ワクチンでインフルエンザは防げません ‥ 3 | inca rose*のブログ

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◆余計な手術でがんが暴れる

「がんは痛むもの」「がんになると、苦しみ抜いて死ぬことになる」そう思っていませんか?だから、がんがこわくてたまらない。がんへの恐怖ゆえに、治療を焦ってしまうのです。しかし、本来、がんの半数以上は何もしなくても最期まで痛まないし、痛みが出てもモルヒネなどで、きちんとコントロールできる。"がん=壮絶な死"というイメージが強いのは、過剰ながん治療によるものなのです。

よくある「手術は成功しましたが、患者さんは亡くなられました」というのはその典型。
医者がいう「手術が成功した」とは、「合併症を起こさないでいけそうだ」という程度の意味。がんが治るということではありません。目に見えるがんをいくら大きくえぐり取ったところで、本物のがんであれば目に見えないところにがん細胞は転移しています。その場合、手術することでがんが暴れます。

メスの入った傷口には、修復のためにさまざまな血球が集まり、血管が新しくつくられます。そこには酸素や栄養が豊富にあり、がん細胞にとっても住み心地がいいもんだから、血中を浮遊していたがん細胞は、ここぞとばかりに傷口に入り込み、爆発的に増殖する。

いわゆる「がんが怒る」わけですね。ただし、メスが入ったことによってがんの性質が変わったわけではない。がん細胞の性質は遺伝子のプログラムで決まるもので、メスが入ったからといってがんもどきが本物のがんになることはありません。変わるのは正常組織の抵抗力。メスが入った組織はがんに対する抵抗力が落ち、がん細胞の増殖に適した環境になるということです。

一般に、術後半年以内の死亡は、"術死"と考えていい。術死が多いのは、肺がん、胃がん、食道がん、膵がん、膀胱がんなど、生命維持にかかわる臓器のがんです。
術死の直接原因は、細菌感染によるものがほとんど。生じた場所によって、肺炎、腸炎、腹膜炎、敗血症などと呼ばれます。術後の死亡時期をみると、半年以内の死亡はたいてい、細菌感染が原因となっています。年齢や体力も術死に影響します。たとえば、高齢者が胃がんで全摘術を受ければ、2~3割が術死する。もっとも、医者は「がんで死亡した」といいますから、遺族がその実態を知ることはありません。




◆人の体は、がんと上手につきあえる

僕自身も、150人以上のがん放置患者を、25年間にわたり定期的に診てきましたが、がんを放置した場合、原則として痛みが生じないことを確認しています。とくに、胃がん、肝臓がん、子宮がん、食道がんは、放置すれば痛みません。痛みがでる例外的なケースも、鎮痛剤や放射線治療など、やわらげる方法が確立しているので恐れることはありません。

がん放置の経過がおだやかである理由は、大人のがんは基本的に老化現象だからです。太古より、人はがんとつき合ってきました。だから、がんと共生する術を、体はちゃんと心得ているのです。一方、手術や抗ガン剤、放射線などは、体にとって不自然で、慣れることができない。だから副作用に苦しむことになるのです。

もしかすると、がんは人を安らかに死なせるために、天が与えた装置なのかもしれない。そう考えると、わざわざつらい治療を受けて、苦しみ抜いて死ぬなんて、もったいないことこのうえないですね。検診などで無理にがんを見つけ出さず、もし見つかっても、苦しくなければ治療をしないと腹をくくる。そのほうが、むしろ長生きできて、ラクに死ねるはずです。固形がんについては、早期発見・早期治療ではなく、末期発見・治療断念で放置するのが、ベストだと思います。





◆がん放置療法は無理矛盾のない合理的な対処法

できるだけ苦しまず、もっとも長生きできる方法はないだろうかー。僕は、40年間、患者さんにとって無理矛盾のない診療方針を考えに考えてきました。そうして到達した結論が"がん放置療法"です。

QOLを落としている症状がある場合を除き、早期がんでも転移がんでも様子をみる。がんもどきなら転移の心配もないし、本物のがんであれば、治療をしてもしなくても死亡率に変わりはなく、治療でダメージを受けないぶん、むしろ長生きできる可能性が高い。これは世界初の、もっとも合理的な治療法であり、最善の対処法であると自負しています。

もし、将来「がん」と告げられたら、まずはがん放置療法を検討してほしいと思います。とはいえ、「何がなんでも放置するぞ」と力む必要はありません。大切なのは、少しの期間でいいから様子をみること。そのあいだに、がん告知によって奪われた、心のゆとりを取り戻すのです。様子をみながら、いろいろ情報を集め、セカンドオピニオンをとったりして、じっくり自分の方針を固めていけばいいのです。

無治療を望んでいた人でも、いざがんになって、担当医に治療を迫られると、治療をしないでいることに耐えられる人は少ないでしょう。
無症状の場合、簡単な方法で臓器を残して治療できるなら、それを受けるのもひとつの選択です。ただし、臓器を切除すると合併症や後遺症の可能性が一気に高まるので、もう一考する必要があります。

臓器を残すことができる別の治療法を探し、それが無理なら、今しばらく経過観察してみたほうがいいでしょう。がんが増大したり、苦痛を伴うような症状が出てきたら、その時点で治療をするか検討すればいいのです。症状がないということは、がんとうまく共存できていたともいえます。これまで共存・共生してきた関係を無理に壊す必要はあるのか、臓器を切除して本当に長生きできるのか、疑問を持つことが肝心です。





◆がんと闘うことは、自分の体を痛めつけること

がんが転移したときは、いちばんの試練です。がんと闘っても勝ち目はないのに、多くの人が闘ってしまう。「何でもいいから治療を」とすがり、手術や抗ガン剤治療に突き進み、治療死する。その昔、旧日本軍が、竹ヤリから特攻隊、人間魚雷まで繰り返し、無謀な闘いを挑み続けたのと似ています。しかし、患者が闘っているのは、実はがんではなく、手術の合併症や後遺症、抗ガン剤の副作用ではないでしょうか。その過ちに気づいてほしいのです。

患者本人が望んでいなくても、周りの説得に負けて、治療を受ける人も多いですね。「手遅れになったらどうするの」などと不安をあおる友人・知人、「一日でも長く生きてほしいの」と涙ながらに治療を懇願する家族、本人を思っての言葉だけに厄介です。

周囲との軋轢を避ける知恵としては、「ちょっと様子をみて、納得して治療を受けたい」とでもいっておき、少しあいだをおき、「変わりがないからもう少し様子をみたい」とでも伝えて、放置期間を少しずつのばすのも一案です。

転移による痛みや苦痛が出てきたら、鎮痛剤を飲んだり、放射線治療で対処すればラクになるのですが、最近では、痛みを緩和するためにと、化学療法をすすめる医者が増えているので要注意。抗ガン剤の副作用や毒性と闘わされるハメになります。がんでがんばるとロクなことになりません。自分の体の一部であるがんと闘うことは、自分の体を痛めつけ、自滅の道を歩むことにつながります。

元来、がんによる死は、自然で平和なものです。がん治療に多くを望まず、ある種の諦観をもって、がんを受け入れることができたなら、"やまい"という観念からも解放され、悔いなく人生をまっとうできることでしょう。













『もう、だまされない!  近藤 誠の「女性の医学」』
著 . 近藤 誠

から抜粋。