●父、独居老人となる
母は生前、一人残ったら介護施設に入れてくれと言っていた。
「あんたに負担をかけたくない。それと、施設に入れることが薄情なんじゃないかと悩んだり躊躇したりしないように」と。
父の身体障害者の姉と長く同居してきたので、娘には同じような苦労をさせたくないと思ったのだろう。人には献身的に尽くした母、でも自分に何かしてくれとは要求しなかった。
そんな母は人工呼吸器をつける直前、主人に「Kちゃん(私の主人)、パパを頼むね」といい残して父より先に逝った。まだ生きるつもりだったので、父について何の具体的な指示もしていかなかった。
父がくも膜下出血で倒れてから約20年、ずっと母が世話をしてきたので、父は母亡き後一人で生活できないのではないかと誰もが思った。
同居しないとダメ?と自問自答。
うーん、母ならともかく父とは無理!
この頑固おやじに同居したいかと訊いても「M子がこの家に住みたいなら、おいてやらなくもない」という偉そうな答えが返って来るのはわかっている。こちとら好んで狭い実家に主人を連れて戻る気はない。こちらからは言い出すまい。
母の葬儀がすみ落ち着いた時に、とりあえずは、ヘルパーさんを頼んだらどうかと提案してみたが、父は「こっちが言うまでは好きにさせてくれ」と拒否。一人でなんでもできるという。
だからといって明らかに病気持ちの老親をほったらかしにもできず、私が時々実家を訪問し、様子を見るという生活が始まった。
●男やもめになんとやら
週末のルーティンは実家訪問。土曜の朝いちばんのバスで行くと、すでに父は起きて大音響でテレビを見ている。
まずは、風呂のお湯をはって入浴を促し、入った頃を見計らって脱いだものを回収し洗濯する。洗濯籠に入っている一週間の洗濯物のたまり具合で着替えの回数をチェック。
あとは、テーブルに散らばっているレシートや郵便物を見て父の行動履歴を探る。
バスに乗って大きな駅まで出かけて、ショッピングセンター内のファミレスで洋食のコースを食べてきている。方向音痴なのによく帰ってこれたものだ。
今週もスーパーでにぎり寿司を買っている。玉子はいつも残っているけど、嫌いなのかな。食べる気がないなら捨てておいてよ。それと、醤油と割りばしがたまりすぎ。
コンビニで5個入りの大福を買ってきて、食べきれなかったらしく、戸棚の上に硬くなった食べかけが置きっぱなし。このままだとかびるので捨てる。
会社のOB会で銀座まで行き、帰りはタクシーで東京駅に出て、JRに乗ったらしい。
・・・と、こんな具合にその週の出来事を推測する。
近所だけかと思ったが、意外と行動範囲が広い。
●してあげたいことと、してほしいことのギャップ
実家に行くと、昼食と、夕食を温めなおすだけの状態にして作りおくようにしていた。毎日外食か買ってくるお惣菜を食べているのだろうから、たまには家庭の味も食べたいだろうと思ったのだが、これは大きな間違い。
昼食を一緒に食べようと用意しても「M子、なにか、おいしいものを食べに行こう」と言われるので、気持ちが萎える。それって、私の作るものはまずいっていうことだよね。作ってしまったものは夜食べるというので残してゆくが、食べたかどうかはわからない。
いつも昼食は外で食べたがるので、もう夕食しか作っていかないことにした。ごはんを一食づつ小分けにして冷凍するのだけは継続する。
家庭料理の昼食はあきらめ、父の望みにしたがって土曜の昼は父と近所の町中華に行く。
そこで再認識したのは、父は、食べることより呑むことの方が好きだということ。正確に言うと、食べものは酒を呑んでいる間、目の前に並んでいればそれでいい。冷めようと硬くなろうと大した問題ではない。自分のペースで食べたくなったら食べる。冷めてしまうからと食べるのを急かされるのもイヤ。お店では料理人泣かせ、家庭においては主婦泣かせだ。こうして毎週ちびちび飲むビールに付き合わされるので、昼食に一時間以上かかってしまう。
お会計はいつも父もち。人にふるまうのが好きだったので、おいしそうに食べて「ご馳走様!」といってあげることが父が一番喜ぶことなのだ。本当は一緒に飲んでほしいのだろうが、私は昼間から飲んでいる場合ではなく、さっさと仕事を終えて自宅に帰りたい。
世の中には妻が実家にばかり行っているのを快く思わない亭主もいる。主人については全くそんなことはないのだが、私が疲れるのを心配して、でがけに「なるべく早く帰っておいで」と言うのので、日に数本しかない帰りのバスの時間が気になって落ち着かない。
父の長い食事の間に、私は買い物したり銀行に行ったりして中抜けするのだが、父の方はお構いなし。「先かえっていいぞ」と言うがそれも悪い気がしてできない。
父の残りのビールの分量と時計を見比べる。
私の土曜日はジレンマの連続。
こんな土曜日が数年続いた。