さて、前回、壬申の乱まで来ました。


今回はちょっと横道にそれて、防人の歌をみたいと思います。(向上についてはいつ話すのだと思われた方。これは最後の方に書こうと思います。)


 大君の みことかしこみ 磯に触り

   海原わたる 父母おきて


さて今からいくぞ、という感じがしますね。


 難波津に 装ひ装ひて今日の日や 

   出でて罷らん 見る母なしに


奮い立つ思いがしますね。


 今日よりは かへりみなくて大君の

   しこの御盾と 出で立つ我は


勇ましい気がしますが、「かへりみなくて」とわざわざ言ってるあたりが、まだスカッとしてないですね。しかしそれが為に、我々の心をゆすぶります。悲しくなります。


 防人に 立ちし朝けの金門出に

   手離れ惜しみ 泣きし児らはも


なんとも悲しい別れですね。維盛都落を思い出しますね。また次の歌を連想しました。


 人の世は 別れるものと知りながら

   別れはなどて かくも悲しき


これは第五六振武隊の上原良司大尉の御辞世です。続きましょう。


 水鳥の 立ちの急ぎに父母に

   物言はず来にて 今ぞ悔しき


これは辛いですね。本当に辛いですね。


 我妹子と 二人我が見し 打ち寄する

   駿河の波は 恋しくもあるか


これも、…新婚ばかりの旦那さんが兵隊に駆り出されたような感じがしますね。「つれてゆきゃんせソロモンへ」という歌を思い出します。或いは「明日はお立ちか、お名残惜しや」


 父母が 頭かきなで幸くあれて

   言ひし言葉の 忘れかねつる


これも本当にいい歌ですね。親子の情がよく現れています。とても可愛がっていたんだろうなぁ。これを見てると、次の歌を思い出しました。


 海山に まさる恵みに報ひなむ

   道をゆくなり いさみいさんで


これは有名な留魂録です。第七九振武隊、佐藤新平少尉の御辞世です。


ここで、今までもいくつか出てきましたが、去る大東亜戦争の時の兵隊さん達の辞世を見てみましょう。


 君が代を 寿ぎまつり 我れゆかん

   死出の旅路は 米鬼もろとも


勢いがあって、スカッとしてていいですね。これを見ると、やはり防人の歌は、あれはあれでいいですが、優しいのだということがわかりますね。


 来る年も 咲きて匂へよ桜花

   われなきあとも 大和島根に


残された我々は、きちんと御心をついで、良い国にしてゆかねばなりません。


 かへらじと 思ふこころのひとすじに

   玉と砕けて 御国まもらん


この歌は、本当に「もうこの国の土は二度と踏むまい」と思ってみないとわかりませんね。


玉砕という言葉が出ましたから、ちょっとここで西郷さんの漢詩を挟みましょう。


 幾たびか辛酸をへて始めて志し硬し

 丈夫、玉砕し、甎全を愧ず

 汝、一家の遺事、知るや否や

 児孫の為に美田を買はず


では戻りまして、と言ってもこれキリがないですから、最後の方にしましょう。私が最も好きな(というと大変恐縮するのですが)先の大戦の辞世、第一神風桜花特別攻撃隊神雷部隊桜花隊の緒方襄命少佐、


 いざさらば 我は御国の山桜

   母が身元にかへり咲かなむ


これが置き手紙に書かれてあるのをご覧になった母様、返歌、


 散る花の 潔きをばめでつつも

   母のこころは 悲しかりけり


本当に、日本歴史は美しい…

息を呑むほど美しい…


ちょうど紅葉が散りゆくようです。紅葉の赤は悲しみの赤です。


 見れど飽かぬ いましし君が紅葉場の

   移りい行けば 悲しくもあるか