「働くものの健康」というニュースを見て、過去が現在につながっていることを改めて確認しました。

 ・1992年8月号「ひと」欄ーー千葉職業病対策連絡会の湯川芳朗弁護士

「先生がふともらされたところでは、早く他界されたお父様に代わって、残された幼い湯川先生達を育てる為に、お母様が家業の中心にそしてその過労から、早世されたという経験があるとか。」

 ・2001年3月号ーー労働保険審査会でじん肺・肺がんの遺族補償めぐる口頭陳述

「1997年に世界保健機関(WHO)の国際がん研究機関は、結晶性シリカについてグループ2Aからグループ1(発がん性がある)への評価替えを行いました。・・・じん肺・肺がんの因果関係を認めるための根拠は十分過ぎるほどあると考えられ、審査会は早期に遺族を救済すべきです。」

 ・2001年8月号・コラムーー朝鮮系日本人の女性が労災の再発申請をした。・・・社会保険庁側の医師は、彼女が朝鮮人で不遇だったから人格的に未熟で、だからこれは精神的な疾患だと民族的な偏見を述べていた。別の泌尿器科医師は著書で「脊髄損傷は、深刻な社会医学的問題をはらんでいる」としている。


 あとの二つは、拙文です。湯川先生は、過労による脳・心疾患や、私達の外傷性脳損傷の労災裁判を担当してくださっています。最近、若手の先生も事務所に加わりました。

 職業性呼吸器疾患であるじん肺に合併する肺がんが、研究や患者・労働運動によって、厚生労働省によって認められたのは、2002年ですから、1997年のWHOの判定より5年かかりました。

 最後の労災再発申請が、東京高裁で認められたのは2008年。原告側弁護士は、湯川先生でした。