短編集「神の子どもたちはみな踊る」を「かえるくん、東京を救う」を除いて読み終わったとこです。
「かえるくん、東京を救う」はユーチューブで中村メイコさんの朗読を聞いているので、読めばまた違うんだとしても後でもいいかなと思いまして。
 
この短編集は神戸の大震災からほどなく刊行され、全ての作品に神戸大震災の爪痕がみとめられます。直接的な言及はないけれど震災への鎮魂の祈りを込めた作品集なのでしょう。
 
「アイロン」の読後感は先に書いたので、
 
この作品集の中で特に泣いてしまった、「蜂蜜パイ」について。
最初に沙羅って名前が出てきます。
あら、多崎つくるの沙羅が先行して登場していたの?ついぞ聞かなかったけどと思いました。

 

 

「色彩を持たない多崎つくると、その巡礼の年が2013年刊行で、

 
「蜂蜜パイ」は1999年なんですね。「蜂蜜パイ」の沙羅は4歳だから…その14年後だと計算が合わないですね。別の女性なのね。でも字も同じ。
 
沙羅の父親と母親共通の友人である主人公=淳平は、子供の沙羅から「淳ちゃん」と呼ばれるほどその家族と親しくしている。
「アイロンのある風景」の順子もそういえば、順ちゃんと三宅から呼ばれていた。私にもちゃんづけで呼んでくれる相手が欲しいわ。
 
沙羅の母親、小夜子・・・私ね、こういう女性は嫌いなの。
何か鼻に掛けた感じが。
実家に自慢できる要素があって、派手なおしゃれをしなくても他の女たちとは違うキレイさがあって頭が良くて。
きっとオンナの子たち皆に私みたいな負けた感を抱かせる女性なのかも。その証拠?に小夜子には女友達が存在しないらしい。
私、今、人生を上手くやっていく、上手いこと行き過ぎる女性に対して妬みを持ってしまうわね、どうしても…。
私みたいな激情家だとそれはそれでまた話しが違うんだけど、小夜子は徹底してクール。
「国境の南、太陽の西」の島本さんがそうであるように。そう、島本さんは女友達というものを持たなかったわ。
 
神戸大震災のTV映像を見てから、沙羅は箱に入れられる悪夢を見てはうなされるようになる。
淳ちゃんは36歳。作家なので、沙羅に面白い話を聞かせて宥めてくれる。
熊の「まさきち」と「とんきち」の話、熊なので蜂蜜が絡んでくるわけ。
 
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熊といえば、「ノルウェイの森」ですよね?
「緑の丘の斜面で眼のくりくりっとした熊さんがお譲さん遊びましょう」って。私はあのシーン嫌いだけど有名でしょ!
それが嫌でも思い出されるわけです。
 
きっとこの作品は…ふふ、感想が飛躍し過ぎるのは承知ですが、未読の方の喜びを奪うわけにいかないからストーリーを端折った結果です。
 
いえ、思い直してちょっと内容に触れることにしましょう。
「ノルウェイ」のキズキが自死しなかったバーションの人生があるとしたら、直子が病むこともなくてこういう展開になったのだろうと思わされました。では、緑は?緑は直子に吸収される形で小夜子になったんでしょうね。
つまり蜂蜜がパイに入って蜂蜜パイが出来たという。
あるいは、島本さんが産んだ赤ちゃんが生きていたらどうなっていたかしら?ハジメにも女の子が二人いるんだから困ったことになったでしょうね。
 
この作品は春樹さんの「気付き」、
我々はノルウェイの森」「国境の南、太陽の西とは全く別の新たなエンディングに向かうべきだっていう、気付きの表明なんじゃないかしら?
 
前2作よりちょっと平凡なハッピーエンディングだとしても、私はホッとしたしそういう落ち着き方が嬉しくて泣けちゃいました。
それにハッピーエンドの後だって、めでたしめでたしチャンチャン!ではなくて物語は…人生はどんどん展開していくわけでしょう?
 
その沙羅の名を春樹さんは再び、「色彩を持たない多崎つくると、その巡礼の年で使った…そうじゃありませんか?
明るい未来を想像させるように、創造するようにって。
 
 
「神の子どもたちはみな踊る」に一言触れますと、
私が中学1年で本を貸した、生物の先生もね・・・左耳かな?実験で溶けてしまって耳の縁がないの・・・。いや、右だった。黒板の前でこちらを見た時に左だから先生の右耳なのね。
左右が良く分からないところがあるのね、私。禁免許取得。