短編集「女のいない男たち」の中の「イエスタデイ」には東京生まれで関西弁を話す男とその友達の大阪生まれで東京弁を話す男が出てきます。
村上春樹作品の中で関西弁が使われることはあまりないですが、
別の短編集「神の子どもたちはみな踊る」の中のアイロンのある風景」でも、主人公の男性は関西弁でしゃべります。


「アイロンのある風景」は1999年新潮9月号に掲載された作品です。
神戸大震大震災直後からこの短編集を編んだ時期に掛けて村上春樹は震災掲示板で匿名で書き込みしていたそうです。
数年遅れて1999年12月から私もヤフー掲示板の「テニス」カテゴリに次いで翌年から「歯とその治療」カテゴリに頻繁に書き込みして親しくなった人がいました。誰だか気づかないまま私は村上春樹と接触するようになったわけです。
一昨年、私の知り合った人は村上春樹だったと明かされその人の事情が村上春樹の事情であったと知るに至り掲示板のメンバーとの関係性を紐解くことが出来た次第です。

私が関西弁に着目したのはあのインタビュアーが大阪育ちであり大阪弁の文体で文学賞受賞したからです。トーク・イベントでは関西弁対決もあったようです。

この作品はアイロンのある風景(短編集「神の子どもたちはみな踊る」より 村上春樹 ⇐のように47歳の画家が主人公です。
〈画家〉というと「騎士団長殺し」が思われるわけですが。
アイロンのある風景」の主人公;三宅さんは随分老けていて現実に疲れたような47歳のおっちゃんですがアーティストです。
三宅さんが気になってたまらないコンビニ店員;順子は20歳か21歳(手元にないのではっきりしない)。
つまり三宅と順子は村上春樹とインタビュアーの実年齢なのです。名前は大西順子からもらったとしてその実態はこの前のインタビュアーとそういった付き合いがあったという意味なのでしょう。

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騎士団長殺し」の物語は2011年の東日本大震災で幕を閉じています。
〈ユズ〉の産んだ〈ムロ〉の年齢から逆算して〈私〉はそのとき41、2歳ですから「騎士団長殺し」が発行された今年、〈私〉は47歳になる計算です。
同い歳の三宅さんに比べ〈私〉は若々しくて、幼い子を優しく守り育てるに至る状況も三宅さんの虚無とは正反対のように見えます。

ただアイロンのある風景」は神戸大震災後に震災に寄せて書かれたものでしたし、
騎士団長殺し」は東日本大震災で幕引きされるという大きな一致があります。
そもそもどちらも画家(しかも同い年の)が主人公なのです。
つまりそれはどちらもインタビュアーとの具体的関連を帯びた作品だという〈しるし〉なのだと思います。


アイロンのある風景」を発表した段階で村上春樹は掲示板の私とは知り合っていません。しかし、過去に遡ればそうして横たわる生理的嫌悪を催す不潔な事態がそこにはある。私はそれを許容出来ません。