時計を巻き戻して🕑

「かつての自分」を助けてあげることはできない。

 

だから、かつての私のような頑張り屋のあなたがそこにいたら・・・✨

 

この活動を始めようと思うに至った私のストーリー

 

「もう頑張れない・・」

他人軸で自分迷子からの自立をサポート

自分生きサポーター 三上みくです🌻

 

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【バリキャリ編 】わたしが「自分迷子」から「自立」するまでのストーリー

 

【バリキャリ編・その2 】わたしが「自分迷子」から「自立」するまでのストーリー

 

【うつ編 】わたしが「自分迷子」から「自立」するまでのストーリー

 

【妊活・高齢出産編】わたしが「自分迷子」から「自立」するまでのストーリー

 

【育児編】わたしが「自分迷子」から「自立」するまでのストーリー

 

【乳がん編】わたしが「自分迷子」から「自立」するまでのストーリー

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今回はこちら照れ

 

 

 

え・・・滝汗

こんなしこり、、いつの間に・・・滝汗???

 

目の前の2歳の息子の身体を洗うことに意識を

向けながらも、全身が凍りついた感覚は

今でも手放せない。

 

1年ちょっと前にはまだ授乳をしていた。

母乳マッサージに通ったりしていて

その時は全く異変はなかったのに。

 

妊娠前までは、毎年乳がん検診もしていた。 

 

だから、何かあるはずなんて

ない。 

 

大丈夫だよね、、、きっと。。

 

 

だけど、、

私の嫌な予感は的中した。

 

 

乳がん 

 

だった。

 

 

宣告を受けた日は43歳の誕生日、前夜。

 

ソファにうなだれて迎えた

これまでの人生で一番辛かった

生涯忘れることのない誕生日悲しい

 

主人の帰りを待ちながら、 

ぼんやりと考えていた。 

 

これから、どうする・・・真顔

 

うつ 

息子のアレルギー 

皮膚疾患などの

様々なプチ不調 

 

ずっと病気とは無縁の私だったのに

30代半ばごろから次々に起きた

予期せぬ心身の不調に向きあう中で

 

私にとって

病気を治すということへの考え方

これまでとは根本から大きく

変わってきていた。

 

 ーーー 

 

がんの宣告を受け、

その場で医師からは矢継ぎ早に、淡々と

手術に向けたスケジュールを伝えられた。 

 

今、宣告を受けたばかりで

1ヶ月後の手術の話。

 

気持ちが、

ついていかない・・・ 

 

2センチほどのしこりのようだけど、 

場合によっては手術中に

胸を全摘する可能性もある、

という・・不安

 

気が、遠くなる・・・ 

 

自分の気持ちもパニック驚き

家族にもまだ相談できていない無気力

 

そんな状態で、

いま、ここで、

自分の人生の最大の山場になりそうな

選択を決めろというの? 

 

本当に、決めなきゃならないの・・ネガティブ??

 

仕方なくスケジュールは組んだものの

その日の帰り道の記憶は、ない。

 

 

癌のステージは、ステージ0で

非浸潤と言われた。 

広がりの少ない、転移の可能性は低いと

言われている初期の段階だ。 

 

医師には、 比較的穏やかな顔つきを

している癌ですよ、と言われた。 

 

穏やかな顔つき? 

癌は癌でしょプンプンと。 

 

 

それに、状況次第では部分切除では

なくなるかもしれない、と言われたことが

頭の中でぐるぐる回っている不安

 

全摘の可能性。。

 

胸が、なくなる・・? 

 

 

胸は女性の象徴

 

 

その胸が

半分なくなるかもしれない・・・ 。

 

 

その頃、私は第二子のことを諦めきれず

悶々と考えていた時期でもあった。

 

まもなく43歳。

年齢的には、ギリギリ、か。

できれば2人目がほしいけど、

毎日体力も気力も精一杯の中で、

再び妊活に向き合えるだろうかとお願い

だけど、随分と長いこと考えていた

私のそんな淡い期待すらも

あっさりと白紙にされてしまった

今、目の前の現実。 

 

こんな形で諦めることになるなんて・・・・悲しい。 

 

