退院して
7月27日から地元の公立総合病院に3ヶ月ちょい入院してました。
3度の手術を受け、精神的にも疲弊して、苦しい日々を過ごしたものです。
新型コロナウイルスのこともあり、面会もできない状態でした。
入院前の医師の説明では、約ひと月の入院とのこと。
しかし、現実は…ふた月を超えても退院の兆しも見えないありさま。
その苦痛に、何度も心が折れそうになりました。
具体的に言うと病院内で、人生を終わることも考えたものです。
入院直前からの体調不良もあり、正直リハビリも必要でした。
院内では、車椅子での移動が中心。
車椅子でのエレベーターの乗降は、多少怖ろしい。
今回の入院では、ほぼ毎日「日記」を書いたものです。
退院は、したものの疲れる…日々。
闘病記ではなく、日記でもなく、心情を吐露していくつもりです…
つづく
天才と言う幻…
私を含め、この世の中は、99,9%の凡人で成り立っています。
そして、本当の天才には、自覚などありません。
しかしながら、凡人は、たまたま時代との感性が合致したり、
大衆の機運に押し上げられたリ、
奇跡的に「天才」と呼ばれることもある。
そんなメッキは、長くは続かない。
すぐに飽きられ、一発屋として忘れ去られてしまう。
努力や知恵では、補えない本質が秘められている。
それは、運なのか、時間なのか…
「天才」と言う定義自体曖昧模糊なもの。
もしかしたら、後世の人が決定するものかも知れない。
凡人にしろ、天才にしろ、
作品に対して、死ぬまで納得しないで、追い求めることこそ必要。
常に、自己否定の連続こそ名作、傑作へのいばらの道。
そのために、あらゆる刺激、好奇心、体験を求める。
自分の脳内に、見たことのない宇宙を創造させてみたい…
ですが、その見えた世界を作品に作り上げることは容易じゃない。
ある意味、理屈っぽい論理的な脳では、不可能だろう。
幼児のような無垢で素直で、単純な方が、
表現できるのかも、わからない。
この先、いくら人体や脳内が、解明されようとも
AIが、進化しようとも、
「天才」は、作り出せはしない。
なぜなら、「天才」とは、偶然の産物なのだから…
自愛…
連休も終わり、人々は、また日常に戻る…
お休み前とは、なんら変わりのない生活。
かと言って、私の場合、連休中に何があったわけでも、ありません。
ちょっとした買い物などのお出かけのみ…
でも、誰かを困らせたり、迷惑もかけては、いません。
風邪をひくとか、事故や怪我もない。
寒さのせいで、肩凝り程度は、ありますが、ねw
そんな平凡な生活こそ、幸せなのかも知れません。
別に、変化を求めて努力もしていない。
それでも、巷や世界は、目まぐるしく回ってる。
新しいものが生まれ、出来上がったものは、1秒1秒過去のものとして劣化していく。
この私も、例外ではない。
もうすぐ春ですね。
時代も変わり、元号も新しくなります。
生きること、食べること、眠ること、
すべて自愛の賜物です。
優しく生きましょう。
ご自愛くださいませ…