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今できること……

以前とは少し趣向を変え、ニュースや報道番組についての感想や、日常の中で気になったことを綴っています。さらに、関心のあるテーマを理解するための情報も発信しています。もし誰かの気づきや共感につながれば幸いです。

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【第1章】国家理念の再構築ー自由・共存・調和の原理

 
 日本国はこれまで、戦後民主主義と平和憲法に象徴として歩んできた。しかし、時代の推移とともに社会は大きく変化し、価値観や構造もまた複雑化・多様化している。こうした変化に理念の更新が追い付かず、かつて掲げられた理想は、次第にその実質を失いつつある。


 たとえば「自由」とは、いつしか自己責任の名のもとに利己的関係の温床と化し、「共存」は激しい経済競争の中で形骸化し、相互の存在意義すら否定される場面が増えた。「調和」に至って、しばしば同調圧力と混同され、数による支配の正当化に用いられるようになっている。


 本章では、こうした理念の機能不全に正面から向き合い、現代の社会環境に即した新たな国家理念の再構築を試みる。

 

 

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1.1 理念構造の空白とその影響

 

 現代日本の国家運営において、最も深刻な問題の一つは、「国家理念」が実体を失い、制度や政策を方向づける構造的軸を喪失している点にある。制度や法律、予算や外交といった個々の行政機能は機械的に動き続けているが、それらを束ねるべき価値の体系、すなわち理念構造が空洞化している。

 本来、国家とは単なる統治機構ではなく、社会全体を導く理念的な構造を備えていなければならない。理念は、制度の目的を明示し、社会の方向性を定め、個々人の帰属意識と連帯感の根拠ともなる。理念なき制度運用は、やがて惰性と自己目的化に陥り、国家全体の正統性と自律性を損なうことになる。

 

 

 現実においても、その影響は顕著である。たとえば、憲法が掲げる「基本的人権の尊重」や「平和主義」といった理念は、教育・福祉・外交・防衛などの政策において具体化されるべき方向性を指し示していたはずである。しかし今日では、こうした理念が制度に生きているとは言いがたい。多くの制度は、理念ではなく利害調整と既得権維持のために運用され、政策の優先順位も選挙対策やメディア受けに左右される傾向が強まっている。

 このような状況は、国民と国家のあいだに信頼の断絶をもたらす。理念なき制度に従うことは、理念なき服従であり、そこに自律的な納得は生まれない。法に従うという行為が、単に命令への服従と受け取られれば、統治は支配と同義となる。つまり、理念構造の空白は、制度の“正統性の根拠”を失わせ、国家に対する国民の主体的な関与意識を著しく低下させる。

 また、理念がなければ変化に対する耐性も失われる。制度の変革は本来、理念を軸に据えてこそ可能である。しかし理念なき制度は、外的な要請に場当たり的に反応するしかなく、国家全体としての一貫性を持つことができない。その結果、改革は常に「誰かにやらされているもの」として捉えられ、内発的動機を欠いたままに空転し、さらに制度疲労を深めていく。

 国家理念とは、ただ美しい言葉で語られる理想ではない。それは制度運用に方向性と意味を与え、社会に統合の根を張る“構造そのもの”である。国家が生きた存在であり続けるためには、まずこの理念構造を再建することが不可欠である。

 

 

 以上のように、国家にとって理念構造とは、制度の方向性を定める不可欠な土台であり、その空白は正統性の喪失と社会の分断を招く。本節で示したように、国家の再設計においては、制度を論じる以前に、それを貫く価値構造=理念の再構築こそが最優先されなければならない。理念は制度の上位構造であり、国家を支える“見えざる骨格”なのである。

 

 

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1.2 国家理念とは何か_制度を貫く価値構造

 

 国家の制度は、それ単体で自律的に機能するものではない。制度とは常に、それを貫く理念、すなわち価値構造によって方向づけられる。理念は単なる抽象的スローガンではなく、制度に意味と目的を与える“無形の設計原理”である。

 法制度や行政機構は、理念という見えざる軸を内在させてはじめて、社会に一貫性と納得可能性をもたらす。逆に、理念なき制度は、手続きが空転し、個別利益の調整装置へと変質する。現代日本における制度疲労や政党政治の形骸化も、根本的にはこの理念構造の喪失に起因している。

 

 

 国家理念とは、国家の存在理由と方向性を定める上位構造であり、個別の制度や政策を貫く価値の体系である。それは、単なるスローガンや理想論ではなく、具体的制度を成立させ、社会に一貫性をもたらす“制度の背骨”である。

 たとえば「基本的人権の尊重」という理念があれば、教育・医療・福祉・司法の設計は、個人の尊厳を中心に据えて構築されなければならない。「平和主義」という理念があれば、外交・防衛・技術開発は、抑止と対話の均衡を前提とする必要がある。理念はこのように、制度の目的を規定し、運用の指針を与える役割を担う。

 理念はまた、制度の正当性の根拠である。なぜこの法律が存在するのか、なぜこの制度に従う必要があるのか。それを支えるのは、社会が共有する価値観に裏打ちされた理念に他ならない。理念が欠落した制度は、たとえ合法であっても納得を得られず、国家と国民との信頼関係を損なう。

 さらに、理念は制度を「変革可能なもの」として維持する機能も持つ。変化する社会においては、制度は不断に見直されるべきだが、その際の指針となるのが理念である。理念があれば、改革は理念に沿って構想され、制度改編に一貫性が保たれる。理念を欠いた改革は場当たり的となり、制度疲労をさらに助長する。

 現代日本において、この国家理念が機能していないことが、あらゆる分野における迷走の原因となっている。国家の規模、行政の設計、安全保障の在り方、経済政策の方向性――それらすべてが理念によって整合性をもたされなければ、国民の支持と協力は得られない。

 制度の設計とは、理念の物質化である。ゆえに、国家を再建するには、制度をいじる以前に、理念という見えざる構造を整える必要がある。国家理念とは、国家という共同体が進むべき方向を示す“羅針盤”であり、それがなければ、いかなる制度も漂流を免れない。

 

 

 国家理念とは、制度の背後にある価値の構造であり、制度に方向性と正統性を与える不可欠な要素である。理念は単なる抽象ではなく、具体的な制度を支え、運用と改革の指針となる“見えざる設計原理”である。国家再建においては、制度の細部に先立ち、この理念構造を再び確立することが最優先であり、すべての制度設計はそこから始まらなければならない。

 

 

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1.3 三つの原理_自由・共存・調和の再定義

 

 理念構造を再建するにあたって、その中核を成すのが「自由」「共存」「調和」という三つの原理である。これらは国家運営における普遍的な価値であると同時に、制度や統治の方向性を定める基準軸でもある。

 しかし現代においては、それぞれの概念が日常語として広く流通する一方で、制度設計に応用可能なかたちで整理されていない。その曖昧さが、理念と制度との乖離を生み、制度の正統性や一貫性を損なう一因となっている。

 本節では、「自由」「共存」「調和」という三つの価値を、それぞれ独立した原理として再定義し、制度や社会構造に応用しうる思考の枠組みとして位置づけ直す。あわせて、それらが互いに矛盾せず、補い合う関係にあることを確認し、理念構造としての統合可能性を探る。

 

□ 自由_制度を貫く出発点として

 自由とは、自分の考えに基づいて判断し、行動する力を意味する。これは人間が社会のなかで自律的に生きるために不可欠な前提であり、国家によって与えられるものではなく、本来は制度の出発点に置かれるべきものである。

 しかし現実には、自由はしばしば「国家が認めた範囲内で許されるもの」として扱われている。たとえば日本国憲法においては、個人の尊重や自由が明記されている一方で、国家の主権は「国民全体」に帰属するとされており、個人が制度の設計や国家の意思決定に直接関わる構造にはなっていない。このような制度のもとでは、自由は制度の中心ではなく、その周囲に“保障されるもの”として位置づけられる。結果として、自由の理念と国家の構造とのあいだに、目に見えない断絶が生じている。

 本来、自由は「国家に守られるもの」ではなく、「国家の制度が立脚すべき原理」である。人は他者との関係の中で自由を形成し、尊重されることで自己を確立していく。つまり、自由とは孤立した個人の勝手ではなく、他者の存在と相互に認め合うことによって実現される関係的な力である。

 このように捉え直せば、自由は社会や制度を貫く“構造的な原理”として位置づけられる。他者を排除するための権利ではなく、共に生きるための前提としての自由である。国家制度もまた、その前提を共有しなければならない。

 

 国家の再設計においては、自由を単に「制度の枠外で保護される権利」として位置づけるのではなく、「制度そのものをかたちづくる出発点」として明確に据え直さなければならない。
 そうすることで、個人の自由は、国家が存立する正統性の根拠となり、社会全体の秩序や信頼の基盤として機能しはじめる。
 自由を国家の中核原理とするという視点こそが、制度と理念の断絶を乗り越え、個人と国家のあいだに本質的な共鳴関係を築く鍵となる。

 

□ 共存_多様性と緊張に耐える制度の設計

 共存とは、立場・価値観・文化・能力の異なる存在が、互いの違いを前提に、同じ社会空間の中で安定して共に生きるための構造を築くことである。これは単なる寛容の姿勢ではなく、多様性を許容する制度的柔軟性を社会が備える設計思想を意味する。

 現代の制度設計はしばしば、暗黙のうちに「標準的な人間像」を前提としている。たとえば、健常で、成年で、常勤労働者であり、一定の家族形態に属する者を中心に制度が組まれてきた結果、障害者、高齢者、シングル世帯、非正規雇用者、外国籍住民などが周縁化される状況が生まれている。

 共存を制度の柱に据えるとは、こうした偏った前提を問い直し、多様な生き方や立場を「例外」ではなく「前提」として受け止めることである。誰もが不確実な状況に置かれ得るという現実を踏まえ、社会全体がそれを前提に耐えうる構造を築くことが求められる。

 また、共存は人間同士の関係にとどまらない。そこには、言葉を持たない生き物や自然環境、さらには未来世代の存在も含まれる。共に在るとは、声を持たぬ存在とも、空間と時間を共有するという意志である。

 

 共存とは、異なるものを無理にまとめるのではなく、それぞれのまま共にあり続ける仕組みを編み上げることにほかならない。制度における共存の具体性は、後続の章で詳しく検討する。

 

□ 調和_差異と緊張を内包する、多層的調和構造

 調和とは、異なるものを無理に均質化することではない。矛盾や緊張を含んだまま、全体として壊れずに共存し続けるための構造的な知恵である。それは静的な均衡ではなく、揺れやズレを抱えながらも動的に安定を保つ仕組みであり、自由と共存という理念を同時に成立させるための要となる。

 現代において「調和」は、ときに「同調」や「妥協」として誤って理解される。しかし本来の調和とは、対立や摩擦を前提とし、それらを排除せずに制度の内部に組み込みながら、壊れないかたちで維持していくことである。そこでは、意見の違いや価値の衝突をむしろ不可欠な構成要素として扱い、更新を繰り返す仕組みが求められる。

 この調和の原理は、単一の水準にとどまらず、国家という重層的な構造体のあらゆる次元において必要とされる。たとえば、現代世代と未来世代の利害を調整する時間的調和、都市と地方、強者と社会的弱者との空間的な調和、人間どうしの関係を越え、言葉をもたない生き物や自然環境との調和、さらには制度の内部における行政・立法・司法・監察・倫理といった多機能間の緊張を調整する構造的な調和。これらはすべて、国家の持続的な構築に不可欠な「多層的調和構造」として捉え直されるべきである。

 このような調和は、短期的な合意や静けさを意味するものではない。むしろ不安定さや緊張を抱えながらも、それを制御し、受け入れ、越えていくための柔軟な制度構築の力を内包している。変化や不確実性を排除するのではなく、それらとともに動的に対応していく能力こそが、調和の本質である。

 

 調和という言葉は、しばしば耳触りのよい理念として語られるが、その意味を取り違えたとき、制度や社会は思わぬかたちで歪みを生む。表面的な円滑さや多数への同調を「調和」とみなすことで、対立や多様性は見えないまま押し込められ、自由や共存の土台が静かに損なわれていく。

 調和とは、異なるもののあいだに生じる摩擦や緊張を見えなくすることではない。それらと正面から向き合いながらも、壊れることなく共にあり続けるための工夫と構造こそが、その本質にほかならない。

 

 この理念を安易に扱えば、制度はやがて多様性を拒み、変化に耐えられないものとなる。だからこそ、調和という概念の誤解は、国家そのものの制度的崩壊を引き起こしかねない危険な要素でもある。

 

 

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1.4 理念構造の再設計_自由・共存・調和の統合的視座

 

 本節では、これまで検討してきた「自由」「共存」「調和」という三つの理念を、単なる理想の標語としてではなく、制度や社会の構造と有機的に結びついた、再設計可能な理念体系として捉え直す。
 理念が制度を導き、制度がまた理念を支えるという、相互循環的な構造を前提とした、新たな公共理念の構築を目指すものである。

 

 個の尊重に根ざす自由、多様性のなかでの共存、そして差異と緊張を受けとめる調和は、それぞれが独立した価値であると同時に、互いを補完し合う関係にある。
 どれか一つが過剰になれば、他の理念との均衡が崩れ、社会全体に歪みが生じる。
 したがって、この三つの理念は、理念の軸としてのみならず、国家運営における基本構造の柱として、統合的に設計し直されなければならない。

 