突如突きつけられた

容赦なさすぎる現実がショック過ぎて

到底受け止めきれなかった・・悲しい

 

 

その後、幸いすぐには進行することは

なさそうだというセカンドオピニオンの

意見も踏まえ、 

 

胸をこのまま残す方法は本当に

ないんだろうか。 

 

そして、女性としての私の希望を

叶えられる方法はないんだろうか。 

 

私は、その道を探ることにした。

 

ーーーー

 

そこから1年半 

私は提示された手術&放射線という選択を

取らずに、

自分にとって最適だと思う選択を模索し、

試し続けた。

 

 

でも、私の意に反して胸のしこりは

どんどん拡大していった。 。ぐすん

 

 

そして、、

再度病院を訪れたときの診断は、

 

ステージ3C

リンパ節転移

 

に進行。。。ガーン

 

これ以上の待ったは許されない

状況になっていた。

 

 

一緒に話を聞いていた主人が、

私の隣で椅子から崩れ落ちたことも

生涯忘れられない。

 

ーーーー

私は、 

抗がん剤、放射線、手術を受け入れ 

私の左胸はこの世を去った。 

 

医師の指示を受け入れて 

もっと早く手術を受けていれば

よかったのに ・・

 

私の選択を見聞きして、

そう思った人も少なくなかったと思う。 

 

だけど、

私にとって

このステップは

不可欠

だった。 

 

なぜなら、 

本当の意味で病気を治すためには、 

表面的に

治す対処療法だけではなく、 

根本的な

原因にアプローチをする必要がある

これまでの経験から身を持って

確信していたから。 

 

だから、医師から勧められた治療にも

それがセオリーだとわかりながらも

自分の納得がいかなかった。

 

納得がいかない方法に、命を託すことは

できなかった。

 

でも、同時に私は

とても重要なことから目を背けていた。 

 

それは、

覚悟と勇気

そして、

逃げないこと

 

 

これまでも色々な修羅場から、逃げてきた自分。

 

自分の人生に向き合い切れていなかったことを

崖っぷちに立たされたことで

初めて思い知らされた。

 

自分の決断を

自分の希望に近づけていく

 

そのためには

いい面ばかりではなく

悪い面も見なければならない。

 

でも、私は悪い面、この場合、

死という恐怖

完全に蓋をしてしまっていた。

 

死の恐怖に向き合う勇気がなくて、

結果、中途半端な選択と行動しか

取れていなかった。 

 

見ていたいところだけ見て、

見ていたくないところからは

目を背けていたショボーン

 

癌が進行して、

命の崖っぷちに立たされて

ようやく私は偏りない視点で

自分に向き合うことができた。 

 

本当に大切にしたいことは

なんだろう

と。

 

 

私の左胸はこの世を去った。

悲しみは残ったけど、

後悔はなかった

 

 

病気が私に

与えてくれたこと。

 

それは、 

 

本当の自分を

生きるということは

自分を直視すること

 

ということだった。 

 

喜怒哀楽を

全身全霊で味わい尽くす 

 

 

それができるような

人間力を養っていくことこそが

生きるということだし

結果、その人にとって後悔のない

満足のいく人生になるんじゃないだろうか。

 

 

死ぬ間際、

誰だって後悔を残してこの世を去りたくない。

 

 

私にとって乳がんは

この

後悔したくないこと

 

を周りより早く考えるきっかけになった。

 

だから、今では日常の中で、判断、決断する時は、

必ずここに立ち戻ってくる。

 

そして、

人生においての

優先順位を、

俯瞰して見つめることが

できるようになった。 

 

 

世の中は、

比較対抗対極

見えるもので溢れている。

 

そんな中で

流されるばかりでなく、

どのように

自分らしさを貫いていくか

 

自分を生きていくときに

必要となる

 

中庸の視点

バランス感覚

 

この視点を誰もが意識していられたら

どんなに人生が良くなるだろう、と。

 

 

自分のことは、

自分では見つけにくい

 

 

かつての私のように

自分迷子になっている人が

前に進む

その一歩をサポートしたい。

 

 

それが今の私の願い✨

 

 

ここまでお読みいただき 

ありがとうございました✨✨

 

 


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