ネタ名目は「#好きな映画は」です。
わたしは映画が好きです。
今でこそネット配信で映画やドラマを見放題は嬉しいばかりですが、映画館で観るのも楽しいですよね。やっぱり大画面は迫力満点だし、キャラメル味のポップコーンは美味しいし、何より友達と一緒に出掛けて観に行くのも良い思い出になったりするよね。

最近気になってる映画はと言うと……
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー Volume3
原題: Guardians of the Galaxy Volume3

この映画はMarvelの製作で、これが第3作目となります。第1作目ではお馴染みのクルーたちが各々の個性を互いにぶつけ合いながら、クイルの仲間となっていく様が楽しかった。「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」として宇宙に名を馳せたクイル、ガモーラ、ロケット、グルート、ドラックスの冒険は続いて行く。果たして今回はどんな物語になるのか。インフィニティウォーによって、愛するガモーラを亡くし傷心のクイルとその仲間たちに、新たな冒険が待ち受けるのだった。





予告編を探していたら、サントラがありました。自分も今少しづつ聴き始めてる段階ですが、良かったらお聴きください。


好きな映画は

 

 

 

 

 

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おはようございます。

リハビリ病院に入院しています。

起床時間がam6:30、

朝食の時間は7:30、

その後歯磨きと洗顔。

顔を洗っていた時のことです。


設置してある紙タオルを

車椅子に座っている方が

取ろうとしていたけど、

手が濡れていて取れなかったから…


「どうぞ。」

と、こちら側の紙タオルを渡したら

「ありがとう。」

って、その声がすごく心地よかった。



今日のひとことブログ

 

 

 

 

 

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外国人が行きたい東京観光名所


某テレビ番組で日本に来た約1,000名の外国人に尋ねた東京観光名所をランキング形式で紹介していました。知らなかった場所もあり、ネット検索していたら東京都のオフィシャル観光サイトが見やすかったので、各スポットと一緒に掲載しておきます。


あなたはどうですか?東京の観光名所にどれだけ行ったことがありますか?

わたしは東京スイーツ店を巡りながらいつか行ってみたいな。



1位 浅草寺

https://www.gotokyo.org/jp/destinations/eastern-tokyo/asakusa/index.html


2位 上野恩赦公演 上野東照宮

https://www.gotokyo.org/jp/spot/482/index.html


3位 明治神宮 鳥居

https://www.gotokyo.org/jp/spot/76/index.html


4位 築地場外市場

https://www.gotokyo.org/jp/destinations/central-tokyo/tsukiji/index.html


5位 秋葉原電気街

https://www.gotokyo.org/jp/destinations/central-tokyo/akihabara/index.html


6位 皇居

https://www.gotokyo.org/jp/story/guide/a-noble-look-at-tokyos-imperial-palace-a-guide-to-the-royal-residence/index.html


7位 下北沢

https://www.gotokyo.org/jp/destinations/western-tokyo/shimokitazawa/index.html


8位 東京スカイツリー

https://www.gotokyo.org/jp/destinations/eastern-tokyo/skytree-and-around/index.html


9位 渋谷 スクランブル交差点

https://www.gotokyo.org/jp/destinations/western-tokyo/shibuya/index.html


10位 原宿 竹下通り

https://www.gotokyo.org/jp/destinations/western-tokyo/harajuku/index.html


11位 渋谷PARCO

https://www.gotokyo.org/jp/new-and-now/new-and-trending/190924/topics.html


12位 銀座

https://www.gotokyo.org/jp/spot/43/index.html


13位 豊洲

https://www.gotokyo.org/jp/destinations/eastern-tokyo/toyosu/index.html


14位 渋谷スカイ

https://www.gotokyo.org/jp/spot/1749/index.html


15位 思い出横丁

https://www.gotokyo.org/jp/spot/63/index.html


16位 東京タワー

https://www.gotokyo.org/jp/destinations/southern-tokyo/tokyo-tower-and-around/index.html


17位 かっぱ橋道具街

https://www.gotokyo.org/jp/spot/59/index.html


18位 井の頭公園

https://www.gotokyo.org/jp/spot/624/index.html


19位 日本橋

https://www.gotokyo.org/jp/destinations/central-tokyo/nihombashi/index.html


20位 清澄白河

https://www.gotokyo.org/jp/destinations/eastern-tokyo/kiyosumi-shirakawa/index.html だれかに教えたいこと

 

 

 

