こんにちは、R-amiです。


先日お仕事でオーストラリアのカウラという場所に行ってきました。

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ここは、第二次世界大戦の時に日本兵が捕虜として囚われていた収容所のあった場所で、そこにはイタリア兵、ドイツ兵、そして日本兵が囚われていたそうです。



この地で今から70年前の1944年の8月5日、カウラ事件と呼ばれる日本兵の大脱走劇が起こりました。


当時の日本兵は皆、「捕虜になって生きて辱めを受けるくらいなら死を選ぶように」と徹底的に叩き込まれていたと言います。


それは日清戦争で、日本人捕虜が非人道的な扱いを受けたということと、日露戦争で捕まった捕虜が日本の情報を洗いざらい話してしまったことから、当時の軍事隊長(?)だった山縣有朋が決めた教えだったとか。



他国は捕虜になると、「戦争の第一線で戦った英雄」としてもてはやされるのと対照的に、日本だけは捕虜の家族すら、家族が捕虜であることがバレると村八分にされるといった蔑みようだったそう。



山縣有朋って、歴史の授業で聞いた名前だけど本当にとんでもない規則を作ってくれたものです。


けど、その教えの歴史は戦国時代の「武士の道は死ぬこととみつけたり」という言葉に準ずるとされている説もあって。



日本人て昔からなんで死をそんなにも美しいものとしていたんだろう?





ほとんどの外国人が知ってる日本語、「ハラキリ、切腹」。

これも日本特有の文化だからこそ印象的で覚えられているんだろうな。



こんな日本人の気質はどのようにして出来上がったのか。不思議でなりません。






カウラに行くバスツアーの中で、「あの時僕の命はトイレットペーパーよりも軽かった~カウラ収容所からの大脱走~」というドラマを見ました。



カウラ事件を題材にしたドラマですが、ここに1人「絶対に死にたくない。生きよう。」と言い続ける人が出てきます。


今では当たり前のこの気持ちが、当時捕虜はそれを口にすることさえも弱者、国の反逆者と言われてしまう気味の悪い時代だったことが描かれています。



何故日本軍は第一線で戦っていた捕虜を英雄とせず、恥ずかしいとしてその家族をも虐げるような教育方針にしたのか。


同じ収容所にいながら、家族に堂々と手紙を送る他国兵と、手紙すら書くことが許されない日本兵。


この違いはなんなんだと思いました。


自分が捕虜なら、家族なら、
他国がどれだけ羨ましいか。


それでも日本軍としての誇りを持てた当時の彼らはいったいどれだけの教育を叩き込まれていたのか。


まったく想像がつきません。




そんなドラマやドキュメンタリー番組を見てから向かったカウラ。


この日は日豪合同で死者を弔う式典が行われました。




日本とオーストラリア、それぞれのやり方で死者にお祈りをして、花を手向け、式典が進んでいきました。



カウラ事件に巻き込まれて亡くなった、収容所監督として勤めていたオーストラリア兵4名も同じくカウラに眠っています。




ただ死にたいだけの大脱走をした日本兵に対し、オーストラリア兵は次のように言ったそうです。

日本兵は何を考えているのかまったく分からなかった。武器は野球のバットや髭剃りナイフ。とても鉄砲にはかなわない。それに、収容所ではとても良い暮らしをさせていたので、脱走なんてする必要は無いのに…


他国がその当時の日本兵の気持ちを分かろうなんて、到底無理な話だったんでしょうね。


日本人のわたしでも難しいんですから。



捕虜になったことを家族に隠し続けなければ行けなかった捕虜だった日本兵の方々の気持ちは察することができません。






とにかく色んなことを考えたカウラへのバスツアー。



歴史の授業でも第二次世界大戦について、たいして時間をとって勉強させたわけでもないのに、こちらに昔から住む高齢の日本人には「歴史も知らない若者がワーキングホリデーなんぞに来て…」という見方をされることもしばしば。



もちろんわたしもその1人。

第二次世界大戦の当時の敵国にオーストラリアやニュージーランド、カナダが含まれていたことさえ知りませんでした。


学校ではアメリカや中国ばかりがクローズアップされ、今ワーキングホリデーの提携国になっている国々のことは上手く触れられてなかったような気がします。


今もきっと国民が政府にコントロールされていることには変わりはないのかな、なんて思ってしまいます。


正しい情報は自分で掴んでいかなくちゃいけない世界、わかっていても難しいです。


戦争がない国に生まれるって、
もうそれだけで奇跡。幸せ。
美味しいものを食べて、寝て、起きる。
それが幸せ。


正直それ以上の幸せを望むことなんて必要ないなぁと感じる今日この頃です。

see you☆