 これまで見てきたように、自由、共存、調和という三つの理念は、現代日本においてそれぞれ歪みや空洞化を招いている。だが、その原因は、単に社会の複雑化や価値の多様化にあるのではない。むしろ、これらの理念が互いに連関し、支え合う構造として設計されてこなかったことに本質的な課題がある。

 自由が他者との関係から切り離されれば、自己主張の暴走を招きやすい。共存が制度として支えられなければ、現実には分断や排除を生む可能性が高まる。調和が対話や差異の尊重を伴わなければ、単なる同調圧力として機能してしまう。こうした不均衡を避けるには、理念を静的なスローガンとしてではなく、相互依存する原理として再構成する必要がある。

 この再構成において重要なのは、理念を序列化するのではなく、循環する構造として捉える視点である。たとえば、自由は個の尊厳に根ざすものだが、それが真に社会的価値を持つには、他者との共存が前提となる。そして、その共存が秩序として機能するには、差異を内包しながら安定を生む調和の枠組みが欠かせない。調和は、自由を制限するものではなく、むしろその土台となるものである。

 

 このように、自由、共存、調和は、それぞれが独立した理念でありながら、同時に他を支える柱でもある。理念が理念を正当化し合う関係にあることで、全体として一つの構造を成し得る。これを制度と接続可能な思考の枠組みとし、国家運営の原理へと高めていくことが、本計画の根幹となる。

 この理念構造は、憲法や法制度にとどまらず、教育、福祉、経済、外交、安全保障といった国家のすべての領域に浸透しうる統一的なビジョンである。三つの理念がそれぞれの領域で単独に唱えられるのではなく、全体として有機的に機能するよう設計し直されるべきである。

 本節で提示した理念構造は、国家再設計の思想的中核として、以下に続く各章において制度的提案へと展開されていく。

 

□ 総括_理念構築の再設計

 自由・共存・調和という三つの理念は、戦後日本が掲げてきた価値の中核をなすものであった。しかし現実には、制度の硬直化と社会構造の変化の中でそれらの理念は形式化し、行政や政策の現場から乖離しつつある。自由は制度の外に追いやられ、共存は調整概念として抽象化され、調和は同調圧力と混同されるまでに至った。

 本章では、そうした理念の空洞化を根本から見直し、自由・共存・調和を単なる倫理的スローガンではなく、国家制度の構造を貫く根本原理として再構築する必要性を示した。自由は、制度の外から与えられる権利ではなく、制度そのものを構成する出発点であり、共存は、異なる価値観や存在がそのまま共に生きられる制度的秩序の仕組みである。調和は、その両者の緊張を内包したまま動的に全体を支える構造的な思想である。

 これらの理念は、相互に独立した価値ではなく、相補的・多層的に結びついた統合的構造として理解されるべきである。そしてこの理念構造は、今後の国家制度の設計や運用において、一貫して通底する原則となる。

 

 たとえば、安全保障においては、従来の憲法第九条が掲げてきた「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権否認」に代わり、本計画では「非核」「非先制」「不侵略」という三つの理念を提示する。これらは国家の基本姿勢を示す概念的三原則であり、その具体的運用は、別章にて定義される「防衛ドクトリン」において明文化される。

 このドクトリンの中核には「主権即応」が据えられ、自衛の名のもとに形式化された現行制度を脱し、領域侵犯や主権侵害に対する即時的かつ法的整合性のある応答を可能とする体制構築が求められる。その体現として、すでに発足した統合作戦司令部の存在はきわめて重要である。これは従来の縦割り構造を超え、陸海空および宇宙・電磁領域を含む全領域統合の司令体制であり、主権即応という理念を制度として具現化するための中心機関となる。

 

 国家の持続性と柔軟性を確保するには、理念が制度の周縁に追いやられるのではなく、制度そのものを理念の中から組み立て直す必要がある。理念と制度、抽象と具体を分離せず、常に往復可能な関係として維持すること。それこそが、国家再設計において最も本質的な課題である。

 

 自由・共存・調和という理念が、それぞれの分野において具体的制度へと接続され、やがて全体としての統治構造に一貫性をもたらすとき、初めてこの国の制度は、理想と現実の隔たりを超えて、持続可能なかたちへと進化し得る。

 

 

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まえがき

 

 本計画は、現行の国家体制を暴力的・革命的に転覆を目指すものではない。

 

 むしろ、既存の理念や制度のうち有効な要素を継承しつつ、より柔構造で持続可能な国家モデルへと“再設計”する構想である。

 

 現代の国家制度は、その出発点にあった理想……自由、平等、民主、平和……が、制度疲労と世界的構造変動の中で、次第に空洞化させつつある。日本も例外ではなく、平和主義や基本的人権を掲げる憲法の理念とは裏腹に、統治システムの硬直、政党政治の形骸化、安全保障の不透明性、経済主権の希薄化、国民意識との乖離といった課題が深刻化している。

 こうした状況の責任を一部の政治家や官僚の責任を帰すべきだけでは不十分である。むしろ、議会そのものの制度的機能低下こそが、構造的な原因である。制度が本来持つべき自律性は失われ、議員の保身的・利己的行動を許容する構造へと変質した結果である。

 

 本書は、「理念と制度」「思想と構造」を統合的に捉え直し、新たな国家像を構築することを目的とする。その根本思想は、破壊や対立ではなく、「共存と更新」である。その国家像の中核に位置づけるのが「動的中立性(防衛ドクトリン)」という新たな哲学である。

 

 中立国といえば、スイスを想起するものが多いであろう。確かに、永世中立国スイスの慎重な外交姿勢は国際的にも高く評価されてきた。本計画が提唱する「動的中立性」は、その理念をさらに深化させたものである。国際社会と積極的に接続しつつも、支配構造には加担しないという意思を明確にする立場である。これは後述する「堅牢平和主義」とも連動する。

 

 また、本書では国家運営における基本原則として、「歳入に基づく国家経営」という現実的な財政モデルを提起する。支出に理想を掲げるのではなく、予測される歳入の範囲内に基づいた国家規模や行政組織を設計し直すという発想である。これは、中小企業の経営感覚にもとづいた合理性であり、国民にとっても納得可能な自律的国家運営モデルとなりうる。

 

 企業において、財務状況に応じた人員体制や組織規模の見直しは、すでに一般的な経営判断として定着している。そこに生まれる危機感は、むしろ組織の再構築や強化につながる場合すらある。

 一方、議員や公務員の中には、そうした危機感を欠いた者も少なくない。まるで“公務員”という特権的で保護された空間が、資本主義社会の中に例外的に温存されているかのようである。

 国家が本来持つべき危機意識と自律性を取り戻すためには、このような構造に対して健全な緊張感を喚起する制度的処方が必要である。本計画における議員・公務員の合理的な削減や、支出構造の見直しは、決して一時的な政治的パフォーマンスではない。それは、国民が抱える現実の疲弊に対して、統治側が真摯に向き合うための環境を整備する試みであり、同時に公人という“国家の宝”となる人材を的確に選抜・育成するための制度的刷新でもある。

 

 本計画は、国家の制度的自立性を確保し、責任ある統治機構へと再構築するための第一歩として位置付けられる。

 

 一方で、防衛力の強化については、理念との間に一定の緊張や矛盾を伴うことを否定できない。それでもなお、「抑止力の保持」は現代の国際環境において不可欠である。また、自衛隊という実質的な軍事力をすでに保有しているという現実との整合性も、明確に整理しなければならない。本計画においては、「堅牢平和主義」の思想に基づき、対外的な挑発に対して安易に迎合することなく、自国の主権と国民の生活を守るために、どのような備えが必要かを慎重に模索する立場をとる。

 

 国家は、単なる統治機構や利益配分装置ではない。国家とはまず、国民と領土という主権的財産を守り、社会全体をよりよい方向へ導くための“枠組み”であり、時代ごとの理念と制度の結晶である。

 

 本計画は、変化し続ける社会と世界情勢に柔軟に対応し、常に最善を模索し続ける“開かれた設計図”として構想されている。


 そして最後に、本構想は、これまで日本の主権と憲法を守り続けてきた先人たちの努力と叡智に深い敬意を捧げるとともに、日本が育んできた伝統と精神が、未来を担う世代へ確かに継承されていくことを願うものである。
 

 

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【第1章】国家理念の再構築ー自由・共存・調和の原理

 

【第2章】統治構造の刷新ー五権分立と制度的自立

 

【第3章】経済主権の確立ー歳入主義と仮想通貨圏

 

【第4章】準公共機関の再設計ー形骸化する公共性の再構築

 

【第5章】防衛ドクトリンー平和宣言の代償と抑止戦略

 

【第6章】進化型国家の設計図ー開かれた未来モデル

 

 

 ※ 2025年7月4日時点での構成案です。今後の内容に伴い変更される可能性があります。

 ※ 2025年7月8日時点、【第4章】のタイトルを変更しました。

 ※ 2025年7月9日時点、【第5章】のタイトルを変更しました。

 

 

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 わたし自身、専門家ではなく、本構想が思いつきの域に留まるのではないかという懸念もあった。だからこそ、論理的な整合性を高めるために、さまざまな思想的背景を踏まえて構成することとした。また、本書の内容はわたし個人の発想によるものであるが、文章の推敲や校正の整理にあたっては、“ChatGPT”の助けを借りている。ただしそのサポートは、あくまで表現の明確化や構成補助にとどまり、構想の核心はわたし自身の内発的問題意識に根ざしたものである。

 

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序章3

制度を支える土台となる思想

 国家の制度や仕組みは、どうしても「目に見える部分」にばかり注目されがちです。しかしその背後には、必ずと言ってよいほど「目に見えない思想」や「価値観」が流れています。それらは、時に宗教や哲学というかたちで制度に正当性を与え、ときには政治的な意図のもとに利用されながら、国家の方向性に強い影響力を及ぼしてきました。

 

 この章では、そうした背景を踏まえ、西洋思想と東洋思想を分け隔てなく取り入れながら、やがて「多層的調和」という理念に至るまでの思想の過程をたどっていきます。

 そして同時に、これからの社会の在り方を考えるうえで、「人々のくらしに寄り添える理念とは何か」……という問いを出発点に、制度の土台となる思想の可能性を探っていきたいと思います。

 

1:相対主義

 相対主義とは、物事の「正しさ」や「真実」は、誰にとってのものか、どの立場から見るかによって変わるという考え方です。

 文化、宗教、教育、生活環境……それぞれが異なる背景を持つ以上、すべての人が同じ基準で物事を判断することはできません。

 つまり、人の数だけ主観があり、その数だけの「正義」や「真理」が存在する。

 この考えは、「誰かの正しさが、必ずしも万人にとっての正しさではない」という認識に繋がります。

 そして、こうした多様な価値観が共に存在する社会では、互いを否定するのではなく、違いを尊重し、対話を通じて共通点を見出していく姿勢が求められます。

 

2:プロセス哲学

 一方で、プロセス哲学(ホワイトヘッドらによって体系化された思想)は、さらに一段深い視点を提示します。

 この哲学は、世界の存在を「固定されたもの」ではなく、常に変化し続ける“プロセス”としてとらえる立場です。

 たとえば、「国家」や「制度」も完成されたものではなく、過去の出来事・関係・選択の積み重ねの上に成り立っており、今この瞬間にも変化し続けている……それがプロセス哲学の世界観です。

 

 ここでは、「私は私」という確固たる存在はなく、他者や環境との相互作用の中で、私は“なっていく”という、動的で関係性中心の考え方が重視されます。

 

3:中庸(仏教と道教の通底) 

 儒教の古典「中庸」とは、「偏らず、過不足なく、調和をもって生きること」が人間の理想とされます。

 特に「誠」「仁」「礼」といった徳と結びつき、自己修養と社会の調和が一致していると説かれます。

 

 仏教にも「中庸」に似た「中道」という概念があります。快楽にも苦行にも偏らない修行の道が説かれます。

 

 老子の「道徳経」にも「極まれば必ず返る(盛者必衰)」という発想があり、極端なものはやがて崩れるという自然観が込められています。

 

4:Tao(空とは何か) 

 「空(くう)」とは、仏教における核心的な思想のひとつです。

 それは、すべてのものは固定された実態を持たず、関係性の中で成り立っているという考え方です。

 たとえば「自分」という存在も、他者や社会、歴史や言語といった、さまざまな関係性の中ではじめて意味を持つ……これが「空」の基本的な考えです。

 

 この「空」の思想は、老子の「道(Tao)」の教えとも深くつながっています。

 Taoには、「何事にも意味と位置がある」という包摂性の思想が根底にあり、それは相対主義や中庸、プロセス哲学といった他の思想と響き合いながら、「多層的調和」……重なり合う多様性の共鳴構造を支える根本理念となっています。

 そんなTaoの教えの中でも、とりわけ象徴的なのがこの言葉です。

 

 「上善は水の如し」

 

 水は、あらゆるものの根源でありながら、かたちを持たず、主張せず、それでいて確かに世界を潤します。この言葉に込められる意味は深く、国家の理想像そのものに重ねて考えることができます。

 

5:構造主義と思考の深層

 20世紀の思想界に大きな影響を与えたのが、文化人類学者レヴィ・ストロースによって体系化された「構造主義」です。
 彼は、文化や社会の表面的な違いの背後には、共通する普遍的な構造が存在しており、人間の行動や思考はその構造……いわば“見えない型”によって規定されていると考えました。

 たとえば、私たちが何を「善」と感じ、どう他者と「関係」を築くかといった判断も、単なる個人の意思ではなく、その背後にある文化的・無意識的な構造に導かれているというのです。

 