 

 

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たまたま観たBSの番組「ロングトレイル/世界の美しさに気づく旅」写真家 野川かさねさんと共に、ニュージーランド島のトレイルコースや大自然を歩きながら写真や映像を見せてくれる番組。



番組中に樹皮の映像を流しながらの言葉でした「この樹皮の模様にもきっと意味がある、植物はひたすら懸命に生き抜いているのだ…」と。


事故に合い、大怪我をしました。自分に舞い降りた不幸にもがき苦しんでいます。しかし病院内には様々な病気や怪我で同じように、また大変な病症を抱えながらリハビリを行っている方が多くいます。


野川さんの樹皮の言葉と自分の体験が重なって……ふと考えさせられました。それが何かは未だ分かりませんが……番組中に観たニュージーランドの自然の美しさに魅入ってしまいました。






最近と言っても、少し前になりますが…

近頃はAmazonプライム・ビデオで配信されるものばかりを見るようになって、映画館に行ったのは…

劇場版「転生したらスライムだった件」
    紅蓮の絆 編

とっても楽しかった🤩


『事故は突然目の前に』実はわたし現在入院中で、先日の5月5日に交通事故に遭いました。今回はその報告のような話と、周囲には話せない本音を……なので、ちょっと暗く重く長い話になるので、…リンクameblo.jp



交通事故で、全治3ヶ月です。

現在入院してから、約2ヶ月経ちました。転院してリハビリ病院でリハビリに努めていますが、ここまで来るのに色々大変だったなぁ。


皆さん、交通事故気を付けて下さい。やってからの後悔では遅いですよ。



入院した経験

 

 

 

 

 

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実はわたし現在入院中で、先日の5月5日に交通事故に遭いました。


今回はその自分自身への報告のような話と、周囲には話せない本音を……なので、ちょっと暗く重く長い話になるので、この先へ進む方はご覚悟くださいませ。


その事故はUber配達中に起きました。(現状などについては過去のブログにあります。)

わたしの5月5日の記憶は、ぼんやりとした曖昧な記憶しか残っていませんでした。記憶を無くすとは、このようなことを言うんですね。事故後、緊急搬送された病院で、連絡をくれた警察官は事故状況をこう言っていたと聞きました。

「時刻は約13時頃、片側2車線の比較的大きな道路、信号のある交差点を、わたし(バイク)が直進していたところに、相手(乗用車)が右折し車の側面に接触した。両者共に青信号だった。」

わたしの事故後の記憶はICUのベッドで右腕に創外固定器具が付けられた状態からでした。朦朧とする意識の中、目の前には兄夫婦や姉と共に別居中の妻も居ました。脳震とうが起きていたんだと思います。わたしがUberの配達中で料理を届けなくてはと、しきりにスマホでUberに連絡を入れようとしていたのを覚えています。看護師さんたちがUberバッグの中にある料理を廃棄しても良いかと確認にきたので、その記憶は間違っていないかと思います。スマホも手渡されていたので、約束事のキャンセルメッセージも送ったと思います。

事故についてのぼんやりとした記憶はありました。「わたしの前方に車が走行していて、その車が左折したので、車線変更したのち交差点に侵入すると、いるはずのない車が目の前に…その後は覚えていない…」という感じでした。しかしこの記憶は後日(5月29日)の警察官との事故聴取の際に誤りだったと判明しました。わたしの前を走る車はいなかったのです。これは相手側のドライブレコーダーを警察官が確認した結果です。わたしの供述を確かめるために再度確認しました。ですので正しくは冒頭に伝えた通りでした。


その翌日か翌々日ごろ、わたし自身が顔面多発骨折(眼窩底面、眼窩側面、鼻骨なども含む)、右橈骨の複雑骨折、右尺骨骨折また脱臼して体外に突き出ていた、TFCCの損傷、左膝皿骨骨折、顔面部挫創、口腔内挫創(前歯一部欠落含む)、顔面と口内の裂傷は13ヶ所という状態だと、今後の手術を予定していく上で医師から知らされました。交通事故のこと、自分自身の身体のこと、そして自分の将来や抱えている仕事、家族問題とそれらを合わせた全てに絶望しました。そもそも何故そのまま生命を奪ってくれなかったのかと……いっそそうしてくれていたらと。それからの数日は声にもならない心の涙が出続け何も考えられませんでした。何を誰に願っていたのか分からなかったけど、有体に言うなら神にすがっていたのかもしれません。



