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30才目前で始めたフラメンコでスペインで生きる

フラメンコ踊っています☆ 

スペイン滞在の日記を中心に書いていきます☆☆

これは、私のブログ”ヒターノの友達 1”の続編になるのだけど。

もうひとり、知り合いのヒターノがいる。彼はちなみにカンタオール(歌い手)である。


彼は、ヒターナの友達に比べると、いわゆる私のヒターノのイメージに近い。


まず、本番前のリハーサルをしない。したとしても、本番では全く違うことをするので無意味だ。

一応本番前の数時間前に、その場所に到着はしてるのだけど、せっかく時間が余ってるのだから合わせの一つでもするのかと思いきや本番までひたすら飲み続ける。飲んで歌ったほうが気分も盛り上がるのだろうからいいのだろうけどね。


でも、この知り合いも排他的ではない。



「僕はさ、フラメンコ一族に生まれた。だから、フラメンコを歌っているけれど、もしもフラメンコ一族の出身じゃなかったら、きっと歌っていなかったと思う。まして外国人だったら絶対に歌っていない。


でも、君たちは、日本人なのに、フラメンコをやってこうして遠いスペインに来てそれを得ようとしている。ものすごい情熱だと思う。情熱だけでここまでくるのだから、だから、そこまで出来るんだよね。


僕はたくさん踊りを見てきたけれど、君よりいい踊りをする人もいるけれど、君より踊れない人たちもたくさん見てきた。これは君たちにとってフェアじゃないなあと思うのと同時に、スペイン人でスペインにいるのに何をやっているんだと思うときもある。でも結局は情熱の問題なんだよね。


その情熱が結局フラメンコなんだと思う。」


と。


こんな風に言ってくるとは思わなかった。



私の尊敬する師匠であり、踊り手のひとりに”ウイニー(メルセデス・アマジャ)”がいる。

彼女は名門、アマジャ一家の出身であり、フラメンコ歴史の筆頭にあがるカルメン・アマジャの姪でもある。彼女の踊りの素晴らしさは、言葉では言い表せない。もう、舞台に上がった瞬間から、放つオーラが違うし、そのリズム感、踊り、空気、全てがそれこそ血以外の何者でもないと感じさせられる。

その彼女に習ったとき、何度やっても彼女のようにはできなくて、たった一つの音でさえ雲泥の差があることを思い知らされて落ち込んでいる私に言った。


「練習あるのみよ。技術が全てです。」


・・・・頼む!!!血だと言ってくれ!!!!!

パジョには日本人には逆立ちしたって、フラメンコは踊れないと言ってくれ!!!


その方がどんなに楽か。。と思った程だ。



このウイニーが言ったことと、上記のカンタオールが言ったことは同じことのように思う。


そして、ヒターノは排他的だとかそんな風なイメージを持っていたことが間違いだったと今更ながら思う。

少なくても、私が知っているパジョや外国人より、よっぽどシビアでフェアのように思う。


フラメンコは伝統文化で、その中心にいるとも言えるヒターノ達と付き合いが増えていくにつれ、閉鎖的に思っていたフラメンコの世界が中心から開かれているんだと。。。むしろ中心にいけばいくほど開かれているんだなあと気がつかされた。


まあ、でもヒターノ達との舞台はやっぱり覚悟がいるんだけどね。その場で作り上げる生のフラメンコに近いから、即興性が強いし、これに対応できないと立ち往生・・・・


でもきっと、情熱と技術で彼らの血と混じり合える。




完全に自己論なので、軽く聞き流して欲しいのだけど。


スペインにはヒターノ(ジプシー)と呼ばれる人たちがいて。アフリカ大陸からの流浪の民と言われ、フラメンコにも重要な役割を果たしている。一説によれば、このヒターノ達が迫害を受け、その苦しみを表現したことからフラメンコのカンテ(歌)が生まれたと言われている。だから、今はそうでもないかもしれないけど、フラメンコはヒターノのもの。。。パジョ(ヒターノでない人)にはフラメンコはできないと言われたりすることもある。


独特で、強烈な経緯をもつ彼らは、生活習慣や考え方も非常に独特である。スペインの文化というより、ヒターノの文化として分けたほうがわかりやすいと思う。


フラメンコ一族のヒターノ達は、踊りも独特であって、まさに血で踊っている感じがする。これは見てみるとわかるのだけど、血なまぐさくて、土臭いような。歌も、歌というより、なんだろう、、、語り?叫び?


そんなヒターノのイメージといえば、

時間にルーズ、フラメンコはヒターノのものと考えている、パジョがフラメンコを踊ることに排他的、お金に汚いというか、ものすごい執着がある。。。などである。


もう一度いうけど、完全に自己論です。


このイメージは、私も、スペインで若干ヒターノの知り合いがいたり、友人でヒターノととても関わっている人たちから聞いた話から確立されたものだ。そして、自己論には違いないけれど、私と同じような印象を持っている人も少なくないと思う。


でも、私には今、仲のいい友人の中に、ヒターナ(ジプシーの女性)の友達がいる。

この子、まったくもって、ヒターナらしくない。。。というか、私のイメージとは全く違う。


まず、フラメンコ。ヒターノは、通常家族でフラメンコをしている場合が多いので、親から子へと伝承されていく。あまりアカデミアで習うというイメージがないのだが、彼女はクラスをきちんととり、きちんと技術を学ぼうとしている。

