小説第二回スタート

雷雷雷雷雷

「黒川さんご指名のなかじまさんいらっしゃいましたよー」

 探偵事務所内のその言い方は、明らかに馬鹿にしたニュアンスを含んでいる。

 前回、二、三年前だったか、職場の好きな女性の普段の行動を知りたくて調査依頼してきた工場勤務のパートで独身女性の中嶋さん。あれから職場も変わり、また新しい好きな人ができたので再度調査を依頼したいという。前回担当した私を再度ご指名で電話をしてきて面談の予約となった。本日は千葉から新橋の我が探偵社ピピットに面談にいらっしゃる。


 案外、癖になるというのだろうか、探偵への依頼は初めての時は勇気がいるようだが二回目三回目とリピートする依頼者は少なくない。


 しかしながらリピーター様でありながら、彼女には探偵に依頼する軍資金が呆れるほどないので、うちの事務所内では馬鹿にされている。電話の面談予約時も予算の話になると口ごもり辛そうだった。

 大手の探偵事務所は営業部隊と調査隊が違うのかもしれないが、うちみたいな小さな事務所では、社長など役員を除き基本的に若手は探偵と営業は兼務。仕事を取った人間がメインにその調査に出て、ペアとしてサブを伴う。また、面談からそのペアで行う。

「サブは坂本でいいだろ」

 社長からのサブ任命も適当で、新人の坂本という何の使い物にもならない若い男がたまたま今手が空いていたから面談に付けられた。中嶋さんは男性が苦手だから、サブも女の子のほうがいいんだけど。ただでさえ資金が少ないことが知られていて適当な扱いを受けているため、社長にサブは女の子にしてくれと言うことすらできない。依頼人の資金状況で担当者が肩身の狭い思いをしたり融通利かせてもらえないというのは理不尽に思うが・・・



 今、社内では、社長が取ってきたとある大型案件が熱い。セレブの奥様が依頼人の案件で序盤から調査費用すでに五百万円投入されている。
社長もそっちのほうで社内メンバーのスケジュール抑えまくりを決め込み、最近はずっとそれにかかりっきりで舞い上がっているが、社員としてもこの案件は序盤で成果を出して長期の依頼に繋げたいところ。予算の少ない調査は二人で行かされるけど予算が潤沢だと、何人でも調査に充てられるし、そのぶん一時間あたりの単価もがんがん跳ね上がる。まあいわゆるVIPの扱い。

 そんなわけで、中嶋さんの依頼は成約前にしてすでに完全にどうでもいい扱いになっている。空いているメンバーで適当に空いてる日にやっとけ、みたいなかんじ。


 本当は、依頼人のことは平等に扱うべきだしどの調査も同じ熱量で行うべきだ。でも、探偵業界に染まれば染まるほど、いかにお金を落としてくれる依頼かという部分ばかりがフォーカスされていくようになる。
そもそも、シンプルな浮気調査などは探偵の依頼の中で意外にもごく一部で、別れさせ工作などの工作を伴う案件が多い。わかりやすい例でいうと、不倫相手を妻と別れさせてほしいとか、好きな人に付き合っている人がいるので別れさせてほしいとか。
 新人探偵は、当初はどこか正義に燃えて入社してくることも多いが、実際にはうちの会社の場合浮気調査の証拠を掴むなどの正義の味方のような仕事はほとんどなく、ほとんどの調査は工作に明け暮れ、社長は金金うるさいといった現実を知るにつれ、思っていた探偵のイメージと全然違うと一年以内で疲弊してやめていくことが多い。


 坂本君も、きっと、すぐにやめていくだろう。
 ここに入る前はバンドマンでフリーターをしていたとかで、まだ22歳の彼は今年で31歳になる私からしたらふわふわ浮わついて見えるし、イケメンなのは結構だけど時にその恵まれた華やかな容姿は目立ちすぎて調査の邪魔になる。工作のときには女性に近づくには良いかもしれないが街に馴染むには少々目を惹きすぎる。実際、尾行がバレたり近隣住民に不審に思われ通報もされている。正直調査にはお荷物なのだが、安い案件だから坂本で失敗してもまあいっかと思われている。