 


妻から姉へ連絡があったようでした。見舞いに行って良いかという内容だったので、わたしから断るよう姉にお願いしました。妻とはもうかれこれ連絡は取り合っていないのですが、事故直後、警察官が家族などの親近者へ連絡を取ろうとわたしのスマホから手当たり次第に連絡しヒットしたとのことでした。今更という感情のわたしと、諦めない妻との温度差は広がる一方と思うのは、恐らくわたしだけなのか。この状況下で離婚問題については、とにかく後回しにしたかった。



更に数日後、5月9日にICUから一般病棟へ移りました。


わたしにとって幸いだったのが、頭部というか脳機能障害がなかったこと、内臓器官が無事だったこと、左手と右足が無事だったことでした。利き手を奪われ、何も出来ない毎日でしたが、かろうじて左手で食事も出来ました。一般病棟に移るとリハビリ科の先生が毎日訪れるようになりました。そしてリハビリ科の先生の指導で車椅子に乗れるようになり、状況は激変しました。排尿と排便のことです。それまでは尿瓶にしなくてはならなくて、排便はまだ我慢できましたが、するならベッドでしなくてなりませんでしたから……選択の余地は無かったとは言え、こんな状況でも何故か恥ずかしく、出来れば排便したくないと思っていたことを覚えています。寝返りもうてず、身動きも出来ない状況から移動出来るようになったことはとても大きかったです。もちろん看護師さんの同伴でしたが、トイレにも行けるようになりました。何より気分転換にもなりましたから。

症状に関していうなら、この頃の毎日は右腕の骨折の痛みと顔面の痛みといっても左側、上唇と鼻の左側から目の下付近の痺れや指先の痺れは酷かったです。また自覚症状はなかったのですが、複視があったようでした。左膝の痛みはあまり感じませんでした。顔面の腫れ、口内の打撲による痛みなどで食欲はありませんでした。もちろん利き手を使えなかったこともあります。


一般病棟に移る前、ICU病棟での看護師さんたちは至れり尽くせりのように感じました。一般病棟の看護師さんとの対応に若干の温度差というか違いがあるのかな…それは抱える患者さんの数などにも違いがあるだろうし…もしかしたら願いに対して肯定の対応か、断りの対応の違いかもしれないですが…どっちが良いとか悪いの話ではないですが、対応はその人次第ということでしょうか…性格だったり、経験だったり、相性なんかもあるでしょうし。


緊急搬送された直後の創外固定器具を装着する手術、鼻骨調整手術、眼窩底骨折手術(鼻骨調整の再手術含む)、右腕の手術と4回の手術を受けました。手術の感想はどれも最悪でした。手術してくれた先生たちやお世話になった看護師さんたちへの感謝とは別です。術後の痛みに加え、不快感や体調不良。大部屋で他の方もいたので、声も出せず何度もナースコールしても看護師さんたちは取り合ってくれません。いや、何もしようが無かったのかな。何度も痛みを訴えたのですが…本当に苦しかった、痛みを取り除くために右腕を切り落としたかった。手術が終わったのが夜中1時過ぎでしたが、その後ずっと痛みで眠れませんでした。強い薬をもらえたのが昼過ぎだったかな。看護師さんたちに言わせると、すでに飲み薬を飲んでいるから重ねて飲んだり点滴を投与出来ないと。手術の後は痛いのが当然なんですと。先生に確認取らなければ看護師さんたちの判断では何もできないとも言われました。わたしとしては飲み薬を飲む前からお願いしていたから、確認さえ取れば対応できるだろうと言いたかったのですが。後日看護師さんたちとの談話の中で感じたことですが、対応する看護師さんによっては、臨機応変の対応が出来たり出来なかったりするんだよな。全身麻酔の時には尿道に取り付けられた管が痛いし。寒いのか暑いのか…ただただ気分が悪くて、吐きたくても吐くものなんて何も出ないし。身体が思うように動かずに叫びたい気分でした。これも人に寄ってはそんなこと無かったと言われそうで…何を誰と比較しても仕方ないことなんですが…手術直後に起こされたせいか錯乱状態になっていたような気もするし…






その後、最後の手術が入院して20日後の眼窩底骨折手術(5月24日)を終えたころには入院生活は落ち着いてきました。隣りに越してきた新入りさんのイビキに我慢できずに部屋の移動をお願いし、移動してくれました。しかし結局どの部屋でもイビキの大合唱だったのには苦笑しました。まぁ音の大小はあるので、部屋替えして良かったのですけど。

