私は、長く「安倍首相の時代における春馬さん」を綴ってきましたがクロージングを前に更に考えたく、しばらく休筆していました。

 

 

安倍元首相がこのような悲劇に見舞われるとは、なんてお気の毒な!

最後まで明るい笑顔で、明朗な方との印象を残して去られた安倍元首相に、

謹んでお悔やみ申し上げます。

 

昨日の参院選投票はそうなるであろうと危惧された通り、自民圧勝でした。

私は、綱引きのこちら側にいて、力の限り綱を引き腰を落として手のひら擦り剝けさせようが、強い勢力にずるずると引き摺り行かれる無力を感じています。

安倍元首相亡くなったからには意を継いでの「改憲」と短絡するのは、政治とは言えません。数の勝利と言われても、数で決めるべき問題とは次元が違います。

 

 

延々と見続けた元首相銃撃のTV番組では、安倍元首相の幼い日々の映像(9日「報道特集」より)に刮目させられました。

安倍元首相の人気の元となったあの明朗さの基盤は、幼い日にあったのです。

祖父である岸信介元首相が満面の笑みを浮かべて膝に抱く、「この次男が一番きかなくて」

岸信介は、晋三氏を特別視し晋三氏5歳60年安保のときから政治的薫陶を与えた。

「日本で一番偉いお祖父さんが僕を認め励ましてくれている。僕は特別だ」という自信あったればこそ、晋三氏はいつも余裕綽々でいられた。その自信があの明るい表情となって人を魅了したのでしょう。

いうなれば、岸信介の政治が今に続いていたのです。

 

そして、安倍元首相が機を見るに敏だった証拠に、最初の銃撃直後、犯人を正視したのも安倍元首相でした。

あのとき、もし、安倍元首相が腰を抜かしていれば、怯えて伏せていれば、そうすれば二発目が、少なくともご自身に当たることはなかったのではと思うにつけ、

最後まで、弱腰を見せず、誰にでもまっ直ぐ相対した安倍元首相らしさをそこに見ました。

 

きっと後々、安倍元首相銃撃の日は、格差拡大表出の分水嶺として記憶されるでしょう。

春馬さんのご命日も近いです。

ご冥福をお祈りします。