批評家の記事を三つばかり綴ってきました。
村上春樹の経営するジャズ喫茶のお客だった彼は、村上春樹初期三部作について好意的という以上に心篭った評論をした批評家であったと最近知る機会を得ました。
 
しかし、村上の「アフターダーク」刊行は批評家にとって違和感があったとのこと。
海辺のカフカ」から距離を置くようになり今は袂を別ったといえるでしょうか。私はその二人が親しい関係にあったことさえ知りませんでした。
 
批評家は亡くなった夫人(私と同年齢)とご夫婦揃って村上のジャズ喫茶「ピーターキャット」に出入りしていたそうです。
夫人はファッションライターだったとのことで、村上の小説に登場する女性の服装へのよきアドバイザーだったのではと推察します。
ヒロインが身につける服装について細かく描写されている作品が多いです。
村上春樹の近年の翻訳を読むとファッション関係の語句に間違いが散見され、いや間違いというより知識のなさですか、それはファッションに関するアドバイザーを失ったからだと考えると納得がいきます。
〈ジョッパーズ〉〈スタッズベルト〉について村上が知らなかったことは、彼女が亡くなった後出版されたチャンドラーの翻訳により明らかです。
 
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村上春樹と批評家夫妻は、永沢さんとハツミさんそしてワタナベくんの三者に投影されていると考えられるかも。
 
更にいえば「国境の南、太陽の西」の島本さんは夫人ではないでしょうか。ハジメくんのジャズ喫茶に島本さんが現れ二人が再会するシーンの島本さんは魅力的でそのときのハジメの心情に私はとても惹かれたものです。
少なくともその部分の島本さんは、夫人へのオマージュだと思われます。
国境の南、太陽の西」に対して批評家は異を唱えていないので、それを受け入れたということではないでしょうか?
 
あにはからんや「国境の南、太陽の西」に駄目出ししたのは安原顕、生原稿流出事件の編集者でした。やはり「ピーターキャット」の常連だった安原はその関係性に気付いていたに相違ありません。「ハーレクイン・ロマンス」だとの酷評は、現実との交差に対する拒否反応だったようにさえ思えます。
 
1990年前後に村上春樹として載っている写真に眉の違いが見受けられると私はかねがね思っていました。中には批評家が写っているものもあったのではないかと思います。
村上春樹の創作にアドバイスするなど影響を与えた部分もあったのかも。
 
2008年に夫人は亡くなったそうですがむしろその後、批評家は村上から離れていったことになります。
そこには様々な思いが去来していたのでしょう。