もともと寝付きが悪くて、睡眠も浅かったせいか、夜中に何度も起きてました。周囲の音や光にも敏感になっていたので、睡眠薬をくれました。正確にはデエビゴは睡眠薬ではないそうですが。入院し始めた頃は眠れない日も多々ありましたが、現在も睡眠薬(デイビゴとデジレル)を飲んでいます。夜中に目覚めてトイレに行く時、ナースステーションの前を通ると夜勤の看護師さんがぽつりデスクに座っていたのを覚えてます。よくそこで睡眠薬の追加をお願いをしたな。車椅子の前は夜中に起きてもベッドでしてたから、薬の追加もナースコールだったな。


手術の話に戻ります。

最初緊急搬送され目覚めるまでに起きたことの記憶はありません。5月5日に色々な処置と緊急手術が行われたと思います。

5月11日に鼻骨調整手術。この時は外来で呼ばれ診察室で行われました。けれど麻酔が上手く出来ずに翌日再度行われることになりました。だから5月12日が手術の日ですね。手でボキボキと骨折した骨を再骨折して治すんです。今度は先生が手術室を確保しての手術でしたが、顔に部分麻酔をしているのにかなり痛かったなぁ。「行きますよ。」と言ったのち1、2の3、ボキッだから……

5月15日、右手…橈骨の再生、尺骨脱臼を戻すこと、尺骨が少し掛けていたらしい、また TFCCと呼ばれる手首のクッションのような軟骨かな?を再建する、小指の筋が無くなっていたので見つけるとかも言ってたな。橈骨にはチタンプレートを付けました。手術室には夜7時ごろに呼ばれ、手術開始が8時ごろだったかな。麻酔は部分麻酔で右腕全体。脇の下から麻酔を注射するからと前日に脇毛は剃られました。朦朧としつつも意識があったので、術中の会話が聞こえたな。色々と位置が合わないと言っていたような…延々と5時間、自分は途中寝てしまったりだったのですが、先生たちも途中休憩を挟んでいた気もする。術後病棟に戻ってからは最悪。想像を絶する痛みだった。あと印象的だったのが、整形外科の担当医先生が、手術後しばらくしてからレントゲン確認したら、位置がすごく良かった!と笑顔で言ってくれたことでした。

5月24日、眼窩底骨折手術。前回の鼻骨調整がうまく出来なかったので、合わせて行いました。眼窩は眼球を収めるため袋状になっていて骨が薄い構造のようです。ですので顔面に強い衝撃を受けると正面部よりこちらが骨折しやすいみたいです。眼窩底に穴が空いてしまったので、そこにプレート状の…素材は何って言っていたかな…ものを敷くようです。目の下を切り開いて…先生はずっとそう言っていたかもしれませんが、わたしは自分に都合よく解釈していたのか、目の内側とか鼻の中や口の中を使って顔に傷が残さずにすると思っていたので…手術の説明をしっかりと聞いて目の下を切り、そこからプレートを入れること分かると、手術を躊躇しました。

複視の回復や今後目が窪んでくることや、手術をしないと今後様々な弊害があることを考えたら「しない」という選択はできなかった。形成外科の担当医先生はすごく優しく丁寧な感じだったから、大丈夫だろうという思いもありました。

鼻骨の調整もしてくれたけど、今も顔の傷はすごいし、鼻も曲がってる。そう思うのは自分だけかもしれないけど、でも確かに…先日会社の同僚が見舞いにきて「鼻の穴の大きさが違ってるね。」とハッキリ言っていた。そんな小さなことクヨクヨせずに生きられる大きな心を持つ人になりたい…だけどなれないんです。

目の状態は、今でも上目遣いの時と下方をみると複視になります。あとは、まだ顔の痺れや麻痺感覚は取れていないけど、まぁ無事に手術終わりました。






回復が少しづつ進んで思ったのは、医師さんや看護師さんたちと違い、回復後の状態がわからないことでした。どこまで回復するんだろうという不安。もしかしたらもう2度と走れなくなるかもしれない。もしかしたら2度と右手を使えなくなるかもしれない。もしかしたら顔の傷を見られて気持ち悪らがれるかもしれない。そう言った不安を拭いきれないのです。多くの患者さんたちと接している方たちは、そういった症例の多くを最初から最後まで知っているでしょうが、わたしにとってははじめてのこと。質問して下さいと言われても、そのタイミングで質問出来なかったりするんです。