 しかし、時代が進むにつれ、こうした「普遍的構造」の存在を前提とする見方に異議を唱える思想家たちが現れます。これが、ポスト構造主義と呼ばれる潮流です。

 ポスト構造主義の立場では、「構造は普遍的である」という一元的な考え方を退け、むしろ構造は多層的で流動的なものであり、社会的文脈や歴史的条件によって、常に揺れ動くものだと捉えます。

 人間の思考や社会秩序は一枚岩ではなく、複数の構造が公差し、矛盾を内包しながら成り立っているという視点です。

 

 以下は、あくまでわたし自身の仮説に過ぎませんが……

 レヴィ・ストロースが提起した「構造」という概念は、人間の行動原理をあらためて定義し直すための枠組みであり、その根源には「生存本能」のような普遍的な駆動力が潜んでいるのではないかと感じています。

 もっとも彼は、それを単なる生物学的な本能として還元することはせず、むしろより文化的かつ象徴的な文脈において再構成しようと試みたのではないでしょうか。

 というのも、わたしたちの行動とは、“何を行ったか”という「結果」そのものよりも、むしろ「なぜその選択をするのか」という判断のプロセスにおいて、すでに深層的な“型”や“制約”の影響を受けているように思えるからです。

 この「選ぶ」という判断の背後には、ポスト構造主義が指摘するような多様な文脈的構造……社会、言語、歴史、制度といった外的要因……すなわち環境がもたらす構造……もたしかに存在します。しかしそれと同時に、もっと根本的な“内なる構造”……すなわち理性に先行する直感や身体的な記憶、さらには無意識な選好傾向……もまた、私たちの選択を方向づけているようにも感じられるのです。

 

 こうした観点から見ると、ポスト構造主義とは外的要因から与えられる“外部構造”の影響を掘り下げた、構造主義のひとつの派生系だと位置付けられます。一方で、レヴィ・ストロースの訴えた“普遍的な構造”とは、ソシュールに始まる言語学的体系の流れを汲みつつも、その枠を超えた、いまだ誰も到達し得なかった「東洋的な道」との交差点を志向していたのではないでしょうか。

 すなわち、彼の思想は、究極的な「深層構造」……人間存在の根底に流れる見えざる秩序……に迫ろうとする、壮大な知的探求の旅路だったと考えられます。

 

 もし両者を肯定的に捉えるのなら、構造とは本来、無限に存在し得るものです。その中で、レヴィ・ストロースが直感的に捉えた「普遍的な構造」とは、人間の深層に宿る潜在的な行動原理……つまり「内なる構造」を意味していたのではないでしょうか。

 

 

6:コモンロー制度(エクイティの補完)

 コモンロー制度とは、主にイギリスを中心に発展してきた法体系であり、過去の裁判例(判例)や慣習法を重視する特徴があります。

 同様の事件・事案が発生した場合、「判例拘束の原則(スターレ・デシシス)」に基づき、過去の類似判決に倣って判断を下すため、法の安定性や予測可能性に優れているとされています。

 一方で、この制度には限界もあります。明文化された制定法とは異なり、コモンローは形式的な平等には対応できても、当事者ごとの具体的な事情を十分に汲み取れないことがあります。とくに、社会的・経済的な格差や、当事者間の力関係の不均衡などを十分に考慮しないまま、過去の判例に機械的に従うことで、不公平な判断が下されてしまうこともあります。

 こうした問題点を補うために導入されたのが、「エクイティ(equity:衡平法)」という考え方です。

 エクイティは、コモンローの画一的・硬直的な運用によって生じる不公正を是正し、より柔軟で倫理的な判断を可能にするための補完的な法的理念です。現代では「形式的正義」と「実質的正義」のバランスを図るうえで、不可欠な役割を担っています。

 

 このコモンローとエクイティの関係性は、制度の在り方そのものを考えるうえで、大きな示唆を与えてくれます。

 日本の制度体系は、制定法を中心とした構造を採っていますが、逆に言えば、そこに「判例」や「市民の生活現場から生まれる知見」を積極的に取り込み、制度を現実に即して更新していくことで、より重層的で柔軟性のある社会構造へと発展させる可能性があると考えています。

 制度の正しさを、あらかじめ定められた規則によって、一方的に与えるのではなく、国民の実体験や日々の事例に即応しながら、共に築き上げていく体制こそが、今後の時代にふさわしい制度設計の在り方ではないでしょうか。

 

8:その他

 わたし自身の勉強不足ゆえ、ここまで取り上げた思想・哲学が全て網羅しているわけではありません。また哲学の探求という深度においても、今後さらなる考察の余地があることを自覚しています。

 国家の制度設計や価値体系に関わる思想は多様であり、時代とともに新たな知見や視点が生まれ続けています。したがってわたしたちの構想もまた、固定的なものではなく、今後も柔軟に思想を重ね、必要に応じて修正・発展させていく姿勢が求められるでしょう。

 同時に、私たちの目指す理念とは方向性を異にする、あるいは真っ向から対立するような思想があることも、あらかじめ認識しておくべきです。

 そうした思想を一方的に否定するのではなく、批判的に理解し、その根底にある論理や背景を読み解く姿勢こそが、自らの立場をより明確にし、思想を洗練させていくための糧となるはずです。

 

■ 共鳴・融合し得る思想

以下の思想や概念は「多層的調和思想」や「堅牢平和主義」と親和性が高く、補足的に捉えることができます:

  • 公共哲学(公共性と倫理を重視し、市民の成熟と共通善を前提に政治の在り方を問う哲学)
  • 和・禅の思想(静けさ、調和、無為自然といった東洋的価値観に基づき、人と自然、人と人の共生を重んじる思想)
  • 共通善(個人の自由と社会全体の利益のバランスを重視する倫理的・政治的立場)
  • 弁証法(Common Good)(対立や矛盾を否定せず、それらを通じてより高次の統合・理解を目指す思考方法)
  • 自由主義(古典的リベラリズム)(個人の威厳と権利を尊重しつつ、国家権力の濫用を抑制しようとする原則的立場)
  • リバタリアニズム(自由至上主義)(個人の自由と自己決定権を最上の価値とする思想。一方で国家や制度といった制約への抵抗を示す。)
  • 熟議民主主義(市民が対話と相互理解を通じて、合意形成に至ることを重視する民主主義のあり方)

■ 反発・対立する思想

以下に挙げる思想・立場は、わたしたちの構想と本質的に相いれない要素や方向性を含みます。これらはいずれも、支配や排除、過度な競争原理に基づき、持続的な共生や調和を損なう恐れをはらんでいます:

  • 覇権主義・帝国主義(国力や軍事力を背景に他国を支配し、従属関係を強制することで、自国優位の国際秩序を構築しようとする傾向)
  • 二元論的思考(善悪、敵味方、正誤といった単純な二項対立に依存し、複雑な現実の多層性や中間的立場を切り捨ててしまう思考傾向)
  • 経済至上主義・新自由主義(市場原理をあらゆる価値の上位におき、社会的弱者や公共性を無視する傾向をもつ経済観)
  • 科学的合理主義の硬直化(人間の感情や文化的多様性といった“非合理”な側面を切り捨て、数値化可能な論理だけで社会を構築しようとする姿勢)
  • 植民地主義・領土拡張主義(自国の利益拡大に目的に、他地域を支配・同化・搾取する体制。人権・文化・歴史の破壊を伴うケースも多く、歴史的にも深い傷跡を残してきた)

 

 

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序章4

国家再編計画書の核心的思想

 ここにまでに、いくつかの思想や哲学を紹介しました。これらはどれも、国家や社会の在り方を問い直すうえで大切な視点であり、それぞれが互いに響き合う関係にあります。

 しかしながら、この国家再編計画書の根底に据えるべき核となる理念は、以下に集約されます。(どちらも独自定義です。)

 

■ 堅牢平和主義(Robust Pacifism)

 「堅牢平和主義(Robust Pacifism)」とは、単なる非武装・無抵抗の立場ではなく、倫理的原則に基づき「平和を確固として守り抜く強い意思」を国家として明示する姿勢を意味します。

 この理念は、日本国憲法に明記された平和主義の精神を継承しながらも、現代の国際情勢に照らして再構築するものであり、より実効性のある国家防衛ドクトリンの基礎として位置付けられます。

 憲法第9条には「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」という三本柱が掲げられています。これらを従来の「非武装主義」として解釈する風潮がありましたが、「堅牢平和主義」はこれらの理念を単なる平和主義にとどめず、明確な原則と戦略性を伴った平和思想として再定義しようとするものです。

 

▼ 三原則とその再定義

 いかなる状況においても、まずは対話と外交による平和的解決を最優先とします。しかし、これが拒否され、明白な武力行使や国家主権の重大な侵害が生じた場合には、以下の三原則に基づいた限定的かつ防衛的な対応をとることを原則とします。

  • 交戦権の否認 ≒ 非先制の立場(いかなる正当化があろうとも、自国から先に武力を行使しないという立場)
  • 戦争の放棄 ≒ 不侵略の立場(他国への侵略的行為は一切行わず、他国の主権と領土を尊重するという姿勢)
  • 戦力の不保持 ≒ 非核の立場(核兵器の保有・使用・持込をいかなる状況においても認めず、核抑止論にも依存しないという原則)

 ただし、明白かつ継続的な武力攻撃や、挑発的な侵犯行為に対しては、国家として即時の即応権を保持し、国民の生命と領土を守るために、必要な措置をとることとします。


 このようにして、「堅牢平和主義」は非武装や受動的な平和主義とは一線を画す立場であり、倫理に基づく明確な原則と抑止力を兼ね備えた、現実的な平和主義の形を提示するものです。詳細な運用原則については、別項にて定義する「防衛ドクトリン」に包含されます。

 

 言い換えれば、この立場は「力を使わない」こと自体を目的とするのではなく、力の行使に対して厳格な原則と制限を設けることで、真に平和的な国際関係を追及する姿勢を表しています。

 

 また、この平和思想は「平和国家宣言」と同時に発表することで、国家としての明確な意思表明とし、国際社会に対しても倫理的・戦略的に自立した国家の在り方を示すものとします。同時に、反発が予想される国々に対しても、明確な原則に基づいた対話と抑止の姿勢を保持し、「対話による秩序形成」の可能性を同時に模索するものです。

 

 

 

■ 多層的調和思想 

 「多層的調和思想」とは、異なる価値観や制度・文化を無理に一つへ統合するのではなく、それぞれが独自の視点や構造を保ったまま、重なり合いながら共存していくことを目指す考え方です。


 それは、相対主義の寛容さ、中庸のバランス感覚、Taoの包摂性、プロセス哲学の流動性、そして構造主義が捉える深層的な秩序、といった異なる哲学的アプローチを横断的に抱合するゆるやかな多元性の国家ビジョンに他なりません。

 

 例えるなら、それは幾層にも重なる透明なレイヤーが、互いに干渉しながらも美しい全体像を描き出すような構造です。一層一層は異なりながらも、重なり合うことで調和し、豊かな意味の広がりを持つ絵のようなものです。

 しかしその一方で、あまりに多くの層が重なり過ぎると、互いの色が混ざり合い過ぎて、やがて黒一色に染まってしまう……そんな懸念もあります。

 

 だからこそ、重要なのは「調和」というバランスの発想です。多様性を許容する柔軟さと、秩序を保つための繊細な設計……この両立こそが多層的調和思想の核心なのです。

 

 

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 読みづらい点があるかと思いますが、どうかご容赦ください。

 

 

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 こんにちは (*´ェ`*)ノ

 ご訪問ありがとうございます。

 

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序章1

民主主義と世界平和の両立を目指す意義

 近年、世界は軍拡の道をひた走っているように見受けられます。その脅威の本質は、もはや平和的な外交手段だけでは解決できない側面も持ち合わせており、「いかにして平和を維持するのか」は、もはやすべての国々の共通の課題でもあるとも言えるでしょう。

 そうした状況の中で、日本もまた、周辺諸国が保持する「核兵器」という圧倒的な暴力と向き合わざるを得ません。特に、国際社会からの度重なる警告にもかかわらず、「権威主義的な論理」に基づいて核兵器を保有し続ける国々の姿勢は、自国防衛という名の下に非人道的な破壊手段を正当化するものであり、これは日本が目指すべき「平和国家」の理念とは大きく乖離していると言えるでしょう。

 

 

 現在の世界情勢とは、資本主義という文明社会のもとに築かれた自由貿易の波によって、国家体制の違いを超えて、さまざまな分野において、モノだけでなく、思想や文化、情報に至るまで、国境を超えて広がっていくこの流れは、もはや止めがたいものとなっています。

 こうした「最先端文明社会」の持つ力は、確かに人々の生活を豊かにする一方で、その勢いに飲み込まれることへの危機感や、社会の画一化、地域固有の価値観の喪失といった懸念も伴っています。しかしながら、それを強く否定する姿勢は、時に国際社会の中での孤立を招く側面も否めません。

 

 だからこそ、わたしたちはこの時代における「バランス」を見極める必要があります。高度経済成長を経た、現代文明社会に生きるわたしたちとっては、持続可能で理想的な国家運営の在り方を示すことができれば、その成功モデルはやがて、他国にとっても希望となり、平和への道筋を照らす手段となるはずです。

 

 つまり、多様性を尊重しながらも、民意に基づいた国家モデルを築くことこそが、真の意味での世界平和につながる……そう言い換えることもできるでしょう。そしてそのためには「貿易」や「外交」、「文化的な交流」といった各国間のつながりを、互いの信頼に基づいてより豊かに育んでいく努力も欠かせません。

