温故知新は人生の道しるべ -53ページ目

温故知新は人生の道しるべ

自分の過去を省みて自分の明日を築いていく。

身の回りに起きる出来事は全て必然。目的地に着くために全て必要な出来事なんですねぇ~。


【意味】

大勢の人が同じ心になって力を合わせれば、非常に強力なものになる。しかし、さらに多くの人が集まっても、心がバラバラでは一人前の力も出ない。
人が集まったら一致団結することが最大の力を発揮する方法だということ。
(淮南子・兵略訓)


淮南子(えなんじ)とは中国・淮南(えなん)の王様・劉安(りゅうあん:紀元前179年-紀元前122年)が学者を集めて編纂させた思想書。


=====<ウィキペディアから抜粋>=====
劉安(りゅうあん)は漢の高祖(劉邦)の末子(六男)・淮南厲王劉長の子。
紀元前174年、父・劉長は柴奇の謀反に加わったとして流罪となりその地で絶食死したが、劉長の4人の子はすべて列侯に封ぜられた。劉安も紀元前172年に阜陵侯となり、ついで紀元前164年には淮南王に転じた。
景帝の即位後、紀元前154年に呉楚七国の乱が発生するとこれに同調しようとしたが、臣下にとどめられ未遂に終わった。しかし、以後も数千の兵を雇い、武備をかため、しばしば反乱を企図する。紀元前124年、子の劉遷が謀反を起こそうとしたと疑われ、所領を削減されたことにますます不満を募らせた。劉安は臣下の伍被らと計らい反乱の計画を練ったが、伍被の密告により露顕し、劉安は自害。一族はことごとく処刑された。
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5歳のときに父親が「謀反に加わったとして」流罪になりその地で絶食死!
「加わったとして」ということは本当は加わっていないかもしれない。
その後に兄弟4人全てが「列候封ぜられ」ということは、やはり父親の流罪は冤罪だったかもね。


さらに自分の子供が「謀反を起こそうとした疑われて」所領を削減されてしまう。
これも「疑われて」・・・なんと運がない人でしょうね。
最後に自分自身も今度は本当に「反乱を計画中」に密告されて本人は自害。一族も処刑されてしまう。

ここまで聞くと、父親も子供も同じように密告されていたのかもしれませんね。
謀反を計画する気質の一家は危険分子として全て処刑されてしまったんですね。


劉安は学問を愛し、書や琴を好んだそうです。多くの食客を抱え、方術の士を招いたといいます。彼らとともに道家・儒家・法家・陰陽家のなどの諸説・思想を収集して編纂し、そのうちのひとつが『淮南子』として知られているわけです。


劉安は、中国のことわざ「一人が道を得れば、鶏や犬も天に昇る」の出典としても知られているそうです。劉安は神仙の術を求め、霊薬を自ら調合し、それを服用すると、身体が空に浮き上がった。それどころか、家で飼っていた鶏や犬までもが天に昇ったというそうです。

現在では

「一族のうち一人でも出世すれば、能力もない親戚や側近まで地位が上がる」

という意味で用いられます。
彼の人生を考えると

「一族のうちで1人でも疑われると、親戚も側近も疑われる」

なんていう意味のことわざを考えてもおかしくないですよね。