実際、手術や抗ガン剤治療などを受けた場合の生存率曲線は、治療開始直後から下がり始めます。これはすぐに術死したり毒性死したりする患者がいるためですが、放置療法の場合は、術死や毒性死はないので、進行がんでも当分は生存率が100%を保ったままです。この点も含めて、放置療法のほうが長生きできるのは確実なのです。

しかも、多くの場合、患者は生存期間中央値の意味を正しく理解していません。そのため、がん医者から「余命半年」と言われると、「半年で全員死んでしまう」とか、「半年経ったら先がない」とか、そんなふうに錯覚してしまうのです。しかし、生存率曲線が示すように、実際には半年より長く生きる人もいれば、治療を開始してすぐに死んでしまう人もいます。

たとえば、進行した膵臓がんが見つかった場合など、予後のきわめて厳しいケースにおいても、治療を開始してすぐに死んでしまう患者もいる半面、治療開始から5年後に生きている患者もいます。もっとも、患者は手術や抗ガン剤治療を受けさせられているため、この場合の5年後の生存率は絶望的な数字になります。それでも、たとえば膵臓がんの場合には、抗ガン剤治療開始から半年後に半数の患者は生きている(逆に言えば死んでいる)というのが、生存期間中央値の正しい解釈です。


ー生存期間中の患者のQOLも重要なポイントになりますね。

放置療法を選択した場合、患者は治療を受けさせられた場合より長生きできるほか、その間、QOLの点でもはるかに良好な状態を維持することができます。

手術や抗ガン剤治療を受けさせられると、その瞬間から、患者は後遺症や毒性などに苦しめられます。なかにはそのために急死してしまう患者もいます。そのような劣悪なQOLのまま、仮にがん医者らが口にする生存期間中央値を超えて生きられたとしても、決して患者の利益にはならない、というのが、僕が伝えたいことです。

そもそも、がん医者らが生存期間中央値を持ち出したということは、患者のがんが治りそうもないと判断しているからなのです。生存率を比較する場合、「生存期間中央値」と「5年生存率」という2つのポイントがあることは、アンサー34の図3のグラフのところでも説明しました。つまり、患者のがんについて、がん医者らが治る見込みがある、つまり実質的に「がんもどき」だと判断していれば、「5年生存率」を示して患者を言いくるめようとするはずなのです。
治らないがんではればなおさら、「余命」は貴重なものであるはずです。それを後遺症や毒性で台無しにしてしまうのは、賢明な選択とは言えないのではないでしょうか。













『がん患者よ、近藤誠を疑え     ベストオピニオンを得るための45のアンサー』
著 . 近藤 誠

から抜粋。