クリスマスに『クリスマスカロル』なんてタイトルのブログ記事を書くアイドリング!!!25号後藤郁さんは偉大であるけれど、一方の卑小な私は、実は元ネタをまだ読んだことが無くてネタバレが怖ろしいのでカオルージみたいな文字がみえたところでブログを閉じてしまった。元ネタにスムージーみたいな名前の人物が出てくるということだけは知っていた。
ところで、元ネタのタイトルだが、これは訳者やら出版社やらで「クリスマス・カロル」表記のものと「クリスマス・キャロル」表記のものに大別される。たとえば、私の手許にある(積読の犠牲となっている)新潮文庫のものは「クリスマス・カロル」の表記である。現在流通している新潮文庫のものは、2011年に改訂されたもので、同じ訳者であるが「クリスマス・キャロル」の表記になっている。
まあ、こんなことはよくあることで「グレート・ギャツビー」と「偉大なるギャツビー」とか、タイトルではないが人物名で「ルパン」と「リュパン」とか、そんなケースを挙げればキリがない。
しかし、ここで問題になってくるのが後藤さんの記事のタイトルのほうで、「カロル」というのが「キャロル」と「カオル」をかけたものであるか、それとも単純に「クリスマス・カロル」からタイトルを借りてきたのか判然としない。「リンガーーハイ」というようなタイトルを考え出す作者のことだから、なおのことである。
個人的な印象だが、「キャロル」と「カオル」をかけて「カロル」としたとして、「カオル」と「カロル」では、母音の並びは一緒であるが、語呂が少し遠い印象を受けてしまう――もしかすると後藤さんは、「カオル」をそのまま用いて「クリスマスカオル」とすることを、まず思いついたのではないだろうか。しかし、そうすると「クリスマス・キャロル」から遠くなる。元ネタが分からなくなるおそれがある。それで、苦肉の策として「カロル」としたのではないか? ――だが、一方で「キャロル」と「カオル」をかけて「キャオル」とすることもできる。仮に「カロル」と「キャオル」の二つの候補があったとして、なぜ後藤さんは「カロル」を選んだのか――やはり単に「クリスマス・カロル」から借りただけだろうか――
そんな仮定に仮定を重ねて突き詰めていっても、最終的に至るところは、かけるのはタオルだけで十分という真理のみで、いくら考えても分からないものは分からない。
で、考えても分からないのだけれど、先に書いたように今回の記事を読んでいないので、もしかすると記事の中身に手掛かりが隠されている、ということがあるかも知れない。いや、あの後藤さんのブログなのだから、きっと隠されているに違いない。
だから私は『クリスマス・カロル』を読もうと思う。そして『クリスマスカロル』をはやく読みたい。