久しぶりなので、もう一本投稿しよう。
ネット空間では、標題のような言説をしばしば見かける。お父さんも氷河期世代なので、「優秀」と言われて悪い気はしない。 しかし、本当にそうなんだろうか?
この点、GOOGLE先生のAIは、世代間の価値観の相違だと結論付ける傾向があるようだ。
世代間に価値観の相違があることはそのとおりなのだろうが、ネット空間で標題のような言説をしばしば見かける理由の説明としては、あまりに物足らない。
そこで、何の根拠もなく妄想めいた考察をしてみる。あくまで考察なので、根拠は?とか言わないように。
お父さん自身、一労働者としてうちの新人さんたちを見るに、資質の低下は極めて深刻だと感じている。
仕事ができない無能はまだいいが、存在してるだけで組織の害悪にしかならない者が少なからずまぎれている。
本社の偉い人(多分氷河期の前期ぐらい)も、自分たちが若い頃だったら絶対に採用されていないような者が採用されているとぼやいていたので、お父さんだけが感じているわけじゃないだろう。
どうしてこうなったのか?
思うに、各年代の総人口と、それらの者が就職する時期に用意されていた椅子の数の差ではないだろうか。
就職氷河期世代は団塊ジュニアとそのちょっと後であり、総人口は多いが、その呼称が示すとおり、新卒時に用意された椅子はひじょぉおぉおぉおぉに少なかった。就職氷河期世代にも優秀な人間もいれば無能な人間、有害な人間までおり、当然、就職先も魅力的なところから魅力のないところまであるわけだが、魅力が上の方から椅子に収まっていくとして、就職先が用意した椅子が少ないので、他の世代だったらその資質・能力なら選ばないだろうという魅力の低い就職先にも優秀な人材が下りていった。そうすると、各就職先には「過ぎた」人材が採用される。そして、無能な就職氷河期世代は社会に出てくることすら叶わないわけで、その結果、就職氷河期世代は「優秀」だという印象が生まれたのではないだろうか。
一定程度優秀でなければ、職を得ることすらできなかったとも言えるだろう。
一方、Z世代はこれの真逆の現象が起きているように思う。つまり、Z世代は就職氷河期たちが経済的に追い詰められ子供を生めなかった結果、総人口が少ないところに、彼らが就職する時期に人手不足が深刻化し、新卒時に用意される椅子が多くなった。こちらも魅力が上の方から順に椅子に収まっていくと考えると、魅力が上の方の椅子に優秀なZ世代が座ってもまだ余裕があり、本来であればその就職先には「相応しくない」レベルの者まで採用される。魅力的な就職先からそうでないところまでこの現象が起こり、本来であれば社会に出てくるべきじゃないヤツまで表舞台に引っ張り上げられるわけなので、結果として、Z世代は「無能」との印象が生まれる。
言い換えると、無能な奴でも駆り出さないと社会が回らない状況にあるとも言えるだろう。
こんな感じじゃないだろうか。
お父さんが大嫌いな団塊・バブル世代も含めて、どの世代も優秀な奴は優秀だし、無能な奴は無能で、害悪も一定数いるように感じる。そしておそらく、その「割合」はどの世代でも大きく変わることはないんじゃないかな。
ただ、それぞれの世代の総人口と、そこに用意された椅子の数の関係で、標題のようなイメージが出来上がるんだと思います。
今回の記事は、次に書きたいことの布石なんだけど、その記事を書くのは今夜かもしれないし、一年後、あるいはそれ以降かもしれない・・・。
以下続刊デアリマス。