 

 20世紀後半、世界の覇権を握った超大国「アメリカ」にも、確かに「世界平和理念」は存在していました。しかし、2項対立的な価値観……すなわち「善か悪か」「自由か抑圧か」といった単純化された論理を推し進めることで、他国の事情や価値観を否定してしまい、結果として反発や対立を生んだケースも少なくありません。

 平和を追い求める道が簡単ではないことは明らかです。それでも、相手を無理に変えようとするのではなく、まずは寛容に受け入れる姿勢……その中から共存のかたちを見いだしていくことが大切なのではないでしょうか。

 

 そしてその考え方は、何かを白黒で分ける西洋的な発想よりも、グレーの中に意味を見いだす東洋的思想の中に、ヒントが秘められているように思えてなりません。

 

 

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序章2

理念なき制度に、持続可能な国家は生まれない

 日本という国は、地理的に見ても非常に稀で、興味深い位置にあります。

 

 東には、いまなお世界の覇権を握るアメリカ。

 西には、新たな覇権を目指す中国。

 北には、帝国主義的な体質を色濃く残すロシアがいます。

 そして南には、アジア諸国やオーストラリアを中心としたオセアニアの国々が広がっています。

 

 こうして見ると、日本はまさに太平洋という大きな海洋の中で、西洋と東洋の“はざま”に浮かぶ国家のように感じられます。そして、その「はざま」にある地理的・文化的立場こそが、日本に独自の役割と選択を突き付けているのではないでしょうか。

 

 

 国家という枠組みを考えるとき、わたしたちはとかく「制度の整備」にばかりが目を向けがちです。法律や行政機構、選挙制度、分権や監視機関の設置といった、いわゆる「仕組み」だけを整えれば国家は機能する……そんな思い込みが、今なお根強くあります。

 けれども、制度とは本来、「国民を受け入れる器」にすぎません。

 その器に、どんな価値観や哲学を注ぎ込むのか……つまり「思想的な中身」こそが、国家の方向性と持続可能性を決定づけるのです。

 

 制度と思想の発信は、互いに支え合うべき「車の両輪」です。どちらか一方だけでは、真に自立した国家は築けないのではないでしょうか。

 

 

 よく言われるように、日本国憲法は、GHQ……マッカーサーによって突きつけられた「他律的な憲法」であるという見方があります。実際、それを根拠に「日本はまだ真の主権国家ではない」と否定的に語る人も少なくありません。

 

 戦後80年という歳月を経た今、わたしたちはこの憲法のもとで育ち、学び、働き、暮らしてきました。そこに込められた平和主義の精神と、人権を尊ぶ理念が、わたしたちの社会に深く根付いているのも事実です。

 憲法とは、単なる法文ではなく、国家が掲げる精神的旗印でもあります。

 だからこそ、今こそわたしたちは、この憲法を「押し付けられたもの」から「自らの誇り」として再解釈し直し、その価値を肯定的に捉え直していく必要があるのではないでしょうか。

 そしてそれは、日本国内にとどまらず、世界へとより強く発信すべきメッセージでもあります。

 

 すなわち……「新たな平和宣誓国」として、私たち日本の歩みを、自信と誇りをもって語るべき時なのです。

 

 

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 書き進めながら思いついたことを綴っているため、内容の順番が前後してしまうことがあるかもしれません。読みづらい点がございましたら、どうかご容赦ください。

 

 

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 こんにちは (≧∀≦)

 ご訪問ありがとうございます。

 

 緊迫する戦火のもと、世界各国の情勢は秒単位で揺れ動いています。この瞬間にも、多くの命が奪われている……その現実に、ただ胸が痛むばかりです。引き金となっているのは、往々にして一部の人間の野望や、欲望、そして過去に囚われた固執によるものです。

 こうした現実が浮き彫りにしているのは、「権威主義」や「独裁主義」といった体制が抱える、構造的な危うさです。たった一人の判断が、国家の未来と無数の命の生死さえも左右してしまう……その背景にあるのが「集権化された権力構造」という深刻な問題です。

 それは時に、「国家の名を借りた私的野望の遂行」に他ならず、戦争という名の国家犯罪へと繋がっていくのです。

 

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各国の思惑と真意

ネタニヤフ大統領は勝利としている

[26日 ロイター]

 

イスラエルのネタニヤフ首相は26日、イスラエルとイランとの戦争の結果、和平に向けた新たな機会がもたらされているとし、イスラエルはこれを無駄にしてはならないと述べた。

ネタニヤフ氏は「今回の(イランに対する)勝利で和平協定に向けた機会が大きく拡大された」とし、「パレスチナ自治区で拘束されている人質の解放とイスラム組織ハマスの打倒と並び、逃してはならない機会の窓が開いている。一日たりとも無駄にすることはできない」と述べた。

イスラエル・ハヨム紙はこの日、匿名の関係筋の話として、ネタニヤフ首相とトランプ米大統領が今週に実施した電話会談で、ガザでの戦争を2週間以内に終結させることで合意したと報道。この合意には、イスラエルと一部のアラブの国が国交を結んだ「アブラハム合意」をサウジアラビアとシリアに拡大することも含まれている可能性があるという。

イスラエル首相府はこの報道についてコメントを控えている。

トランプ米政権のウィトコフ中東担当特使は25日、CNBCに対し、イランとの包括的和平合意に期待しているとした上で、アブラハム合意に関連する国々を巡り大きな発表がある可能性があると示唆した。

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アメリカの積極的関与

[ワシントン 27日 ロイター]

 

トランプ米大統領は27日、イランの最高指導者ハメネイ師を厳しく批判し、対イラン制裁解除の計画を撤回した。また、懸念される水準までウランを濃縮している場合は再びイランへの爆撃を検討するとも述べた。

トランプ氏は、ここ数日、イランに早期復興の機会を与えるため、対イラン制裁解除の可能性について検討していたが、ハメネイ師が26日、米国に対して勝利したと述べたことを受け、制裁緩和の作業を直ちに中止したことを明らかにした。その上で、「彼は自分の発言がうそだと知っている」とも述べた。

さらに、自身のSNSへの投稿で、「私は彼(ハメネイ師)がどこに隠れていたか正確に把握していたが、イスラエルや世界で最も偉大で強力な米軍に彼の命を絶つことを許さなかった」とし、ハメネイ師を「非常に醜く不名誉な死から救った」と述べた。

ハメネイ師は26日、「イランはアメリカを平手打ちにした。イランが米国の中東での重要拠点に達して、必要ならいつでも行動できるという事実は重大だ。将来、攻撃が行われれば同じことが繰り返される可能性がある」などと述べていた。

 

先週末に米国による爆撃を受けたイランの核施設については、国際原子力機関(IAEA)などの信頼できる機関が査察を行う完全な権利を持つことを望んでいるとの考えを示した。

トランプ氏はホワイトハウスで記者団に、こうした機関の査察官による査察を可能にしたいと言及。米国とイスラエルによる攻撃後、イランが依然として核兵器の取得を望んでいるとは思わないとの見方も示した。

さらにトランプ氏は、イラン核施設は「消滅した」と考えていると述べ、施設への被害が深刻ではなかったという報道を否定。懸念される水準までウランを濃縮している場合は再爆撃も検討すると明言した。

また、イランが米国との協議を望んでいるとの見方を改めて示したものの、それ以上の詳細は明らかにしなかった。

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発言とは裏腹に国内情勢悪化か

[ドバイ 26日 ロイター] 

 

イランの最高指導者ハメネイ師は26日、イスラエルとの停戦後に初めて発言、米国からの攻撃を今後受けた場合は中東の米軍基地に反撃すると表明した。

ハメネイ師は事前に録画された国営テレビでの演説で、イランへの攻撃は「大きな代償」を伴うとし、米軍の攻撃後にイランがカタールの米軍基地を標的としたことを指摘。「イランはアメリカを平手打ちにした。中東地域の重要な米軍基地のひとつを攻撃した」と述べた。

「イランが米国の中東での重要拠点に達して、必要ならいつでも行動できるという事実は重大だ。将来、攻撃が行われれば同じことが繰り返される可能性がある」と語った。

 

トランプ米大統領は25日、イランが核濃縮プログラムを再構築した場合は再び攻撃するかとの質問に対し、「もちろんだ」と答えていた。

また、トランプ米大統領の呼びかけにもかかわらずイランは降伏しないと言明。「トランプ大統領は、米国は降伏以外では満足しないことを明らかにした。そのようなことは決して起こらないだろう」と述べた。

 

米によるイランの核施設攻撃については、「何の成果も得られなかった」と一蹴。「米国は重要な行動は何もできなかった。米大統領は異常なまでの見せかけの行動をとったが、そうする必要があったのだ」とした。

ハメネイ師の演説直後、イスラエルのネタニヤフ首相は、自身とトランプ大統領が手をつないだ写真に「われわれは共通の敵を倒すために協力し続ける」というメッセージを添えてSNSに投稿した。

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多くの「真実」が飛び交うなかで

 すでに多くのメディアが、様々な情報を報じています。「イランが反撃行動に出ずに、イスラエルとの停戦に応じた」とする現状の中、果たしてそれがどこまで事実なのかは、今後を注意深く見ていく必要があるでしょう。

 

 イスラエルは13日に「ラインジング・ライオン作戦」が実行され、大きな成果を得たとされています。さらに、22日にはアメリカ軍が「ミッドナイト・ハンマー作戦」を決行。地下に建造された核濃縮施設に対して、バンカーバスター(GBU-57)を投下し、一連の核兵器製造関連施設の破壊作戦を完了させました。

 こうした軍事行動に対して、各国首脳はそれぞれ自国の成果を誇示するような発言を繰り返しており、詳細な被害分析や事実確認よりも、まずは「成果の演出」が優先されているようにも見受けられます。そのため、現時点での情報の信頼性には慎重な姿勢が求められます。

 専門家の見解によれば、攻撃を受けたイラン国内の核関連施設の被害は深刻とされる一方、同国の核開発拠点はすでに各地に分散されており、その全機能を完全に無力化するには至っていないとの指摘もあります。

 

 恐らく多くの人が感じているのは……イランはいずれ何らかの反撃にでるだろう……という予感です。しかし、いまは目立った動きがないだけに、その静けさがかえって不安を掻き立てています。

 

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ホメイニー師

革命とイスラム共和国の誕生

 イラン・イスラム共和国は、1979年のイスラム革命により誕生しましたが、その指導的な理念と体制の礎を築いたのがアーヤトッラー・ルーホッラー・ホメイニー氏です。ホメイニー氏の政治思想は「ヴェラーヤテ・ファキーフ(法学者による統治)」に基づいており、これは現在のイラン体制を形づくる核心でもあります。

 現在の最高指導者ハーメネイー氏は、ホメイニーの後継者としてその理念を継承してきましたが、近年高齢となり、次なる後継者の選定が焦点となっています。

ホメイニー氏のような宗教的カリスマと革命指導者の精神を象徴する存在が再び現れるのか、それとも実務派・穏健派による現実路線が主導するのかによって、イランの今後の外交・軍事・内政は大きく変わります。

 

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イランという国家

1. 天然要塞を織りなす地形的役割

 イランは、古代ペルシャ帝国の系譜を受け継ぐ歴史と伝統をもつ国家であり、その地政学的重要性は今も変わることがありません。北にカスピ海、南にペルシャ湾とオマーン湾を抱え、西はトルコやイラク、東はアフガニスタンとパキスタンに接するという戦略的な位置にあります。

 その国土は、地理的に極めて防衛的な特徴を備えています。西部にはザグロス山脈、北部にはエルブルズ山脈が連なり、自然の要塞として機能してきました。これらの山岳地帯は、古来より外敵の侵入を困難にし、国家の独立を守るうえで重要な役割を果たしてきたのです。

 さらに東部には広大なダシュト・エ・カビール(大砂漠)やダシュト・エ・ルート(ルート砂漠)といった広大な乾燥地帯が広がり、人や物資の移動、さらには軍事行動そのものを阻む自然の防壁となっています。

 このように、イラン……特に首都テヘランを含む地域……は、東西南北それぞれに異なる地形的特性を有しており、陸路からの侵入に対して天然の防衛線を築く構造となっているのです。

 

2. イランの基本体制と政治構造

 イラン・イスラム共和国は、1979年のイスラム革命によって王政(パフラヴィー朝)が崩壊し、イスラム法(シャリーア)に基づく政教一致の国家体制へと移行しました。この体制の特徴は、宗教指導者(法学者)が国家の最高権力を握るという「ヴェラーヤテ・ファキーフ(法学者の統治)」という思想です。

 現在のイラン政治は、以下のような二重構造を特徴としています。

  • 最高指導者(スプリームリーダー):

  • 国家の実質的最高権力者であり、軍・司法・国家放送・情報機関などを統括。最高指導者は事実上、憲法・議会・大統領よりも上位に位置し、最終決定権を持つ存在です。

  • 大統領:

  • 国民による選挙で選ばれ、行政府の長として、主に外交・経済政策を担いますが、重要な国家戦略については、まくまでも最高指導者の承認が必要であり、独自の決定権には限界があります。

  • 軍事体制:

  • イランには2種類の軍が存在しています。通常の正規軍「アルテシュ」と、もうひとつは独立した武装組織である「イスラム革命防衛隊(IRGC)」です。アルテシュは主に、国境防衛や伝統的な軍務を担当しますが、IRGCは、イスラム体制の護持を主目的とする精鋭部隊であり、軍事のみならず経済・政治・情報戦にまで広く影響力を及ぼしています。 中でも、IRGCの中核を担う「コッズ部隊」は、国外作戦を専門とし、レバノンのヒズボラや。シリア政権、イエメンのフーシ派といった親イラン勢力の連携を通じて、中東におけるシーア派の影響力拡大を積極的に推し進めています。