「行くよ」
 とぼーっとしている坂本君に声をかけ、面談室に入る。中嶋さんのことは、経理をしている社長の奥様が面談室に通してすでにお茶を出してくれている。


「お待たせしましたー。こんにちはー。中嶋さんお久しぶりでーす」
 どうせ中嶋さんはじめじめした雰囲気で緊張して座っているのだろうから、努めて明るく声をかけながらノックをして入った。
「お、お久しぶりです」
 案の定がちがちに固まっているし、後ろに立っている坂本君を見て警戒して目が泳いでいる。
「新人の坂本です。今回一緒に担当させていただきます」
 坂本君に挨拶するよう目配せする。
「坂本と申します。よろしくお願いいたします」
「あ、ありがとうございます」
 名刺を差し出す坂本君も受け取る中嶋さんも、ぎこちない。名刺に慣れていないのがバレバレ。

 面談内容は、さくさくと進み、前回と同様パート主婦の休日の素行調査という方向性で決まった。とにかく休みの日に何をしているかとかどんな風に暮らしているかとかを見たいそうだ。
 というか、それしかできない。資金が潤沢にあれば、工作というアレンジを取り入れて、対象者の出かけた先で中嶋さんとばったりを仕掛けるとかもできるのに。そのうえで中嶋さんから対象者に話しかけづらいようであれば例えば社内メンバーを帯同させて中嶋さんの気さくな友人か家族のふりをし対象者に話しかけるきっかけ作りの協力などもできるのだが、とにかく費用がないためただの調査のみになる。なんだかせっかく尾行するんだから出先で一発出会いも仕掛けたかったが、言っても仕方ない。

 現場は千葉県の千葉中央駅からバスで10分ほどのところにある対象者の勤務先のまんじゅう工場。
 初回調査では、工場から自転車で帰宅する対象者を尾行して退勤時の自宅特定を行う。
 自宅がわからないと休日の調査ができないので、そのために必要なものとなる。対象者の自宅住所については中嶋さんは全く知らないが、おそらくまんじゅう工場から自転車でそんなに遠くはない一戸建てであろうとのこと。仕事帰りにグルメシティというスーパーで買い物をよくしているらしい。ちなみに、昼休みの対象者の話を盗み聞きして得た情報だそうだ。


「調査費用は前回と同様、2名の調査員で1時間15,000円になります。一回の調査の最低単位が2時間からとなっておりますので、2時間以内に早々と自宅が特定できた場合でも2時間分の料金は発生します。23区内ではないので、出張費と、あと自転車を2名分現地で用意しないといけなくなるのでその費用もかかってきますね。まあ今はレンタルとかもできるので現地の手配になるかとは思いますが。坂本君、後でこの周辺のレンタル自転車調べてくれる?」
 私は極めてフェアなことしか提案をしていないつもりだが、お金のことをいうとすぐに中嶋さんの顔が曇る。
「そうですよね・・・」
 調査費用だって実は負けてあげているのだ。お金がないことを知っているから。お金のある依頼者だともっと取っている。それなのに、目の前で暗い顔されて嫌になる。

「自転車でそんなに遠くないのでしたら何時間も調査にかかることないと思いますよ。2時間以内で終わるのではないでしょうか。主婦の方ということで帰りにスーパーに立ち寄るぐらいで17時の終業後、そんなに立ち寄りなどしないと思いますし。夕飯の準備もされるでしょう。初回の自宅特定はそんなに費用はかからないと思いますよ」
「はあ・・・それでも三万円と、えーっと、出張費と自転車代がかかるから、えっと・・・」

 あー暗い。

「でも自宅がわからないことには休日の調査もできないですもんね、そうですよね・・・仕方ないですよね・・・家が最初からわかってたらいいんですけどね・・・」
 何か独り言のようにぶつぶつ言いながら、ようやく初回調査の必要性について納得してきたらしい。


