なんともはや。地球制覇を図るグローバル製薬会社とケニア政府高官との癒着、アフリカの無辜の民を新薬人体実験する実態を告発するジョン・ル・カレ原作の映画化です。

社会正義からの告発は、大恋愛をもって和らげられ、懺悔に変えて差し出されているのでしょうか?

 

英国高等弁務官である主人公(レイフファインズ)の新妻テッサは、街でケニア人の子どもの物売りに貰ったプリミティブなモビールを後生大事に自室に飾ります。

治験告発の急先鋒だったテッサが、調査先でケニア人医師と共に惨殺されてしまうところから物語は始まり、過去のシーンがカットバックされて行きます。

主人公は政治的には中立的穏健派で深く物事に関わろうとしなかったのですが、妻の思い出に導かれ、妻への愛に殉ずることになります。

 

世界が震撼する結核菌、その治療薬で世界の覇権を握るという構造。竹ネズミはモルモットと似ていますからそれを生物実験に使ったればこそのコロナウィルスだったりして。

 

ケニア人を搾取したのは白人、告発するのも白人、アフリカ人高官は名誉白人?そしてそれを見ているのが私。

プリミティブなアフリカ、アフリカ人を、白人たちが善悪の二手に分かれ綱引きしたとして、引き裂かれるのはアフリカでしょう。アフリカの前で視線が行き惑っている、かなと。

 

アフリカの自然の映像は、見事です。

サバンナの夕暮れどき湖から飛び立つ白い鳥の群れ。赤く乾いた土壌とアフリカ固有の樹木。サバンナの大地に暮らす極貧のケニアの群衆は思い思いに色鮮やかな布を身に纏っています。それがアフリカの情景の一部であるかのように。

この映画を見ている私は、アフリカの人々を情景の一部として見ているのかと自問しました。