 このように、イランの政治構造は民主的な要素(大統領選など)を含みながらも、実質的には宗教指導者に強く集権化された体制であり、外部からは「選挙による独裁」とも形容されることがあります。
 

3. イランを通して見るイスラム教の歴史

 現在のイランは「イスラム共和国」として知られていますが、その宗教的背景には、イスラム以前の歴史と独自の変遷があります。

 

 古代イラン(ペルシャ帝国)の時代、国教はゾロアスター教でした。これは善悪二元論を特徴とする世界最古の啓示宗教の一つで、今日のイラン文化にも痕跡を残しています。しかし、7世紀のイスラム帝国(正統カリフ時代)による征服以降、イスラム教が急速に広がり、ゾロアスター教は次第に衰退しました。

 

 当初、イランの人々はスンニ派を受け入れましたが、16世紀にサファヴィー朝が成立すると、国家としてシーア派(十二イマーム派)を国教とする政策がとられます。これは中東では極めて特異な動きで、イランはスンニ派多数のイスラム世界において、シーア派の精神的・政治的中心地へと変貌していきました。

 

 20世紀に入ると、西洋化と世俗主義を推進するパフラヴィー朝の支配に対し、宗教勢力の反発が強まり、1979年の「イスラム革命」が勃発。ホメイニー師の指導のもと、「ヴェラーヤテ・ファキーフ(法学者の統治)」を柱としたイスラム共和制が成立し、宗教と政治が結びついた現体制が確立されました。

 このようにイランは、ゾロアスター教 → イスラム(スンニ派)→ シーア派国教化 → イスラム共和制という、宗教史の中でも特異な道を歩み、今日ではシーア派の盟主として宗派的影響力を広げ続けています。

 

4. スンニ派とシーア派の分裂から現代へ

 イスラム教は、ユダヤ教・キリスト教と同じ一神教の流れを汲んでおり、ムハンマドはその最終の預言者とされます。しかし、彼の死後、イスラム共同体(ウンマ)は後継者(カリフ)を誰にするかで分裂します。

 

 - スンニ派は、多数の信徒による合意で選出された「カリフ」が共同体を導くと考えます。
 - 一方、シーア派は、ムハンマドの血統、特に娘ファーティマとその夫アリーの子孫こそが正当な指導者(イマーム)であると信じます。

 

 この対立は、単なる宗教的解釈の違いでは終わらず、政治と結びつきながら時代を超えて尾を引く深刻な分断へと発展しました。

 

 その象徴的な転換点が、1979年のイラン・イスラム革命です。この出来事により、歴史的に少数派であったシーア派が、ついに政権中枢を握る国家を持つに至り、スンニ派中心の中東秩序に挑戦する存在となりました。

 

 以降、イランはシーア派の庇護者として、ヒズボラ(レバノン)、アサド政権(シリア)、フーシ派(イエメン)などを支援。これに対し、スンニ派のサウジアラビアやUAEとの間で宗派を軸とした覇権争いが激化しています。

 このような構図は、宗教だけでなく軍事・外交・経済にまで波及し、中東全体の不安定化を招く要因となっています。とりわけイランにおいては、体制そのものが宗教的正統性に基づいているため、この対立は単なる宗教的違いにとどまらず、国家戦略と表裏一体となっているのです。

 

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イラン国内情勢

1. 若者によるイラン離れが進む背景

■ 経済の停滞とインフレの深刻化
 長年にわたる経済制裁と国内の腐敗構造により、イラン経済は深刻な打撃を受けています。若者の失業率は高止まりしており、大学を卒業しても安定した職を得られない現実が続いています。さらに、通貨リアルの下落や物価の急騰が、庶民の生活を直撃しています。

自由の制限と将来不安

 イラン社会における言論・表現の自由の制限は極めて厳しく、政治的異議を唱える者や、女性の権利、少数派の権利を主張する活動家に対しては、拘束・尋問・拷問といった深刻な人権侵害が続いています。
 とりわけ、2022年に女性マフサ・アミニ氏が「ヒジャブ不備」を理由に宗教警察に拘束された後、死亡した事件は国内外に衝撃を与え、イランの抑圧的体制に対する怒りと抗議が広がりました。

 また、拘束されたデモ参加者や政治活動家に対し、国際的な人権団体が「裁判なき処刑」「虐待」「強制的な自白の取得」などを告発しており、国連やNGOからも繰り返し懸念が表明されています。

 こうした体制のもとで、若者たちは将来への希望を持てず、「この国では努力しても報われない」という無力感に苛まれています。自由な意見表明が許されず、国家による監視と抑圧が常態化している社会では、海外への移住や亡命が“最後の選択肢”とされることも少なくありません。

国外への流出
 これらの要因から、イランでは高度教育を受けた若者の国外流出が続き、「頭脳流出(ブレイン・ドレイン)」が深刻な社会問題となっています。医師やエンジニア、IT分野の専門家を中心に、欧米や近隣諸国へ移住する動きが加速しています。

 

2. 政治・指導者選びの課題

最高指導者の後継問題
 最高指導者ハメネイ氏の高齢化が進む中、次期最高指導者を誰が継ぐのかが大きな焦点です。有力候補としては、息子のモジタバ・ハメネイ師や、穏健派と目される一部の宗教指導者の名前が挙がっていますが、体制内の権力闘争やIRGC(革命防衛隊)との関係性も絡んでおり、単純な継承にはならないとの見方が強いです。

改革派の限界
 選挙制度自体が体制側によって厳しく制限されているため、改革派や若手政治家が活躍できる余地は限られています。国民の政治離れが進み、選挙の投票率は低下傾向にあり、制度そのものの正当性が問われるようになってきています。

 

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内部から蝕まれる国家

 現在、イラン国内にはイスラエルの諜報機関による工作員ネットワークが広く浸透しているとされており、今回の「ライジング・ライオン作戦」の成功も、こうした内部協力によるものだと報じられています。これを受け、イラン当局は500人~700人の容疑者を摘発し、その多くに対して即座に処刑が行われたとも伝えられています。

 さらに深刻なのは、こうした「工作員」が、必ずしも外国人ではなく……イラン国籍の人々、つまりイラン人自身によって構成されていたという事実です。これは単なる諜報の問題を超え、国家への信頼の崩壊、体制そのものへの根本的な不満が広がっていることを示唆しています。

 体制を守ろうとするほどに、国内の弾圧は強まり、国民との乖離もまた深まっていく。
この悪循環が続く限り、イランの内部崩壊リスクは高まる一方でしょう。

 

 そしてそれは、単に中東情勢の不安定化にとどまらず、世界全体のエネルギー安全保障や安全保障秩序そのものに直結する危機へとつながっていくかもしれません。

 

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  記事の後半において、一部内容が本来の主題である「イラン」ではなく「イラク」に関する記述となっていたため、修正いたしました。ご覧いただいた皆さまにはご不便・ご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。

 

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 こんにちは (∩´∀`)∩

 ご訪問ありがとうございます。

 

 最近、以前にも増してX(旧Twitter)を見る時間が多くなってきた気がします。
今日紹介する記事も、そんなXを通じて出会ったものの中からです。

 

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中国の野望

王毅外相:事実上中国の領土

[北京/台北 25日 ロイター] 

 

 中国と台湾の間で 歴史解釈を巡る舌戦が足元で過熱している。台湾の頼清徳総統の発言がきっかけで、これを挑発と非難した中国側は、既に自国領土になっている台湾への「侵攻」などあり得ないと言い切った。

 頼氏は22日以降に行った2回の演説で、台湾は「当然1つの国」であって、中国には法的ないし歴史的な領有権が存在しないとの見解を示した。

 

 これに対して中国の王毅外相は25日に北京で開いた欧州各国の大使との会合で、台湾の与党民進党に対して「台湾独立に向けて可能な限りのことをやろうとしており、これは非常に危険だ」と警告した。

 その上で台湾について、日本が「盗んだ」後で1943年のカイロ宣言で中国への返還が合意され、1945年のポツダム宣言でそれが確認されたと指摘。「だから事態は極めて明白だ。台湾は中国の一部であり、台湾が中国に戻されたのは第2次世界大戦の勝利の結果だ」と付け加えた。

 また中国国務院台湾事務弁公室の報道官も25日北京で記者団に「台湾は中国の一部で、侵攻と言える概念は存在しない」と強調した。

一方で頼氏は24日、台湾の未来は総統でもどの政党でもなく、そこに住む人々が民主的にしか決められないと訴えるとともに、「台湾独立」とは中華人民共和国に属さないという意味だと述べた。

 さらに中華人民共和国は建国70年程度だが、中華民国(台湾)は今年114年目を迎えると説明した。

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頼清徳総統の台湾「1つの国」

[台北 22日 ロイター]

 台湾の頼清徳総統は22日、国際ロータリーの台湾支部で講演し、「もちろん台湾は国だ」と述べ、それを否定する中国は台湾に対する領有権主張を裏付ける歴史的証拠も法的証拠も欠いていると訴えた。

中国は台湾について、古くから中国に属している「不可分の」領土であり、台湾は国家ではなく自国の省の一つと主張。頼氏はこの主張に反発し、中国との話し合いを申し出ているが、拒否されている。中国は同氏を「台湾独立分子」と呼んでいる。

頼氏は「国家団結」をテーマにした10回講演の初回で、台湾先住民がハワイ先住民のような他のオーストロネシア人と何千年にもわたってつながってきたことなど台湾の歴史を引き合いに出し、台湾が中国から分離して発展してきたと指摘。台湾の人々が日本の植民地支配といった侵略に反対してきたことにも触れた。

中国で対台湾政策を担う国務院台湾事務弁公室からはコメントを得られていない。

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強国の一方的な理屈

 今回は、中国に関わる3つの記事を紹介しています。

 

 冒頭で取り上げたのは、「ソーシャルメディアを操作する中国のAIエージェント」に関する内容です。記事に掲載されていた画像を見ていると、モニター上にたくさんのSNS画面が並び、AIとボットを組み合わせたソフトウェアによって、投稿が自動的に行われている様子が確認できます。

 こうした仕組みは、SNS上でのプロパガンダや世論誘導、影響力の操作といった目的で使用されているようです。

 

 そして次に紹介しているのは、台湾を巡る、「中国と台湾の言い争い」

 台湾の頼清徳総統が「台湾は国家だ」と主張する一方で、中国は「第2次世界大戦の勝利により、1943年のカイロ宣言で中国への返還が合意された」と反論しています。

 

 一見もっともらしく聞こえる中国側の主張ですが、実際には、その時々の政治的都合に合わせて理屈を後付けしているような発言も多々見受けられます。こうした姿勢は、過去の多くの矛盾する発言との整合性を欠き、信頼性に大きな疑問を抱かせるものとなっています。

 

 さらに最近では、英国の海軍哨戒艦が台湾海峡を通過したことで、中国側は「挑発行為」だと非難しました。

 これは自ら主張する「領域」に他国が入ったことを問題視しての反応ですが、逆に言えば、中国自身も他国の領空・領海を侵犯する行為が「挑発」だと認めています。

 そうした矛盾を平然と口にする厚顔無恥ぶりには、ただ呆れるばかりですが、それを前にして何もできない日本の現状も、また深刻な問題とは言えないでしょうか。

 

 果たして、こうした権威主義国家による一方的で偏った解釈に、どう向き合えばよいのでしょうか……考えれば考えるほど、その難しさに気が遠くなりそうです。

 しかも、こうした偏重的な主張は、力を持つ強国だからこそ平然と押し通せるという現実も、決して見過ごせない深刻な問題です。

 

 そうです、そして忘れてはならないのは、これは中国だけに限った話ではないということです。いま、世界には「力」を背景にした理屈が、あたかも正当な主張であるかのように、まかり通ってしまう場面が確実に増えています。(強国の歴史認識に対する発言です)

 

 そして、その延長線上に見えてくるのは「軍拡」という、ただひとつの危うい一本道なのです。

 

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空襲から80年

B-29から大量の焼夷弾が静岡市街地に

 静岡市の市街地に大量の焼夷弾が落とされた1945年6月の静岡空襲で犠牲になった市民約2千人と、墜落死したB29爆撃機搭乗員23人を追悼する「日米合同慰霊祭」が21日、同市葵区の賎機山で開かれた。市民や、米軍横田基地(東京都)所属の軍人ら約200人が参列。主催した医師菅野寛也さん(91)は「皆さまの熱意が世界平和をもたらす一歩になることを祈る」と述べた。

 慰霊碑に献花し、搭乗員の遺品の水筒で献酒も行われた。難波喬司静岡市長は「平和の尊さを伝えていくことが私たちの任務だ」とあいさつした。

 終了後、菅野さんは「このような活動を評価する人たちが集まれば、悪いことは起こらない」と強調した。

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奮い立て、そして立ち上がれ

 わたしは専門家ではありません。それでも、政治の空気に漂う違和感を、日々、肌ではっきりと感じています。言葉を超える重さを持ったその現実……それは、民意とは程遠く、不透明なまま維持され続けている政治構造が、いまの日本を覆っているように思えてなりません。

 

 そんなとき、偶然見つけたこの記事……それは、戦後の日本がどれほどの苦難の中から復興してきたのかを物語っているように感じました。

 

 本題の政治に話に入る前に、少しだけ「戦後の日本」のことお話をさせてください。静岡のような地方都市でさえ、かつては一面焼け野原でした。冒頭の画像は終戦後の静岡市、下の画像は、現在の静岡市です。少しわかりにくいかもしれませんが、終戦後の画像を左手前に重ねてあります。撮影された角度が違いますが、いずれの画像にも右奥の賎機山が見え、そのさらに奥には安倍川が流れているのが確認できます。

 

 1945年6月19日から20日にかけて、137機のB-29爆撃機が静岡を襲い、合計13,211発もの焼夷弾を投下したと記録されています。もちろんこの空襲は、静岡に限ったものではありませんでした。同年3月以降、本格的な都市焼夷爆撃が展開され、100ヶ所を超える都市が次々と炎に包まれました。その際に投下された焼夷弾の総数は、実に18万トン。これはおよそ1800万発から3600万発にも及ぶ規模であり、M47ナパーム弾、M69ナパーム弾、さらにはクラスター弾などが使用されたのでした。

 

 1941年12月8日の真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争は、約4年の歳月を経て、1945年8月15日の降伏によって終結しました。

 

 いま、わたしたちは自由に、ものを言える時代を生きています。しかし、その自由を支えるはずの「主権」や「民意」といった本質的な基盤は、実はまだ、あの戦後の混乱から本当の意味で立ち直れていないのではないか……そう思えてならないのです。

 

 日本は経済復興を遂げ、やがて世界第2位の経済大国となりました。いまではG7の一員として「先進国」とも呼ばれています。

 

 けれどその中身は、果たして本当にわたしたち自身の手で築かれたものでしょうか?