血で踊れるなんて微塵も思っていない。必要なのはテクニック、基盤があってこその踊り。。。という考え方は、日本人をはじめとするそこらの外国人よりも思い入れが強い。


わからないことは周りに聞く。

「何時間、練習してるの?どうやって練習してるの?コンパス感はどうやって身につけたの?」と、日本人の私にでも聞いてくる。


またあるときは、彼女は私に仕事を与えてくれた。地方のタブラオでのショーをまるまる私に与えてきた。


これはびっくりだった。なぜなら、地方のタブラオなんて、観光客はほとんどいない。地元の人たちがフラメンコを見たいと集まる中、誰が日本人の踊りを見たいと思うだろう。はっきり言うが、パジョでさえ、こんな仕事は私に回してこない。それが証拠に、タブラオのオーナーは私を見るなり、動揺が隠せないようだった。そりゃそうだ。

たった一人の踊り手が、日本人。全く予期していなかったと思う。


彼女はこの他にも、クラスの先生や、踊り手としての仕事を機会があれば回してくれる。パジョに排他的だと言われているヒターノのイメージとは大違い。


お金に関しても、「ヒターノには気をつけたほうがいい。日本人は特にお金を持ってると知っているからたかられる」なんて警告してくれた人がたくさんいるけれど。


外国人で仕事がないことを知っている彼女は「大丈夫なの?何か機会があれば仕事回すからね。。。あ、そうそう、ここは私が奢るから大丈夫よ」と、こっちが恐縮するほどだ。


時間に関しても、彼女は大体時間通りに来ているし、遅れてもせいぜい10分。これはスペイン人を知る人なら、驚くべき出来栄えである。一緒に練習してて、お互いが、5分遅れで到着したとき、

「たるんでるわね。ちゃんと時間通りにこないと」と言われる始末。



先日は、クアドロフラメンコ(ギター、歌、踊りがフラメンコをする)についての講義があって、それに一緒に参加したのだけど。。。まず参加するというのもびっくりだ。「そんなものは習うものじゃない!」とパジョであっても言う人が多い中、彼女は真っ先に参加を決意。


その講義中、話をしているスペイン人たちに、「静かに!聞こえないじゃないの」と一喝。

私にも「敬意を払わないといけないわ。あんなふうに聞いちゃダメなのよ」と。

そして、質問もバンバンする。


こんなだから、私は彼女がヒターノだと実は最近まで知らなかった。

「私はね、ヒターナの血は持っている。誇りももっている。でも、頭で考えることや、心、意識はいつも開かれていたいの。」


そのとおり、そんじょそこらのスペイン人のパジョより、よっぽど彼女はオープンだ。

そしてよっぽど ”フェア(公平)”だと思う。


時々話すアンダルシア訛り、そして、振り付けを即効であみ出す割には、片っ端から忘れていくのを見て、

「そうだ、ヒターナなんだなあ」って思い出したりする


突然ですが・・・


日本の台所には必ずといっていいほどあるもので、スペインではあまり見かけないもの。・・・ってなあんだ。


答えは



「まな板」



です。



ちゃんと言うと、実際にはあっても、あまり使ってないというか。

私も、この家に来た時に、まな板を用意してもらったけど、ロサ(同居人)がまな板を使っている様子は一切なく。。。どうしてるんだろうと思って観察してると、なんと、野菜を切りながら直接なべやフライパンに落としていくんですね。


想像できるかなあ。外側から手前にひいて、器用に切っていく。

なんと、にんにくの微塵切りまで。にんにくに縦に筋をいれて、横に切断していく。

そんな風に切っていくので、まな板を使って料理をしていると、料理ベタ。。。の角印をおされることもある。


でもねえ、これって、スペインの切れない包丁ゆえにできることだと思うのよ。


手とかきっても、きれないからね。助かるけど。

思いっっっきり力こめないと切れない時とかあるし。


かくいう私も、数年のスペイン生活ですっかりまな板なしの生活に慣れてしまい、今ではあまり使っていない。この前日本に帰国した際、同じことをやろうとして、あまりに研ぎ澄まされた包丁にびびってしまった。

こんなの、指切ったら、切れちゃうじゃないね。そう、私の父の趣味の一つが包丁研ぎ。日本刀のごとく、包丁はいつもきらびやかに光っている。


そんなロサの家には、フライ返しも、泡立て器もない。

どうしているんだろう。。。と思ったら、フォークで全て代用。


この前、ケーキを作ろうと思って、メレンゲを作るのにハンドミキサー(これは家にあった)を使ったが、全然泡立たない。そこへロサが登場して、「私に任せなさい」と。

でも、泡立て器もないし、どうするの??って思ってたら、なんとフォークで泡立て始めた。

ところが、ものの見事に、角が立つまで、彼女は泡立てつくした。


すごい。オレー。へえ、フォークってすごい!!!!

ってか、泡立つもんなんだなあ。


だって、メレンゲってさ、泡立て器で作ったって大変なのによ。

フォーク一本ですよ。職人ですよ。


でも、任せっぱなしでは申し訳ないので、私もフォークで生クリームを泡立ててみた。


・・・なんと、出来たのだ。すごい、フォークすごい。


そんなロサから言わせれば、なんでもサイバシで作ってしまう私のほうがよっぽどすごいのだそう。

だって、フライ返しも泡立て器もないのであれば、日本人なら菜箸ですよ。

卵焼きとか作ってると、じーーーーっとそばで観察される。


それから、台所に、布巾がない。

それは、全部スポンジで洗うからだ。

ガスコンロの掃除とか、キッチン台とか、全部スポンジで洗う。その後の水取りも全部スポンジでやるらしい。

ロサが洗ったあとはいつもぴかぴか。でも私はどうしても、洗うことはできても、上手に水をとれないので、

布巾を使っている。やっぱり布巾で掃除をしたほうが早いからだ。


もともと、器用でもないし、家事が得意なわけではないけれど、道具のハンディがある分、さらに格闘することも多い。というか、日本が揃いすぎ???