八回忌のおジイちゃん(父)とは、チャアちゃん(母・故人)とねむパパ(夫・故人)に比して対話する率は低いかも。
おじいちゃんは長患いだったので病に伏してからの対話が割にあったからです。
パパは出張先で心肺停止ですし、チャアちゃんが入院してから会話で来たのは正味一か月ですから、そういう亡くなり方だと亡くなってからの対話が豊富なのでしょうね。
おじいちゃんに私は懐いた方ではなかったし対立した時期もあったけど、とにかくしらべを可愛がれるだけ可愛がってくれたので気が済んだと言いますか。
入退院繰り返した何度目かの入院に、遠方の病院までしらべと二人で付き添って行ったら、看護師さんが「お孫さん来てくれて良いですね。好きなんでしょう?」って。
おじいちゃんが、「世界一好き」って答えた言葉は余韻の残るプレゼントになりました。
しらべは恥ずかしがったけれど、「あんな言葉すっと出てくるもんじゃないよ」って語り種です。
今は、100歳でも元気な方もいらっしゃる。おじいちゃんがいてくれたら新築の心的負担が半減したのに。
ねむパパがいたら全部ねむパパ任せで私は文句言うだけだったでしょう。
土地は母のものだから母が土地を売ると決めて妹とマンションを買っていたら、私としらべにも別のマンションが宛がわれたかも。
でも私は、半分以下の狭められた土地に家を建てています。
今年初めに取り壊したアパート併用住宅をおじいちゃんが建てたのは半世紀前。
そのときは、家族5人一緒に近所の空き家を借りて、
毎朝早くに、おじいちゃんは建築現場に足を運んでいました。
出勤前にコートを着てカバン持ったおじいちゃんが俯き加減にタバコ吸いながら私道を曲がってくる姿が目に焼き付いています。前髪がケネディ大統領(大きく出るわね)みたいな天然ウェーブでカッコよかったかも。
そういえば若かった、おじいちゃん。あのときのおじいちゃん、たった50だったんだわ❕