 

 国民はたしかに苦難を乗り越えました。努力と連帯によって、焼け野原から立ち上がり、復興を成し遂げたのです。けれど、国家という「骨格」そのもの……すなわち憲法や政治の仕組みそのものは、私たち日本が勝ち取ったものではなく、それは「敗戦国」として、戦勝国にとって都合良く設計され、突きつけられた国家像に過ぎないのです。

 

 これらの事実は、すでの多くの専門家が指摘していますが、これの何が問題なのでしょう。「知られているのに、なぜ変わらないのか」……この現状こそが、今の日本にとって最大の危機ではないでしょうか。

 

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「イデオロギーなき日本国民」

 日本社会には、はっきりとしたイデオロギーの対立が根付きにくい……その根底には「民族的同質性」や「文化的一体感」が全国一律の教育によって強く刷り込まれてきたという構造的な背景があるからだと考えます。言い換えれば、日本人の多くが自覚のないまま「イデオロギーなき国民」となってしまったとも言えるのかもしれません。

 「単一民族国家」という自己認識のもとで育まれた、「空気を読む」「和を乱さない」「耐え忍ぶことを美徳とする」といった価値観は、異なる意見や立場を表明することを、“和”を乱すものとして敬遠する傾向を生んでしまったのではないでしょうか。言いたいことを口にして対立を招くより、黙って我慢することの方が“賢い生き方”とされてきたのです。

 

 戦後の日本にも多くの社会活動家や思想家は少なからず存在しました。しかし、その多くは「過激派」「思想犯」として扱われ、国家の在り方や憲法、主権について真剣に語ること自体が「危険な行為」と見なされるような風潮が社会に定着していきました。

 学校教育においても、道徳の名のもとに、「中立であること」が平和的でこのましい態度とされ、思想的な対話や哲学的議論の土壌が十分に育まれてきませんでした。物事の善悪や正義を自らの頭で考え、意見を表明し、対話を通じて価値を磨くという本来の民主主義の訓練が、何故なのか抑え込まれてきたと言えるのかもしれません。

 

 なぜ、こうした構造が温存されてきたのでしょうか……それは、日本国民が「真に主権を取り戻す」こと、つまり戦後体制を根本から見直し、民主的自立を果たすことを恐れた、あるいは妨げられたからではないでしょうか。

 

 作家・三島由紀夫は、まさにそうした戦後の日本の精神的な空洞に警鐘を鳴らした存在でした。彼は、憲法9条をはじめとする戦後体制の矛盾を強く批判し、日本人が物質的な豊かさと引き換えに「国家としての誇り」と「精神的支柱」を失ってしまったことを嘆きました。自衛隊の存在と憲法の不整合、主権なき民主主義、そして思想を語ることへの萎縮……それらすべてを問題提起し、「真の日本を取り戻すべきだ」と、まさに命を賭して訴えたのです。

 

 

 そして現在の日本社会に蔓延しているのは、「主義よりも現実」「理念よりも損得」を優先する現実主義、あるいは利得主義的な思考です。その背景には、資本主義的な国際秩序が与えてきた影響も無視できません。

 

 高度経済成長を経て、国民生活が豊かになるにつれ、こうした風土は暗黙のうちに「成功のモデル」として正当化されてきました。その背景には、メディアによって繰り返し描かれてきた大衆像が、人々の価値観や行動様式に大きく作用してきた側面もあるのかもしれません。

 

 現在、噴出している数々の問題は、もちろん政治家だけに責任があるとは言えません。しかしながら、自民党による一党優位の政治体制は、そうした風土の上に築かれてきたことは否定のできない事実です。全方位的な政策によって、一見民意を広く汲んでいるように思えるのですが、制度を複雑化させ、その実は巧妙に議員らにとって都合の良い構造が温存され、より強固なものになったという側面も否めないのです。

 

 全てが意図的でないにしても、少なくともその構造の歪みに気付いていた議員はいたはずです。にもかかわらず、是正されることなく放置されてきた事実こそが、当選とともに「かつて国民だったときの視点」や「初心」が遠のき、選挙と保身が優先されるようになってしまった現実を、何よりも如実に物語っているのではないでしょうか。

 

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保守とリベラルという対立軸について

 日本でも政治を語る際に、「保守」や「リベラル」という言葉がしばしば使われます。しかし、その区分は、欧米のように明確な対立軸としては、日本社会において必ずしも機能してるとは言い難いのが現実ではないでしょうか。

 

 その背景には、いくつかの要因が考えられます。第一に、すでに述べたように、日本人には「イデオロギーなく国民性」がすでに根付いてしまっているという点が挙げられます。つまり、政治的立場や主義よりも空気を読むこと、争いを避けることが優先され、思想的な対立を公に表明することが避けられてきたのです。

 第二に、よく取り沙汰される「憲法第9条の改正」が、日本における保守とリベラルの象徴的な対立軸と見なされてきたことがあります。たしかに、「改憲か護憲か」という対立構造は存在しますが、それが純粋な思想や理念によるイデオロギー対立かと言われれば、必ずしもそうではありません。

 なぜなら、この問題は単なる法改正の是非だけでなく、複数の深刻なテーマが複雑に絡み合っているからです。以下のような論点がすべて一体となって議論されるため、思想の違いを明確に切り分けることが難しくなっているのです。

  • 自衛隊という実質的な軍事力を、どこまで認めるか
  • 日米安保理条約(安保)を、今後も継続・強化すべきか、あるいは見直すべきか
  • アメリカに依存する安全保障体制を、主権国家としてどう評価するか
  • 憲法第9条の精神と、現実の自衛との矛盾をどう捉えるのか

 これらはすべて密接に結びついており「9条を変えるべきか否か」という一問一答では整理できません。しかも、そこに外交、安全保障、主権、憲法解釈などが重なり合うことで、議論はますます複雑化し、国民的な合意を形成しにくい状況が続いているのです。

 こうした中にあっては「保守vsリベラル」といった単純な対立的構図自体が、すでに形骸化しているとも言えるでしょう。政治が思想ではなく、利害や空気によって動く政治の在り方が、それをさらに曖昧にしてしまっているのかもしれません。

 しかも、もし本当に「主権は国民にある」という理念が、すべての議員たちの根底に息づいているのであれば、なぜこうした構造が長年是正されてこなかったのでしょうか。国民投票という手段を用いて、その是正を国民に問うことも本来は可能だったはずです。

 にもかかわらず、それが制度として実行に移されていない現実こそが、日本が真の意味で「民主主義国家」としてまだ自立していないことを、如実に物語っているのではないでしょうか。

 

 結局のところ、日本において「保守」と「リベラル」を分ける実質的な対立軸は存在していません。あるとすれば、それは平和主義か交戦主義かという、安全保障におけるタカ派・ハト派という構造程度に留まるものです。また、実利主義・功利主義・自由主義・保護主義・個人主義といった、政策的なスタンスの違いは見られますが、これらはあくまでも実務上の立場の相違にすぎず、理念や価値観に根差したイデオロギーによる対立には至っていないのです。

 

 日本政界においての対立構図とは、突き詰めれば利権や支持獲得をめぐる政党間のポピュリズムにすぎません。保守やリベラルという言葉は、その実態を覆い隠す装飾のように使われ、あたかも高度な政治論争が交わされているように見せかけている……それが、今の日本政治の現実ではないでしょうか。

 

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保守とリベラルの違い

 それでは「保守」や「リベラル」とは、そもそもどのような立場を指すのでしょうか。

 

 「保守」とは、従来の伝統や習慣、制度、価値観を大切にし、それらを維持・継承しようとする考え方を指します。社会の急激な変化よりも、安定と連続性を重視し、過去の経験や理想に基づいてものごとを判断する傾向があります。穏健で現実的なアプローチをとる立場とも言えるでしょう。

 

 「リベラル(革新)」とは、個人の自由や権利を尊重し、社会の制度や仕組みに柔軟な変化を求める立場です。伝統や慣習にとらわれることなく、よりよい未来を築くために現在の制度を見直し、改革していこうとする姿勢が特徴です。現状維持ではなく、変革によって理想を実現しようとする方向性です。

 

 こうした立場の違いはで、しばしば憲法9条の改正をめぐる議論に表れることがあります。たしかに「改憲か護憲か」という構図は、保守とリベラルの対立の象徴とされてきました。しかし、本来この対立の根底にあるべきは憲法9条のみにとどまらず、日本国憲法全体に対する立場や評価となるはずです。

 つまり、「改憲か護憲か」という問いの背後には、日本という国家の在り方、主権の在り方、民主主義の成熟度、そして戦後体制そのものに対する是非といった、より深層の論点が横たわっているのです。

 

 また、先に述べたとおり、この「改憲か護憲か」という対立が、日本において純粋なイデオロギーの対立にまで発展しにくいのには、いくつかの理由があります。

 

 いずれ、それについて考えていきます。

 

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航行する国家という船

 政権交代がなかなか実現しない……その最大の要因は、かつての「民主党政権」が残した負の遺産にあります。

 当時、多くの国民が民主党政権になり、世の中がより良く、より便利になることを期待していました。しかし現実には、政治の未熟さ、政策の混乱、官庁との不協和、財政感覚の甘さなど、次々と露呈し「やはり政権交代は危うい」という印象を国民に強く残してしまったのです。

 さらに不運だったのは、東日本大震災という未曽有の危機に直面したことです。国難にあたっては、与野党の違いを超えた連携が不可欠であり、当時もまた、党派を超えて協力せざるを得ない状況でした。これは、仮にどの政党が政権を握っていても同様の対応が求められたはずです。

 しかし現実には、未曽有の混乱の中で生じた不手際や判断の遅れがすべて民主党政権の「経験不足」に起因するものとして受け取られ、行き場を失った国民の不満や苛立ちが一斉に民主党に向けられる形となってしまったのです。

 本来であれば、それ以前から積み上げられていた構造的な問題……長年の自民党政治がもたらしたツケ……もまた、この混乱の一因であったにもかかわらず、責任の多くが民主党に転嫁されてしまいました。皮肉なことに、民主党が懸命に取り組んだ功績は「自民党の後押しがあったから」と受け止められ、一方で自民党が生み出した課題や負の遺産は、政権交代によって、そのまま民主党の責任とされてしまったのです。

 

 政治を「航行する国家の船」に例えると分かりやすいかもしれません。

 政権交代とは、あくまでも乗組員……つまり船長や航海士の交代に過ぎません。しかし、今の日本が直面しているのは、船体の老朽化や構造的なゆがみです。加えて、国際情勢の荒波、大国同士の軍事衝突、資源や食料の供給難、気候変動など、外部からの過酷な状況も押し寄せてきています。

 

 つまり、必要なのは船の修理や設計の見直しといった「構造改革」であって、単なる乗組員の入れ替えだけでは、もはや乗り切れないのです。にも関わらず、ここで「また新人に操縦を任せるのか?」という不安が、民主党政権の苦い記憶と結びつき「やはりベテランに任せよう」と現状維持に流れてしまう……これが政権交代が実現しにくい本当の構図ではないでしょうか。

 

 しかし、ここで忘れてはならないのは、「船の損傷」が進んでいるという現実です。船体のゆがみ、古びた操舵装置、目的地を見失った航海図……それらは、まさに現代日本の制度や政治構造そのものを象徴しています。憲法を含む法制度もまた、この「船の設計図」にあたります。

 

 「航行する国家」という船の上で、国民を載せたまま修理を進めることは、想像以上に困難を極めます。

 

 本来、船に大きな欠陥や老朽化があるのであれば、一度陸に戻して修理するのが最善ですが、国家という船にはそのような「ドック入り」の猶予は許されません。国民を降ろすこともできず、航行を続けながら修理を施さなければならないのです。

 歴史的に見ても、大きな制度改革や憲法改正がなされたのは、たいていの場合、戦争や革命などで国家が破壊された「後」でした。つまり、船か完全に沈没したあとに、新たな船を

