認知症そして同居そして引っ越し

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2019/5/23 5:45AM 永眠
2016/7  要介護5になりました。
2014/11  要介護4になりました。
2014/9  要介護3になりました。
2013/4  要介護2になりました。

2012年10月に横浜から神戸に15年ぶりに戻ってきた私たち家族。

といっても母は元々同居ではない。






母は北海道で生まれ育った。

結婚して私たち姉妹が生まれてから父の転勤で北海道→神奈川→大阪と西へ移住していった。

70歳過ぎてから父が家出。




その後、調停を経て裁判へ持ち込み、最終的に泥沼離婚。


ジジイ(父とも呼びたくない)は今、生きてるか死んでるかもわかりません。

自営だったので年金も払わず、今母は無年金。


慰謝料もほとんどナシ。預貯金はスズメの涙ほど。




母と同居したのは2011年3月。

不思議な言動、行動がみられるようになり大阪から横浜に呼び寄せる。

大阪の妹はバツイチなので、母の面倒をみたり病院へ付き添ったりする時間をとれない。






横浜へ連れて来て、どうやって病院へ連れて行くか何ヶ月も考える。

たまたまネットでレビー小体型認知症の治験を募集していたので申込んだ。


思っていたとおりレビー小体型認知症と診断され、一年間の治験を開始する。

アルツハイマーの薬でアリセプトがレビーにも保険が利くようにするための治験。






それから2012年8月に治験終了。

それを待っていたかのように10月に夫の大阪への異動が決まり、神戸へ戻ってきた。




2013/01/21認知症専門病院で受診した結果。


現在の状態は、レビー小体型認知症、アルツハイマーと、どちらとも断定できないとのこと。


確かに最初のころは幻視があったけど、いつからか無くなっている。






2012年まではアメンバー限定記事になっています。


アメンバー限定にしていたのは『意見』や『批判』をいただきたくないからでした。


ストレスのはけ口としての場なので、言いたい放題、書きたい放題になっています。


意見や批判はありがたいものである一方追い詰められるのです。


よくわかるし、確かに正論だとよくわかっているのです。


そうは教科書通りにいかないところが身内の介護。





試験的に公開しましたが、またアメンバー限定に戻すかもしれません。


アメンバーの承認についても、コメントやメッセージでのやり取りのない方からの申請はお断りしています。





ご理解のほどよろしくお願いします。

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台風で一ヶ月延びてしまった散骨。

延びてよかったかも。

真夏の海の上に一時間は焦げてしまうねあせる

 

垂水のアウトレット、マリンピア神戸から船に乗りました。

10人乗りの船です。

大人8名、幼児2人。8月だったら川崎の娘も乗れたんだけど、今回はパス。

 

いつもベランダから見ている、そして散歩している明石海峡大橋をくぐり明石沖へ。

そして花やお酒、お水、粉骨。

実は業者へ粉骨してもらうときに、当初母のだけをお願いしていました。

 

ところが、母の四十九日前日に、信じられないことに最愛の最愛の最愛のアークがこの世を去ってしまいました。

病気がわかってから2週間という速さで逝ってしまい、悲しみのどん底で、母のことを忘れてしまうほどでした。

 

 

話は戻りますが、母の遺骨の中にこっそりアークの遺骨の一部も混ぜて粉骨を頼みました。

 

なので、9月15日は二人の散骨になったわけです。

 

 

あとから考えてみると、母だけを散骨したら、もしかしたら少し後悔もしてたかもしれません。

 

冷たい海の中に一人っきりで置いてきてしまった・・・と。

でもアークと一緒に居ると思うと安心してさよならを言えました。

 

毎日海を見ているし、毎日話し掛けて、ずっと側に居ると思えます。

 

お母さん、アーク、本当にありがとう。

お疲れさまでした。

これからは千の風になって・・・

明日は

延び延びになってた散骨。

 

海に返っていくんだね。

8月14日に、母の海への散骨を予定していましたが、台風のため9月15日へ延期しました。

 

もうちょっとここに居てね(汗)