愛をもって、生きて行こう -6ページ目

退院して

7月27日から地元の公立総合病院に3ヶ月ちょい入院してました。

3度の手術を受け、精神的にも疲弊して、苦しい日々を過ごしたものです。

 

新型コロナウイルスのこともあり、面会もできない状態でした。

入院前の医師の説明では、約ひと月の入院とのこと。

しかし、現実は…ふた月を超えても退院の兆しも見えないありさま。

 

その苦痛に、何度も心が折れそうになりました。

具体的に言うと病院内で、人生を終わることも考えたものです。

 

入院直前からの体調不良もあり、正直リハビリも必要でした。

院内では、車椅子での移動が中心。

車椅子でのエレベーターの乗降は、多少怖ろしい。

 

今回の入院では、ほぼ毎日「日記」を書いたものです。

 

退院は、したものの疲れる…日々。

 

闘病記ではなく、日記でもなく、心情を吐露していくつもりです…

 

 

 

つづく

 

天才と言う幻…

私を含め、この世の中は、99,9%の凡人で成り立っています。

そして、本当の天才には、自覚などありません。

 

しかしながら、凡人は、たまたま時代との感性が合致したり、

大衆の機運に押し上げられたリ、

奇跡的に「天才」と呼ばれることもある。

 

そんなメッキは、長くは続かない。

すぐに飽きられ、一発屋として忘れ去られてしまう。

 

努力や知恵では、補えない本質が秘められている。

それは、運なのか、時間なのか…

 

「天才」と言う定義自体曖昧模糊なもの。

 

もしかしたら、後世の人が決定するものかも知れない。

 

凡人にしろ、天才にしろ、

作品に対して、死ぬまで納得しないで、追い求めることこそ必要。

 

常に、自己否定の連続こそ名作、傑作へのいばらの道。

 

 

そのために、あらゆる刺激、好奇心、体験を求める。

自分の脳内に、見たことのない宇宙を創造させてみたい…

ですが、その見えた世界を作品に作り上げることは容易じゃない。

 

 

ある意味、理屈っぽい論理的な脳では、不可能だろう。

幼児のような無垢で素直で、単純な方が、

表現できるのかも、わからない。

 

 

 

この先、いくら人体や脳内が、解明されようとも

AIが、進化しようとも、

「天才」は、作り出せはしない。

 

 

 

 

なぜなら、「天才」とは、偶然の産物なのだから…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自愛…

連休も終わり、人々は、また日常に戻る…

お休み前とは、なんら変わりのない生活。

 

かと言って、私の場合、連休中に何があったわけでも、ありません。

ちょっとした買い物などのお出かけのみ…

 

でも、誰かを困らせたり、迷惑もかけては、いません。

風邪をひくとか、事故や怪我もない。

寒さのせいで、肩凝り程度は、ありますが、ねw

 

そんな平凡な生活こそ、幸せなのかも知れません。

 

別に、変化を求めて努力もしていない。

 

それでも、巷や世界は、目まぐるしく回ってる。

新しいものが生まれ、出来上がったものは、1秒1秒過去のものとして劣化していく。

この私も、例外ではない。

 

もうすぐ春ですね。

時代も変わり、元号も新しくなります。

 

生きること、食べること、眠ること、

すべて自愛の賜物です。

 

優しく生きましょう。

ご自愛くださいませ…