一から作り直すことが可能だったのです。皮肉なことに、戦争とはそうした「あら治療」によって、乗客である国民ごと放り出し、国家の枠組みそのものをゼロから再構築する機会を、生み出す措置になってしまっていたのです。

 

 だからこそ、平時の中で国家を抜本的に修理・改革していくことの難しさは際立ちます。国民を守りながら、制度という名の船体を少しづつ補強し、方向を修正していくには、並外れた知性と覚悟、そして政治の責任感が必要とされるのです。

 

 

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今、必要な構造改革とは

 

 ①、日本の「三権分立」は、本来権力の集中を防ぐための制度であるにもかかわらず、実質的には機能不全に陥っており、相互の抑制・均衡が働いていない。

 

 ②、「2院制」も建前上は立法の熟議や再考を促す制度であるが、現在は与党の多数支配によって形骸化しており、現実的には大きな意味をなしていない。

 

 ③、国民の民意が正しく国政に反映されていない。選挙制度や議会運営において、声が届けにくい構造がある。

 

 ④、官庁と議員の癒着構造が、政策決定や人事に影響を与え、不透明な利権や便宜供与を生んでいる。

 

 ⑤、政党間の論争が、本質的なイデオロギーの対立ではなく、スキャンダル合戦や足の引っ張り合いになっており、建設的な議論が国会において行われていない。

 

 ⑥、国会や議員の活動が見えにくく、特に政治資金が筆頭になるが、意思決定の過程などの透明性が欠如している。

 

 ⑦、議員の説明責任が不十分であり、政治不信を助長させている

 

 

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考え得る対策とは

 

 ①、議員に対して、日本国憲法と民主的原則への「倫理的な宣誓」を義務付けることで、自律的な行動を促進する。

 

 ②、三権分立の加えて、「五権分立」の導入を提案。

 ・議会(立法)・内閣(行政)・裁判所(司法)に加え、

 ・国民代表による独立第三者機関(民意監視権)

 ・専門家による独立倫理審査会(倫理監督権)

を制度的に位置付け、これらに議員の更迭権など一定の抑制権限を与えることで、政治のバランスを回復させる。

 

 ③、政府(内閣)が現与党と過度に結びつかないよう、一定独立性を制度的に担保する。たとえば、内閣に与党とは異なる政策監査機関を設けたり、与党から距離を保った立法審査手続きを導入することで、決定権を集中させつつも、その権限が過度に与党と癒着しないように抑制する機能を同時に持たせる。

 

 ④、少数多党制の導入による政治の多様化と抑制機能の強化。

現在の日本のように、「一強多弱」の与党優位体制が長らく続いており、その結果、政策決定が偏りやすくなり、民意が十分に反映されにくい状況が続いています。この構造的な偏りを是正するための方策として「少数多党制」の導入が挙げられます。

 これはドイツやオランダなどが採用している制度で、比較的小さな政党にも発言権と議席を確保することで、政治的に多様な視点と声を反映しようとするものです。

 具体的には、選挙制度を比例代表中心に見直すことや、議席配分における得票率のハードルを緩和することによって、多様な立場の政党が国会に進出しやすくなります。

 またこうした構造は、政権運営においても自然と連立政権や協議・合意形成の文化を促進し、与党の暴走を抑止する健全な政治環境の構築にもつながります。

 

 

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 様々な問題が噴出しており、なかなか難しいテーマだったので、誤字や脱字、乱文などがあったかもしれません。どうかご容赦いただけますと幸いです。

 

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 こんにちは (*´∀`*)ノ 

 ご訪問ありがとうございます。

 

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USスチール買収完了

「労働者を幸せにしてくれよ」

日本製鉄はアメリカの鉄鋼大手、USスチールの買収完了を受けて会見を開き、橋本英二会長はアメリカ市場の成長性を挙げて、巨額買収は合理的な判断だったことを強調しました。

 

(中略)

 

「黄金株を提案し、合意に至った」

橋本会長は「当社が世界一に復帰するためには必要かつ有効な戦略ということだが、同時にUSスチールが再生し、発展していく唯一の方策で、文字どおりのウインウインだ。アメリカ政府が期待しているのは生産能力の維持拡大、商品メニューを増やすための積極投資の実行であり、それを雇用拡大と、貿易赤字の縮小につなげていきたい」と述べました。

その上で「投資の実行を監督したいというアメリカ政府の意向を受け入れることとし、これを黄金株という形で分かりやすく表すことを提案し、合意に至った。設備投資の早期実行にはトランプ政権の支援が期待できると思っている」と述べました。

「経営の自由度は十分に確保 米政府が拒否権持つのは当たり前」

橋本会長は、アメリカ政府と国家安全保障協定を結んでも経営の自由度が保たれるのか問われたのに対し「協定の中身を見てもらえば分かるが、安全保障にはあまり関係なく、産業政策や雇用政策に関するもので、『労働者を幸せにしてくれよ』ということだと理解している。経営陣については主なポジションはアメリカ人でやってもらうのが必要だ。アメリカの会社としてUSスチールを経営していくので、アメリカの鉄鋼業全体にとって合理的で、アメリカ政府の意向に沿って行動するのは当たり前なので問題ないと思っている」と述べました。

また、アメリカ政府が黄金株を保有することによってUSスチールの独立取締役1人を選任できることなど、アメリカ政府が一定の影響力を持つことについて問われると「9人の取締役のうち、1名を選任したいということについて、大きな実害はない。コミットした設備投資の削減については、削減どころかコミットしたことをさらに追加で拡大していくつもりで全く支障がない」と述べました。

その上で「120年以上にわたりアメリカを支えてきた企業で、アメリカ政府が経済合理性だけでわかりましたということにはならず、慎重に監督して、とんでもないことについては拒否権を持つということは当たり前だと思う。経営の自由度は十分に確保されていると思う」と述べました。

 

(中略)

 

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すべてが織り込み済みでした

 まずは一言、「お疲れ様でした」と言わせてください。

 まさに、嬉しい意味で予想を裏切る知らせでした。

 

 さすが橋本会長、役者が違いました。

 

 当初は、トランプ大統領から「黄金株」発言が報道され、日本製鉄側が翻弄される展開になるのでは、そんな不安を感じていました。しかし、ふたを開けてみれば、アメリカの意向をすべて織り込んだ、極めて冷静で戦略的な提案を、日本製鉄側が自ら提示していたという事実。これこそまさに、真の企業力だと感じました。

 

 暗い報道が続く昨今にあって、本当に明るいニュースとなりました。

 

 もちろん、今後の展開にさまざまな課題があることとは思いますが、それでも、今回のような覚悟ある判断と対話の姿勢があれば、きっとまた良い知らせが届くと信じています。

 

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日本製鉄公式HPから正式な発表

US スチールは、象徴的な社名と

ペンシルバニア州ピッツバーグの本社を維持し、

 米国において原料採掘から製品製造までを

一貫して運営し続ける

日本製鉄と US スチールのパートナーシップにより、

10 万人超の雇用を維持、創出 

 

「総合力世界 No.1 の鉄鋼メーカー」として共に前進

 

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【今できること……9.99. 】


 こんにちは (*´∀`*)ノ 

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世界軍拡競争の激化が進む

 

 いま、世界は明らかに「平和」とは真逆のベクトルへと突き進んでいる……

 

 そう断言せざるを得ないほど、現実の国際社会は「軍拡競争」という坂道を転がり落ち続けています。

 

 各国で防衛費の増額が“当然”のように進められ、その流れは、まるで抗争の火種に油を注ぐようです。たとえ直接的な戦争に至っていなくとも、いずれ“何らかのきっかけ”を生み出すことになるでしょう。

 

 

 つい先日、トランプ大統領が発表した「ゴールデンドーム構想」。その予算額は1750億ドルとも報じられましたが、軍事専門家によれば、それでも「全く足りない」とのこと。
 一方、日本でもミサイル防衛の強化が進められる中、お隣は空母から発艦した戦闘機による意図的な領空侵犯という、挑発的行動が繰り返されています。

 

 こうして世界各国に燃え広がる戦火を目の当たりにしていると、「わたしたちの希望はいったいどこにあるのか……」と、つい呆然とさえしてしまいます。

 

 

 ちょっとグタグタな内容になるかもしれませんが……

 今回は、「核兵器」について、踏み込んでお話しようと思います。

 

 

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宇宙戦争までもが始まっている

[ワシントン 13日 ロイター]

米西部コロラド州コロラドスプリングスの米宇宙コマンド司令部では、軍事計画の立案責任者らが期限に追われながら、宇宙空間における初めての大規模戦争に向けた計画の策定を急いでいる。

その期限は2027年かもしれない。中国の習近平国家主席は自国軍に、この年までに台湾侵攻の準備を整えるよう指示したと米政府は認識している。

パレスチナ自治区ガザやウクライナでの地上戦がそうであるように、こうした宇宙戦争もまた衛星通信に大きく依存した、極めて複雑で変化の急な戦闘となる見込みだ。電子妨害や人工知能(AI)が制御する無人機、そして互いに追尾・攻撃可能な宇宙船の活用も増えるだろう。

そうした対立の多くは必然的に秘密裏で行われることになる。一方で、ここ2年間では、ロシアが地球周回軌道上で爆発する核兵器を開発していると米国が主張し、米国が秘密扱いにしている無人「スペースプレーン」が434日間の軌道上飛行という記録的な使命を終えて3月にフロリダ州に帰還、そしてトランプ大統領が次世代ミサイル防衛構想「ゴールデンドーム」を提唱、といった事例が次々と起きている。

 

ゴールデンドームは、トランプ氏が2期目に就任した直後の1月に発表したばかりにもかかわらず、既に宇宙統合軍、米空軍および関連機関の重要な優先課題となっている。

ほぼ毎週のように新たな動きが続いている。

先月は中国の宇宙科学者が、同国政府が有人宇宙ステーション「天宮」を接近する他の宇宙船から防衛するため、天宮に事実上の攻撃用無人機を装備することを検討していると述べた。

国際宇宙ステーション(ISS)における米国、ロシア、その他パートナー諸国間の関係は、1990年代初頭のプロジェクト開始以来最も冷え込んでいる。ISSは2030年に使命を終え、その後間もなく太平洋に墜落させられる予定だ。

その結果、21年に打ち上げられた中国の天宮が、地球周回軌道上に残る唯一の常時有人プラットフォームとなる。

いくら中国が「自衛」だと主張しても、何らかの形で「武装」された場合、それは宇宙の地政学を劇的に異なる局面へと移行させる起点となるだろう。

 

そうでなくても進歩は加速しており、それに伴い複雑さやリスクも増大している。

冷戦時代の「宇宙開発戦争」と現在との大きな違いのひとつが、軌道上またはそれを超える範囲で活動している国の数だ。技術進歩のスピードや、民間企業、特にスペースXとその創設者イーロン・マスク氏の役割も、当時と大きく異なる点だ。

米国とその西側同盟国は現在、中国とロシアの共同プロジェクトとの間で、人類を月に再び送り出すための競争を繰り広げている。

中国は月面基地の前段階としてロボットの常時配備を目指しており、この競争は威信の争いを超えて、資源と軍事的優位性を競うものになりつつある。

最近激しい口論を繰り広げたマスク氏とトランプ氏は足元で融和を図っているようだが、この2人の亀裂も宇宙戦争の勢力図における不確定要素として加わった。

米航空宇宙局(NASA)の民間宇宙計画と、宇宙コマンドの軍事作戦はいずれも、打ち上げをスペースXに大きく依存している。米軍とその同盟国も、通信にマスク氏のスターリンクを多用している。

 

(中略)

 

(筆者はロイターのコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています)

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宇宙戦争とは月の奪い合い?

 いま、世界の軍事大国同士の間で、宇宙空間を舞台とした新たな戦い……そう「宇宙戦争」がすでに静かに始まりつつあります。ここまで読んで、「STAR WARS」や「ガンダム」を思い浮かべた方もいるかもしれませんね。

 

 「え?今回は核兵器の話じゃなかったの?」と思われた方、ご安心ください。

 たしかに「宇宙戦争」と「核兵器」は一見つながりがなさそうに見えます。しかし、実はこのふたつは決して無関係ではありません。

 

 それでは、「宇宙から始まる核兵器」についての話を進めていきます。

 

 ここで登場するのが、「ヘリウム3」と呼ばれる希少物質です。

 これは月の表面を覆う「レゴリス(砂状の土壌)」に比較的豊富に含まれていることがわかっています。

 

 ご存じのとおり、戦争の多くは「資源(利権)」と「領土」の奪い合いから始まるのです。 

 そして、このヘリウム3こそ、今後のエネルギー覇権を握る「次世代資源」として、世界各国が注目しているのです。

 

 なぜなら、この物質は核融合エネルギーの理想的な燃料とされており、さらに言えば、従来の水素爆弾よりも高出力で、放射線被害の少ない核兵器の開発にも理論的には利用可能だからです。

 

 つまり、ヘリウム3をめぐる「月の争奪戦」とは、宇宙空間における軍事衝突……まさに宇宙戦争の引き金となる可能性を秘めているのです。

 

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核爆弾の種類

 あなたは「核兵器」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるでしょうか?