「とりあえず初回調査費用を前払いで10万円お支払いいただき、残った費用と追加費用で休日の調査をするということにしましょうか。休日の調査は何時間になるかわかりませんので、二回目の調査にかかった費用は調査後のお支払いで結構です。もし何らかの事情で休日の調査ができなかった場合は残金はもちろん返金いたします」
 未払いで飛ぶことはないだろう。そんな度胸もなさそうだ。二回目の依頼だし、休日分の調査は後払いを提案してあげた。実際、休日の調査は対象者の動き次第で何時間になるか実費でいくらになるかわからない。あまりに動きがなければ、切り上げの判断も対象者の予算次第で必要にはなってくる。長期案件になるわけでもなく単発だろうから、後払いのほうが精算が楽だ。


 調査とお支払いについて決定したところで、対象者の写真を提出してもらう。まんじゅう屋の創業何周年だか記念のときの集合写真で、対象者は小さく映っているし、画素数もそんなに良くない。しかも工場の白い制服を着ているから私服の雰囲気も掴めない。
 実際に調査に参加する坂本君もしっかりと容姿を確認しようと写真の対象者をにらみつけている。
「坂本君、こちらお借りしてスキャンしてきて」
「わかりました」
 ほんとにどこにでもいるおばさんだ・・・前回の依頼のときの対象者と似ている。こういう、大柄でぽっちゃりした優しいおっかさんみたいなタイプばかり。

「この写真を拝見したかんじ、対象者の方は比較的大柄なんですかね」
「はい、そうなんです。170センチ近くあって一人だけ大きいからすぐわかると思います。他にうちの工場にこれぐらいの背のある女性いませんし、大きいのは高橋さん一人なのですぐわかります。結構ぽっちゃりしてて、この写真より太って見えるかも。いつも体型を隠すようなぶかっとした服を着てるんです。バッグは紺色の布のなんか大きなものを持ってる気がするけど、ごめんなさい私ブランドとかよくわからない。なんか英語が書いてありました。今の髪型は普通のボブカットっていうんですか?少し茶色いですけど全然派手とかじゃないです」
 対象者の話を振った瞬間、にやにやと口角を上げてよく喋る。さっきまでしゅんと縮こまって座っていたのに急に元気。本当に好きなんだな。でも、中嶋さんダサいから全然服とか髪型とか正確に答えられない。おしゃれで敏感な女性だともっといろいろ説明上手いんだけど、なんか説明が具体的ではないからよくわからない。とにかく身体はデカそうだから助かる。ま、写真でなんとなくわかったし大丈夫そう。出てきたらわかると思う。
「承知しました。参考にさせていただきます。いただいたお写真と身長で判別できると思います」


 中嶋さんにお帰りいただいた後、面談室を片付けながら坂本君の第一声は
「ちびまる子ちゃんの野口さんそっくりでしたね」
だった。
 私も以前会った時からそう思っていた。アニメのちびまる子ちゃんの野口さんは実際にはお笑い好きの面白いキャラなのだが、一般的には、暗い雰囲気の人やぼそぼそ喋る人であまり綺麗とは言えない地味な人を見ると安易に「野口さんみたい」と言ってしまいがちだ。

 中嶋さんも、告白したりとか付き合ったりしたいという気持ちはないそうだが、一応恋する女子なんだからもっとかわいくしたらいいのに。服とか髪型とか気を使って。

 いつも化粧もろくにしていないし、髪の毛もいつ美容院に行ったのかわからない適当な黒い伸ばしっぱなしの感じ。白髪もちらほら出てきてた。もっとかわいくしたらいいのに。せっかく華奢だし顔も小さいんだから、綺麗な服着てお化粧してちゃんと髪セットしたらいいのに。


「でも俺、今回の調査頑張ります」
「え?なに?」
「ほら、俺入社してから、依頼者って結構勝手な依頼が多くてムカつくこともしょっちゅうあったんですけど、中嶋さんの依頼ってめちゃくちゃピュアじゃないですか」
「うん、あの人はピュアだよ」
「別れさせたいとかそういう身勝手なことをいうでもなく、野口さんですけど、なんか心は乙女っていうか。応援したくなっちゃったな」