また時間も経過していたので、バイクを廃車しなければならないとの情報が色々と舞い込んできていました。もちろん保険会社との話など、Uberとの話、転院先の選定のことなどなど。



入院して1ヶ月が過ぎた頃には左足に全荷重掛けても良い許可が降りました。つまり立って歩く許可です。それが歩行器を使えるようになったタイミングでした。

そう言えば、左膝皿骨骨折についての話はあまりしてなかったな。結果から言うと「保存」でした。当初はそこもオペすることも検討されていたようでしたが、骨折が縦状に欠けていたため、オペして膝を切るのと保存して回復を待つことを比較すると、同程度の回復を見込めるとのことでした。なので保存という判断だったようです。結果的にこのことには感謝してます。と、いうのも手術は懲り懲りだったからです。





リハビリの話に戻ります。右手のリハビリはギブスをつけていたので、指先の運動が主でした。全く動かない指先を少しづつ動かします。動かすと痛み、我慢して可動域を広げて、その繰り返しでした。

他に入院中入浴はできなかったので、ベッドで身体を拭いてもらってました。頭をなかなか洗ってくれなかったな。その辺りもだんだん許可が降りてきて転院前には自立してシャワーを浴びられるようになってました。もっともその頃にはギブスも外れたりもしていたのですが。

ギブスが外れたのは、6月12日でした。右腕の手術は5月15日、その際に創外固定器具が外され、右橈骨にプレートを埋め固定、右尺骨の脱臼した位置を戻し、TFCCの再建や小指の筋を戻すなどが行われたようでした。その時に橈骨と尺骨の位置がズレないよう、両方の骨を細いピンで固定していました。そしてギブスを外すのと同時にそのピンも取りました。そうそう色んなところの抜糸もあったな。抜糸はその2週くらい前だったかな。ともかく、ピンを抜いたので、橈骨と尺骨が動くようになるから、手首を捻るような動きは禁じられてました。それが今週月曜から動かせるようになったな。右手の捻り。右手首への荷重は8月7日から許されます。


現在は転院してリハビリ病院に入院となりました。転院先の選定で、相談員さんとのやり取りで思うことがありました。相談員さんが持っている情報の方が圧倒的なのに、こちらに公開してくれないってことです。家族の事情で選定しましたが、正直自分に選択の余地は無かったです。これも世話をしてくれる姉や兄夫婦の事情ですので、わたしからあまり強くも言えなかったんです。まぁ転院後の今となっては、前の病院で転院後を思うモヤモヤはとうに消えてしまっているのですが。


現在も症状は変わらないんです。依然右手首から指先まで痺れています。顔面の左側も痺れています。最近は左膝が痛むことが増えてきました。ですが骨折は回復しています。右手は相変わらずですが少しづつ使えるようになりました。左膝も屈伸運動の許可が降りて、ここ数日は歩行器なしで部屋を歩くことに慣れてきました。リハビリの先生たちは元通りになるというのですが…まだそうは思えないですね。左足の腫れもまだあり、30分の歩行訓練をすると疲れからか痛みが強くなります。右手はものを掴むのがやっとで、手首を捻ることができないので可動域にかなり制限があります。指先も、特に親指。


昨日後輩からサッカーの誘いがありました。シニアサッカーです。もちろん断りました、事故のことは伏せたままです。


ここも退院する日が来ると思います。いつかまたどんな報告になるかわかりませんが、気が向いたら書き込むかもしれない。


前の病院の先生方、看護師さんたち、補助員の方たち、清掃員さんたち、お食事を運んでくれる方たち。こちらのリハビリ病院の看護師さんたちや補助員の方々、リハビリの先生方、皆さん、どうもありがとうございました。そしてありがとうございます。これを読むことは無いと思いますが、感謝の気持ちを伝えさせて下さい。

いつか外来で診察に行った時には尋ねてみたいです。


今でも事故を恨む気持ちは残っています。ですが、どうか皆さん交通事故にはお気をつけ下さいませ。


そして皆さまご自愛下さいませ。


ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。長文に加え乱文で読みづらかったこと、ここにお詫びいたします。

昨日は一日中雨が降り続いていたけど、今日はとても暖かく春を感じさせてくれます。
仕事中なんですけど、この場所からの富士山がきれいに見えます。澄んだ青空もやさしく思えました。