はじめに:ブログ「きぐるみ日記」× AIで紐解く物語
新年あけましておめでとうございます! 「ミルクおやじ」です。 今年もよろしくお願いモーし上げます。
私が長年書き綴ってきたブログ『きぐるみ日記』。 そこには、深谷ねぎまつりの立ち上げ前夜から現在に至るまでの、汗と涙、そして多くの笑顔の記録が眠っています。
今回、その膨大な過去の記事をAI(人工知能)に読み込ませ、「深谷ねぎまつり」に関するエピソードを抽出・要約してもらいました。 本記事は、AIが私のブログを元に構成した「ミルクおやじの視点(主観)」による回顧録です。
【2026年開催情報】今年はホテルとコラボ!?広がるねぎの輪
まずは、最新のうれしいニュースからお届けさせてください。
今年の深谷ねぎまつりは、1月25日(日)に開催される予定です。 そして今年はなんと、地元の名門「深谷グランドホテル」とのコラボが実現し、『深谷ねぎまつり宿泊パック』が販売されることになりました!
まつりが始まった当初は想像もしなかったような広がり。なんとも、嬉しい限りです。
▲2026年のポスターと共に。今年は1月25日開催です。ぜひ深谷へお越しください!
さて、今でこそホテルとコラボするまでになったこのお祭りですが、その始まりは『予算ゼロ』。
あるおじさんの個人的な「夢」と、泥臭い手作業からスタートした物語でした。 時計の針を、2012年まで戻してみましょう。
1. まつりの魂「深谷カルソッツ」と、元日の「夢」
今でこそ深谷の冬の風物詩となった「深谷ねぎまつり」。 その原点には、一つの強烈な「原体験」があります。
それは、「深谷カルソッツ」。 泥付きの深谷ねぎを炭火で真っ黒になるまで焼き、皮を剥いて食べる。すると、中からとろりと甘いジュースが溢れ出す……。 「この感動を多くの人に伝えたい!」 地域活性化グループ「ゆめ☆たまご」のメンバーとして活動していた私たちの根底には、常にこの「ねぎへの愛」がありました。
▲畑にて。この立派な深谷ねぎが主役です。着ぐるみと農作業のシュールな組み合わせも、私にとっては日常の風景です。
そして、物語が大きく動き出したのは2012年1月1日。 私はその夜、不思議な夢を見ました。
「自分が両手に深谷ねぎを持って、サンバを踊っている」
目が覚めた瞬間、私の頭の中には「両手にねぎ持ってサンバを踊りゃ~♪」という歌詞とメロディーが鳴り響いていました。 これが後に祭りのテーマソングとなる「ねぎ~サンバ」が誕生した瞬間です。 「この曲を歌って踊るには、形式張ったお祭りじゃない。誰もが主役になれる『カーニバル』が必要だ!」と、私は直感しました。
2. 「ボスの店」での密談と仲間たち
思い立ったら即行動。私はすぐに、なじみのイタリアンレストラン『パンチャ・ピエーナ』のオーナー、栗原さん(通称:ボス)に相談を持ちかけました。
「ボス、ねぎのカーニバルをやりたいんだ!」
普通なら呆れられるような提案ですが、ボスをはじめ、副委員長となる「大佐」こと高橋さん、ウスキン、寺田さん、戸丸さんといった仲間たちは違いました。
「まず自分たちが楽しもう! その楽しさはきっと伝わる」
そんな単純かつ純粋な想いで、私の妄想は現実のプロジェクトへと動き出しました。
3. 神社に「禰宜(ねぎ)」がいる!場所の奇跡
「カーニバルをやるぞ!」と決めたものの、場所が決まっていません。開催場所を検討していた時、メンバーの一人である「ねぎ之進」がボソッと言いました。
「神社には『禰宜(ねぎ)』という神職の方がいます。瀧宮神社でやるのはどうですか?」
このダジャレのようなひらめきが、運命を決めました。 「ねぎ(葱)」の祭りを「ねぎ(禰宜)」のいる神社でやる。このユーモアこそが私たちの原動力です。 すぐに瀧宮神社の宮司さんや氏子総代との交渉が進み、なんと神社の全面協力のもとで開催が決定したのです。
4. 議場での問いかけ、そして「自立」への覚悟
場所は決まりましたが、最大の課題は**「資金」**でした。 イベントを開催するにはお金がかかります。
私は当時も深谷市議会議員でした。「ねぎの街」を掲げる深谷市なら、この企画をバックアップしてくれるのではないか? そんな期待を胸に、私は議会の一般質問に立ちました。
「ねぎの街PRのためのイベント開催や、資金援助について、市はどう考えるか?」
市側からの答弁は、シビアかつ現実的なものでした。 「イベント開催や資金援助は難しいが、さまざまな角度から応援したい」
つまり、「お金は出せない」ということです。 普通ならここで「じゃあ無理か」と諦めるか、規模を縮小するところかもしれません。しかし、私たち実行委員会は違いました。この答弁を聞いた瞬間、逆に腹が決まったのです。
「これを『突き放し』と捉えるな。『自立のチャンス』と捉えよう!」
行政におんぶに抱っこのイベントでは、いつか限界が来る。予算がつかなければ終わってしまう。 けれど、自分たちの力で立ち上げ、自分たちのお金で運営するなら、誰にも遠慮はいらない。
「予算がないからできないことはない。やる気があればできる!」
私たちは全員一致で**「補助金に頼らず、自分たちの力だけで成立させる」ことを決意しました。 出店料や、自前でデザインしたパロディTシャツ「negidas(ネギダス)」、缶バッジの売上だけで運営費を捻出する――。 この時の「一般質問」と「ゼロ回答」こそが、深谷ねぎまつりの「市民の誇りを賭けた自立型イベント」**というDNAを決定づけたのです。
5. 極寒のPR活動:泥臭い一歩
覚悟を決めた私たちは、2013年1月の第1回開催に向け、文字通り泥臭いPRを続けました。
忘れられないのは、大晦日の深夜から元旦にかけての活動です。 極寒の瀧宮神社。 私たちは震えながらビラを配り、歌い、踊りました。
▲2013年元旦、瀧宮神社にて。「謹賀新年」の提灯の下、実行委員会の仲間たちと。凍える寒さの中、ここから私たちの挑戦が始まりました。
手が悴(かじか)み、近所迷惑にならないようボリュームを絞りながらのパフォーマンス。 それでも、足を止めてくれた参拝客の笑顔に支えられたあの時間は、一生忘れることができません。
▲暗闇の中で光るポスターフレーム。この地道なPR活動が、第1回開催の成功を支える土台となりました。
最初は一人の頭の中で鳴っていた小さなサンバのリズムが、少しずつ、深谷の街を震わせる大きな鼓動へと変わっていったのです。
(つづく)