 おそらく多くの日本人にとって、それは決して許されるべきではない兵器。いかなる状況においても、即座に排除されるべき存在だと感じるのではないでしょうか。少なくとも、それを快く受け入れられる日本人はいない、とわたしは信じたい……

 

 それでも近年、「非核三原則」の見直しや、さらには「日本も核を保有すべきではないか」といった議論まで、現実の声として聞こえてくるようになりました。

 

 正直に言えば、わたしも若いころ、あまりにも北朝鮮が立て続けにミサイルを撃ち込んでくるので、「いっそ核廃棄物でも詰め込んだミサイルを撃ち返してやれ」と乱暴に考えたりしたものでした。けれど、それは到底“核兵器”とは呼べない代物。放射性物質によって汚染が引き起される、いわゆる「ダーティボム」にすぎません。

 

 では実際に、核兵器と呼ばれるものには、どんな種類があるのでしょうか。

 

 ひとことで“核兵器”といっても、その中にはいくつかのタイプが存在しています。代表的なものを挙げれば「原子爆弾(核分裂爆弾)」「プルトニウム爆弾」「水素爆弾(核融合爆弾)」といった種類があります。

 

 それらの威力は、想像をはるかに超えるものです。

 

 ひとたび爆発が起きれば、直径2キロ以上にもおよぶ火球が出現し、その内部にあったものは建物も人も、すべて例外なく一瞬で蒸発します。

 さらに、火球から放たれる高熱によって、半径10キロ以内の可燃物は次々と着火します。もちろん人間の身体も、その熱からは逃れられません。

 続いて襲ってくるのは、強烈な衝撃波。それがあたり一面に瓦礫を巻き上げながら押し寄せ、半径20キロにおよぶ範囲を、破壊と炎の地獄に変えていきます。

 

 

 そうして、そこにあったはずの都市は……跡形もなく消滅するのです。

 

 たった一発で……

 

 しかも今、世界には1万発以上の核弾頭が、いつでも発射可能な状態で、静かに……ただ“そのボタン”が押される瞬間を待ち続けているのです。

 

 

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核戦争シュミレーション

 では、核兵器をつかってみましょう。

 あなたが、その作戦指揮官だとしたら、一体どのような状況で核の使用を決断しますか?

 

 もし本気で「勝利」だけを目的とするなら、ためらう理由はありません。即座に敵国の首都、主要都市、軍事拠点へと、次々に核を投下すればいい。国家そのものを、根こそぎ消滅させることができるのです。

 

 ……けれど現実を見てください。

 今この瞬間も世界各地で戦争が続いているのにも関わらず、核兵器は一発たりとも使われていない。

 

 なぜでしょうか?

 

 答えは明白です。

 たとえ勝利したとしても、その引き換えに背負うことになる「倫理的絶対悪」という烙印。それこそが、各国の指導者たちを躊躇させている最大の理由なのです。

 

 もちろん、敵も核を持っている場合など、核が使われない理由を一概に語ることはできません。

 ですがそれでも、人類史上、唯一核兵器を実戦で使用したアメリカですら、なぜ二度と使っていないのか?

 それは……第二次世界大戦終結から80年という歳月をかけて、ようやくその「汚名」を少しづつ拭い去ってきたからではないでしょうか。

 日本はあの原爆によって、計り知れない苦しみと悲しみを背負うことになりました。

 けれど、わたしは思うのです。撃った側のアメリカもまた、その事実と向き合い続けるという、別のかたちの苦しみを背負ってきたのではないかと。

 

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核濃縮施設

 核兵器の燃料として使用されるのは、主にウランやプルトニウムです。しかし、これらの物質そのものは比較的入手可能であっても、すぐに核兵器を製造できるわけではありません。

 例えば、ウラン鉱石がら得られるウランには、主に「ウラン238」と「ウラン235」というの2つの同位体が含まれています。このうち、核分裂を引き起こす性質をもつのはウラン235ですが、その含有率は天然ウランの中ではわずか0.7%しかありません。

 そこで必要になるのが、ウラン235の割合を高める「濃縮」という工程です。つまり、ウラン238の比率を下げ、ウラン235の濃度を引き上げる作業が必要となるのです。

 この濃縮度には段階があり、原子力発電所で使用される「低濃縮ウラン」は、ウラン235の濃度が3~5%程度に対して、核兵器として利用するためには、ウラン235の濃度を90%以上にまで高めた「高濃度ウラン(HEU)」が必要とされています。このような高濃度ウランを得るには、長期間にわたる継続的な処理と、高度な技術が欠かせません。

 またプルトニウムを使用する場合にも、同様に不純物を取り除き、核兵器に適した純度(プルトニウム239の割合が高い状態)にまで精製する「再処理」という工程が必要になります。これには、使用済み燃料からの抽出と分離という複雑な作業が伴います。

 

 つまり、原子力発電所がどれだけあったとしても、それだけで核兵器を作ることはできません。核兵器の開発には、専用の「核濃縮施設」「再処理施設」といった軍事転用可能な設備が不可欠なのです。

 

 濃縮の方法として代表的なのが「遠心分離法」と呼ばれる技術です。これは、ガス状のウランを高速回転する遠心分離機にかけ、わずかな質量差を利用してウラン235を徐々に分離・濃縮していくものです。

 この濃縮作業は、一度に大量に行えるものではなく、ごくわずかずつの処理を繰り返し、上記の画像のように、数百~数千台の遠心分離機を連結して、数か月から、1年以上をかけて濃縮度を徐々に高めていきます。

 

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濃縮施設への攻撃

[ウィーン 16日 ロイター] 

 

国際原子力機関(IAEA)のグロッシ事務局長は16日、イスラエルの軍事攻撃に伴う停電によって、イラン中部ナタンズの主要ウラン濃縮施設で稼働していた約1万5000台の遠心分離機が大きな損傷を受けた、もしくは破壊された公算が大きいという認識を示した。

グロッシ氏はBBCとのインタビューで「われわれの評価では、突然の外部電源喪失により、遠心分離機は完全に破壊されなくても、深刻な損傷を受けた可能性が高い」とし、「内部に被害が出ていると思う」と語った。

IAEA理事会の臨時会合では「13日の攻撃で地上部分が破壊された試験用燃料濃縮施設のほかに、ナタンズ濃縮施設敷地には新たな被害は確認されていない」としていた。

フォルドゥの濃縮施設については、新たな被害は確認されていないと明らかにした後、BBCに対し「被害があっても、極めて限定的」という認識を示した。

同氏は先週末、イスラエルによる攻撃でエスファハンの核施設にある建物4棟が損傷したと表明しており、今回その被害について詳しく説明した。

「エスファハンの核施設では、中央化学研究所、ウラン転換工場、テヘラン原子炉燃料製造工場、そして建設中だった、四フッ化ウラン(UF4)から濃縮ウラン金属を加工する施設の計4棟が13日の攻撃で被害を受けた」と語った。

IAEAは今後も引き続きイラン国内に駐留し、活動を継続する方針を示し、安全が確保され次第、保障措置に関する査察も再開されると述べた。

 
脅かされる市民の安全と生活
 すでに多くのメディアによって、イラン国内の核兵器関連施設への一連の攻撃が報じられています。特に注目されているのが、核兵器への軍事転用が可能とされる「濃縮施設」を標的とした攻撃です。
 前述のとおり、ウランやプルトニウムの濃縮は、核兵器の開発において不可欠な工程です。今回の攻撃は、まさにその中枢を狙ったものであり、イランの核開発計画に対する軍事的圧力の現れといえるでしょう。

 一方、現時点で国際原子力機関(IAEA)は、濃縮施設からの放射能漏れに対する懸念を表明しています。核施設への直接攻撃は、単なる兵器製造能力への攻撃にとどまらず、周辺環境や住民への深刻な放射能リスクを伴うため、その影響範囲は極めて広範かつ深刻です。

 

 またイラン国内には、地中深くに建造された地下型の濃縮施設が存在しており、これらを完全に破壊するためには、通常兵器では不可能とされます。そのため、アメリカ軍が保有する「バンカーバスター(超高貫通爆弾)」といった特殊兵器の使用が想定されています。

 

 もし今後、アメリカ軍がイスラエル軍に対してこうした兵器の軍事的支援を行うことになれば、中東地区の緊張は一気に高まり、事態はより複雑かつ深刻な局面へと進む可能性があります。報復の連鎖による衝突の激化は避けられず、何よりも地域に暮らす市民の安全と生活が、大きく脅かされることが心配されます。

 

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核兵器の取り扱いと純度の重要性

 核兵器の燃料には、主にプルトニウム239が使われます。これはガンマ線の放出が少ないため、保管や運搬中の被ばくリスクが比較的低く、実戦運用にも適しています。

 一方、同じプルトニウムでも「プルトニウム240」が混ざると状況は一転します。プルトニウム240は、強いガンマ線を常時放出するため、核弾頭自体が放射線源となって、周囲の兵士や搭載機器に悪影響を及ぼしてしまいます。そのため、核兵器には高純度のプルトニウム239が不可欠なのです。

 この純度を確保するには、原子炉を短期間だけ稼働させ、まだ240が生成される前に停止し、燃料を取り出すという特殊な工程が必要になります。もはや「発電所」というより「兵器用プルトニウム製造工場」と呼ぶべき施設でしょう。

 

 またプルトニウム239は直径10cm程度の球体で臨界に達するため、小型かつ高威力の原爆(爆縮型)が製造可能となります。実際、第二次世界大戦末期に製造された「デーモン・コア」と呼ばれる高純度のプルトニウム239で構成された球体は、実戦での使用はされなかったものの、実験中に2度の致死的な臨界事故を引き起こしました。この事故によって「デーモン・コア」と名付けられ、「人間の知識と傲慢さが生んだ悪魔的な力」の象徴として語り継がれています。

 

 また、より局所的かつ戦術的な用途のために開発された核兵器も存在します。そのひとつが「中性子爆弾」です。これは中性子の放出量を最大化し、人や生物にだけ致命的な被害を与える一方で、建物などの物的インフラには比較的被害を与えずに済むという、極めて特殊な核兵器です。被害の選択性ゆえに、倫理的に大きな議論を呼びました。

 

 

 そして、さらなる高出力を求めて開発されたのが、核融合を利用した「水素爆弾」です。これは重水素と三重水素(トリチウム)の融合反応によって、さらに膨大なエネルギーを生み出します。ただし、トリチウムは非常に希少かつ高価であり、核融合発電においても最大の課題となっている物質です。

 

 

 では、もしトリチウムの代わりに、より安定して入手でき、しかも放射性リスクも低い……そんな「夢の物質」があるとしたらどうでしょうか……?

 

 

 

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核と宇宙をめぐる欲望の葛藤

 これまで、核兵器の恐ろしさについて、できる限り丁寧かつ簡潔にお伝えしてきました。たった一発で都市を消滅させる核の力は、人類が手にした最も破壊的なエネルギーです。しかし同時に、「核融合」という形で、未来のクリーンエネルギーとしての大きな可能性も秘めています。

 

 このような強大な破壊兵器を前に、世界各国は「相互確証破壊(MAD)」という戦略に基づき、抑止力のバランスを保とうとする傾向があります。「核の傘」も、この発想に基づいた軍事同盟の形です。

 

 一方で、そもそも敵からの攻撃自体を成立させない構想が「ゴールデンドーム構想」です。これは、宇宙空間に展開した監視・迎撃ネットワークによって、自国領域に飛来するあらゆる攻撃手段を、宇宙や大気圏外で事前に探知・迎撃・無力化するという、壮大な防衛システムです。

 もちろん、そこには弾道ミサイルによる核攻撃も含まれており、自国の上空を「宇宙シールド」で覆うようなイメージです。従来の「核抑止」が、「反撃の恐怖による抑制」に頼るのに対し、この構想は「攻撃そのものを無力化させる」という「絶対防衛」の思想に基づいています。ただし、現実には超高速で飛来するミサイルの迎撃精度や、膨大な宇宙インフラの維持、さらには技術的・経済的課題が山積みしており、実現にはまだ長い道のりが必要とされています。

 

 このように、世界の防衛システムは「攻撃」と「防衛」の両面を担うミサイル技術によって構成され、まさに矛と盾、相反する破壊兵器の共存によって成り立っています。しかし核エネルギーとは本来「破壊」のための力ではなく、「未来のエネルギー」として活かすことこそが、人類の目指すべき希望の道ではないでしょうか。

 

 

 そこで注目されているのが、夢の物質と呼ばれる「ヘリウム3」です。月の表面を覆うレゴリスに豊富に存在しています。核融合燃料として非常に有望とされるヘリウム3は、全人類の数千年分のエネルギーをまかなうポテンシャルを秘めているのです。

 

 

 しかし、資源の独占が新たな争いを生むことは、これまでの歴史が何度も証明してきました。地球上でも、希少物質(レアアース)の輸出制限ひとつで国際社会が揺れ動くように、もしこうした宇宙資源までもが、一部の「ご都合主義」とも言える偏重的な通商戦略をとる国家に独占されるようになれば……

 

 次の覇権をめぐる争いの舞台は「月」となり、やがて世界はその一国の属国となることを強いられるでしょう。

 

 もうすでに、その動きは始まっているのかもしれません。

 

 

 現代の技術進化は目を見張るもので、「宇宙」「核融合」「人工衛星」「ミサイル防衛」など、核兵器以外にも私たちが見落してはならない課題が次々と浮かび上がっています。しかも、昨日までの常識が、今日には通用しない……そんな現実が、すでに日常となりつつあります。

 

 そして、核兵器は今のところ、まだ使用されていません。それは、人類がかろうじて国際社会における最低限の倫理と理性を保っていることの証でもあります。けれども、それが今後も保証されているわけではありません。

 

 

 そう、わたしたちは今、まさに「薄氷を踏むような時代」を生きているのです。

 

 

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