お疲れさま。 | 韓国人のだんなとの日々

韓国人のだんなとの日々

縁があって韓国人の彼と付き合いはじめました。
→気付いたら結婚してました(笑)
日記代わりにだんなとの日々を書こうと思います☆


10年7ヶ月。
という、長い時間闘病生活を送っていた
父が8/21の18:50に旅立ちました。

去年下半期から、在宅中、外出中問わず
酸素が必要になった父。
それでもまだ自力で動けるからと
散歩やらお出かけやらしてた。

今年に入り、抗がん剤が全く効かなくなり、
転移箇所も増え、
余命3ヶ月から半年と言われたと連絡がありました。

今年早々、私は出産したこともあり、
子供が3ヶ月たった4月ごろ
帰る予定にしてました。

孫が産まれる前から楽しみにしてくれていた父。


余命宣告されても10年という長い間
普通に生活してきたから、
まだまだ大丈夫と思ってたけど、
やっぱりどんどん悪化して行ってた。

コロナもあり、
4月の帰省を断念せざる得ない中、
いつ会わせてあげれるか💦

そー思ってはいても、
終息しないコロナ。

そんなとき、
家での生活が厳しくなったのか、
緩和ケアのホスピスに入院することに。

母が帰っておいでと言ってくれたおかげで、
友人宅に2週間待機でお世話になったあと、
実家へ。
それからは毎日、子を連れ病院へ。
15分しか面会はできないものの、
孫に会えるのが嬉しいようで、
寝たきりになるまで、毎日抱っこしてました。

7月に高熱に見舞われ、残り時間が少ないと
言われたのに、そこで家族みんな覚悟したのに、
また復活した父。
父の生命力の強さにはほんと驚かされっぱなし。

8月に入り、
祖母とビデオ通話したことで、
未練がなくなったのか、
そこからは一気に悪化し、
ほぼ一日中寝てるだけになりました。

最後の日もみんなでお見舞いに行くも、
寝てた父。
家に帰宅したら、病院から呼び出されました。

弟は県外在住だから病院に入れないから
ビデオ通話しました。


一生懸命息をしてたけど、
病院到着後30分で呼吸が止まりました。
その後15分心臓だけ動いて。


最後は眠ったまま旅立った父。
痛みも感じないまま、安らかな表情で
旅立ちました。


10年7ヶ月。
ほんとに、お疲れ様でした。

最後に孫に会わせてあげられてほんとによかった。

友人がこんな言葉を言ってくれました。

パンウリはこの時のために、
今私たちの元に来てくれたんかもしれんね。
と。

ほんとに、そうかも知れない。
最後に親孝行できたかな?

パンウリのお陰で、
疎遠になりつつあった、家族との仲も
回復し、父もほっとしたことでしょう。

バイバイ。またね。