日本の18世紀は、その後の近代化を準備しました。今年・来年・再来年と展示される細川家=永青文庫展には、博物学や景勝図など、近代的な感覚が認められます。大分の自然哲学者や、本居宣長は、その言説を図にまとめ、たとえば古事記伝にはあめ・つち・よみの図があったりします(古事記の注釈は、健康保険法の注釈みたいに詳細ていねいです)。むつかしいことは、なるべく図表で理解してもらう努力を、私も心がけています。

 慶応義塾をつくった福沢諭吉は、個人が独立してこそ国が独立できると説き、近代化・自由民権は大きな流れですが、100年前の韓国併合や大逆事件など、超国家主義におちいり、日本は破滅しました。

 戦後、男女同権など民主化が進み、米国への従属も深まり、1955年体制=与党自民党・野党社会党の時期を経て、社会党がかなり民主党に加わり現政権ができました。侵略戦争に反対した勢力は、公明党や共産党としてあらわれ、武力革命か・構造改革かといった論争もありました。

 1955年体制ができたころ、労働保険審査会(労災の再審査機関)に改組されました。現在、医学部教授だった人・裁判官だった人などを審査長とするふた組があり、もうひとりの医学部教授を委員とする組もあります。このたび、期待もしたのですが、結局、審査会は外傷性脳損傷を正面から認めようとはしませんでした。

 私が、前に書いた論文を掲げておきます。

http://homepage3.nifty.com/keikenwan/karou/kronbun056.html

・神経因性膀胱の原因は、脳損傷でないかもしれない。

・画像に見えない脳損傷は、14級でいい。

 審査会の裁決は弱々しいもので、医学的に追い詰められてきたが、認めたくない、という印象です。1950年代、審査会の改組に、社会党の医師・議員が猛烈に反対しました。被災者の念じる、いちるの望みを絶つのが、審査会である、と。

 画像に見えなくて通常労務可能なら14級でもいいでしょうが、労務困難な場合は、14級で足りるわけがありません。本当は、国会同意人事たる審査会には、現行認定基準をふみこえて、被災者保護をつらぬく責務があるのです。