エッセー15『宗家の菩提寺養玉院』‥ここにも “対馬の誇り” ~! | 島暮らし満喫 韓国との交流の島 Tsushima Island
宗家の菩提寺養玉院


 かねて、旧対馬藩主宗(そう)家の菩提寺で東京にある養玉院を訪ねたいと思っていた。養玉院は東叡山寛永寺の門末で江戸城築城のために上野、台東区と移り、高輪如来寺といっしょになって現在は品川にあり、養玉院如来寺として都民に親しまれている。
 東京出身で対馬に居を移して自然環境問題に取り組んでいる柚木修氏と家内との三人で、先月、千葉県柏市の廣池学園を訪ねた。創始者廣池千九郎先生のもとで宗家先代武志公が教鞭を執っておられた麗澤大学もこの広大な学園内にある。
宗家のご二男中正氏が緑豊かな学園を案内してくださった。キャンパスの中央には対馬から移植されたヒトツバタゴがひときわ大きな影を作っている。東京にお住まいのご長男立人氏も駆けつけてくださり、家族団らんのなごやかな夕食を共にした。
 翌日、早朝から中正氏とご一緒に品川に向かう。養玉院は西大井の小高い丘に閑静にたたずんている。住職の遠賀庸達和尚が慇懃に出迎えてくださった。五十がらみの住職は数年前対馬にいらっしゃったとのことで、ひとしきり話が弾んだ。
本堂にはご本尊を中心に向かって右側に対馬藩主宗家第二十代義成公、左側に側室お福の方、法名養玉院殿心月本如大姉の荘厳なご位牌が安置されている。線香の前で中正氏を先頭に厳粛なひとときが流れた。
墓所は本堂の右手にあり義成公とお福の方の墓石を中央に参道を守るように左右に重臣たちの墓が並んでいる。平田家、杉村家、幾度家の墓も確認できた。それぞれの墓石には“對州(対馬の古名)”二文字が誇らしげに刻んである。
どういう経過をたどってこの方々がここにまつられているのか定かでないが主君に随行して江戸に逗留していた間に命をなくして葬られたものであろうか。 遠く離れた異土で命を果てる境遇をどんな思いで迎えたことだろう。
 家内が線香をたいているとき中正氏が涙しておられた。この名刹を訪ねる対馬人はほとんどいないが、心に残る良い旅ができた。


            (長崎新聞“うず潮”二〇〇三年十月二十一日)

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宗家第38代の立人(たつひと)さんと、弟の中正(なかまさ)さんご家族と食事会~
(左奥が亡くなったナチュラリスト柚木修さん、右奥はミッキーの奥方‥‥)


翌日、中正さんの案内で養玉院を訪ねると、
中正さんが連絡しておいてくださったようで、ご住職が正装で迎えてくださいました

遠賀住職から記念にいただいた寺誌の『瑞應』
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ページを開くとまず、  “養玉院”  という大きなタイトルが目に入ります

“養玉院”とは、
対馬藩主宗家第二十代義成公の側室 “ お福の方”の法名で
『養玉院殿心月本如大姉』 の荘厳なご位牌が安置されています

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この一帯が “宗家墓所”  で、
中央に進む参道両側に対馬藩重臣の名前が刻んであります
それぞれの家名の上段には、
誇らしげに ≪對州≫ (対馬の古名) と、銘打ってあります~

これを見るだけでも‥‥
現在の私たちはこれほど “対馬”  を誇りに思っているだろうかと
考えさせられてしまいます‥

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上京する機会に、養玉院をお訪ねになってみると
大きな意義があると思います


帰命山養玉院如来寺(きみょうざんよう ぎょくいんにょらいじ)