さて、話をもとの歴史に戻しまして、天智天皇崩御あたりでした。
この崩御に際し、皇后陛下の倭姫王のすてきな御歌があります。
人はよし思ひ止むとも 玉鬘
影に見えつつ 忘らえぬかも
また次のものもあります。
いさなとり 近江の海を 沖避けて
漕ぎくる舟 邊つきて 漕ぎくる舟
沖つ櫂 いたくな撥ねそ 邊つ櫂
いたくな撥ねそ 若草の
夫の 思ふ鳥立つ
素敵な歌ですね。同じく、これは生前でしょうが、天智天皇を慕った歌に、例えば額田王の、
君待つと 我が恋ひおれば 我が宿の
簾うごかし 秋風の吹く
があります。他にも鏡女王なんかの歌もありますが割愛します。
さて、ここでひとつ、近江を忍んだ歌を見ておきましょう。柿本人麿より。
さざなみの 滋賀のおおわだ 淀むとも
昔の人に また逢はめやも
近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば
心もしぬに 古おもほゆ
いいですね。特に後ろが私は好きです。最後に天智天皇御製を二つ。
秋の田の かりほの庵の 苫を荒らみ
我が衣では 露にぬれつつ
わたつみの 豊旗雲に 入り日さし
今宵の月夜 あきらけくこそ
前者の方は天智天皇御製ではないのではという事らしいですが、ま、いいでしょう(確かに時代が違う感じがするんですが、まあいいでしょう)。
さてさて、まあそんな風に天智天皇は崩御されたのだが、しかし皇位継承の問題を残したまま崩御されたんでした。というより、これはなんか、後継問題を起こして崩御されたという感じが否めません。普通もう大海人皇子でいいじゃないですか。人望もあり、実績もありというのなら。しかしそこを、大友皇子をおすというのですから、それはなんでやってなるのは人の心の常です。
それで案の定、壬申の乱がおきました。この戦、大海人皇子が勝たれるわけですが、その有様というものは、どうやら雪だるま式に兵が集まって行ったようですね。各地の兵を持ってるような豪族達がどちらに味方するかというような、なんかそんな感じみたいですね。それなら頼朝の時と同じですね。面白いなぁと思いました。
さてそれで、大海人皇子が勝ちます。宮古は飛鳥に戻されます。そして天武天皇に即位されます。この御宇以降は、また改革が加速します。改革というか、律令を作るわけですね。また国史の編纂なんかもされます。あと重要なことですが、大祓や大嘗会などはこの時期に確立したようです。元々あったんだろうけど、この時期になんかきちんとしたという感じでしょうね。それで、病になり、ついに崩御されました。
天武天皇崩御のあとは、また色々悲しい事件が起こりますが、それはまた次回。
つづく