 そんなふうに思う坂本君も、この業界では十分ピュアだ。十万から、多く取れても三十万ぐらいのこんなちっぽけな案件、どうでもいいってみんな思ってるのに、坂本君にはそんなことは関係ないらしい。ま、月給制だから個々の依頼の料金はまだ営業の担当を持っていない坂本君には関係ないかもしれないけど。やっぱり料金の高さでモチベーションとか社内の評価ってものが気になってしまう私はすっかり社長のやり方に洗脳されてるのかもしれない。

「絶対初回調査で自宅判明させます!」
「ちょっとー。頑張るのはいいけど張り切りすぎて変ながっつくオーラ現場で出さないでよ。ただでさえイケメンで目立つんだから変なギラギラしたオーラ出すと目立つんだよ。また近所の人に通報されるとかやめてよ?」
 若いころはイケメンにイケメンと面と向かって言えなかったが三十過ぎてから急に平気でさらっと言うようになってきた。私ももうおばさんだ。

「ははは、気をつけまーす」
 イケメンと言われ慣れてる男の反応だ。変に謙遜されるとめんどくさいから、若いイケメンはこれでいい。

「でも、あんなどこにでもいるような普通のおばさんが、まさか自分が探偵に尾行されるなんて思わないでしょうねー。いやーすごいなー。面白いですよねそう考えると」
「そうかもね。だからって油断しないでよ!」
「わかってますって。ははは」
 
 坂本君の感想や思うことはいちいちミーハーだし新鮮だ。新人の頃って私もそう思ってたかもしれない。この業界に何年もいると、探偵に尾行されるような人だからといって決して特別な人なわけではないし、大体はドラマに出てくるような美男美女なわけではないってとっくに知ってる。本当に普段は市井の人というか、どこにでもいる一般的な人たちが対象なのだ。

 帰り際に中嶋さんが
「これ、社割で買えるんです・・・お口に合うかわかりませんが皆さんでどうぞ・・・結構美味しいですよ」
 と箱に入った和菓子を差し出していった。

 私は和菓子は苦手だが、坂本君は
「俺甘いもの大好きなんすよ!!ありがとうございます!」
 と目を輝かせた。

「いつでもいいからおまえら二人スケジュール空いてるとき合わせて初回組んどけよ」
 と社長からは適当に投げられていたが、実際には私も坂本君も例の大型案件でしばらく調査に出されたり、社内に残って電話番をしたり、新規案件の面談が入ったりでなかなかスケジュールが空かず、中嶋さんが月曜日から金曜日の間でいつでもいいと言っていた初回調査は結局翌月になった。

 やる気満々の中嶋さんを少しお待たせしてしまうことになったが、初回調査日の決定の連絡のメールを後日送ると、中嶋さんは文句も言わず
「緊張しますけど楽しみです。どうぞよろしくお願いします」
 とだけ夜に返信があった。

 浮気調査等の証拠が必要となる調査ではその限りではないが、基本的に探偵社ピピットでは、通常の工作や調査では場面場面の写真を数枚選んで報告とさせていただいている。
 でも、中嶋さんには特別に多めに対象者の写真を報告時に送ろう。写真写りの良いものを選んで。乙女の中嶋さんはきっと対象者の写真がたくさん欲しいはず。かわいく撮るぞ!普通のおばさんだけど!

 坂本君のピュアさにつられたのか、そんな気持ちになった。

〜続く〜


雷雷雷雷雷雷

元々、成瀬みたいな愛されかわいい若い子のカラッとした明るい楽しい小説を書きたい!と思ってたのに、なぜかどんどん暗いおばさんばかり出てくる。

なお、小説に出して欲しい人名、募集します。
その人名のキャラが、死んだり犯罪行為したり卑猥な行為をすることや、人格や容姿をめちゃくちゃに書かれたりが発生する可能性があることはご理解の上、お願いいたします。