キャッシュレス社会の推進 | 虎のブログ

キャッシュレス社会の推進

喪中につき新年の挨拶は控えます。

 
僕にとっては新年は会社の年度になるので、そっちの方で年始の豊富とか言葉の定義みたいなものをしちゃうからそこまで気が入っているわけではない西暦上での新年ですが、やっぱなんか新鮮な気持ちとともに元旦の朝を迎えました。。

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親族が集まると大変な数になって大騒動です。

一年に一回見るか見ないかの顔もあれば、日本での仕事が増えたこともあってよく見る顔もあり、でもこうして長期にわたって異なる環境に身を置くと違和感感じることだって多少出てきます。
逆にこちらの風習に触れてカナダに戻るとその後逆を感じることもあったして、、、
この二重生活って感情のコントロールが難しいです。
仕事においてはグローバルを唱えても、生活全体であるとかその根幹はローカルなんだと思います。僕のThink Globalは地域の生活者の根幹を覆すのではなく、違う考えや文化を一部導入することで、より良い状況(発展的な未来)を作ることを補完することにあります。
それでもこの地に根を置いて生活している人たちから見ると、出て行った人の人生がどれだけ現代の環境に順応した形であるとはいえ、受け入れ難いところもあるんだと思いました。
それを理解してもらおうとすればするほど、善悪を判断する物差しはそれぞれ違うので、溝は深くなっていく。なんでも正直に打ち明けるのではなく、口をつぐむこともまたコミュニケーションにおいては重要なんだと昨日は感じましたね。

でもこれは進化の過程で必ず起きる事で、なんでも大きく変わる時に起こる摩擦みたいなもので、必然であると言えます。
 
さて、昨年暮れは友人、知人の会社において様々な不祥事の話がやたら多かったです。
万人の経済環境をプラスに押し上げる高度成長期の経済成長ではなく、成熟化社会での好景気論というのは、その恩恵を得られない人たちにとっては悲劇で、対応できずに自助努力を諦めた人が暴挙に走ってしまうことは否めません。
これはどんなに倫理感を説いても、歴史上恒常的に是正されない問題というよりは必然と認識する必要があります。
 
その本質に蓋をして、倫理観だけを訴えかけて人を導こうとしても、多くの人の性根は「意志よりも環境の影響」を受けて、行動を促すというのが本能であるのでそれは大いにして不可抗力です。
僕は失敗からそのことを学びました。
 
不祥事を招いた経営者にとっては自業自得ですが、人を信じることで裏切られた時、失うのは金銭や物品だけでなく、人を信用する気持ちもそれ以上に失い、場合によっては鬱になる人もいます。
ある程度のドライさ(メンタリティ)がないとこの地位に居続けることは難しいと考えるのですが、そう考えることは逆にリスクを醸成すると認識してしまい、自分を虚像化してしまう傾向があるのは否めません。
様々ある経営倫理のグループに入ってありがたい言葉を拝聴しては、本人が本質を理解していないのにそうした言葉を並べて同意を得ようとするのです。

それがリスクの始まりです。
これらは全て自分が経験してきたこと(失敗)です。
 
そうして思いもよらない現実に直面した時、本質に覚醒して進歩に向かうか?
または、そのまま脱力して疲弊するかは本人のポテンシャルに委ねられます。
 以前もブログで書きましたが、人は意志よりも環境によって行動を促します。強い意志によってどんな状況からも環境を作り、そして行動できる人ってのはレア中のレアで、それ以外の殆どの人は環境により左右されます。
かといって人を信じることを全否定したら生きることの喜びをどこに感じればわからなくなるので、その気持ちは失わないように、だからこそあらゆる形で不正の起きない環境を作っていくことって重要であると考えます。

と考えたら、キャッシュレスを推進することには意義があります。不正の大半は現金窃盗だったので。
今、ちらほら始まったキャッシュレス店舗の出現、これは世界中でトレンドになっていくはずだからいずれはそうなっていくんですけど、日本は本当にキャッシュしか使えないところが多いです。
キャッシュは使うだけで喪失感が高く消費に悪影響なだけでなく、リスク管理に対しても膨大なコストを要します。それが実現するだけで多くの無駄が省かれ、より快適な社会が形成されるでしょう。
なんて言いながら自分の店でも使ってないのは、その手数料の高さと、利用に対する安全性と利便性が正しく啓蒙されてないことが原因となっています。
手数料の高さはダイレクトに利益を直撃します。
この未曾有のレッドオーシャン市場で三方善をかなえるには無駄なコストは削減したいところで、このカード導入に対する手数料コストは何かの思惑が働いているのかめちゃくちゃ高いです。

当然導入することで他のコストが下がるのでできなくはないかもしれないし、今日ではIT企業による決済サービス事業への参入でコストは減少傾向にあるので最低でも2%以内、もっと言えば1.5%以内であれば物理的には導入可能ではあります。
ですがこれも二つ目の理由でなかなか踏み切れません。高齢者だってスマホを使いこなす時代なのに、、、。(地方は特に現金主義ですから)

現金主義というだけで経営リスクは増大し、それ以上に信用できない環境を作るので心の豊かさまでも疲弊してしまいます。
また、ここから国内では不景気論が言われているので、先進的な仕事に従事してないことで時代のその波に飲まれた人たちが暴挙に出て人生を不意にする可能性だって出てくるでしょう。

このような安易な行動に出る環境がなければ(一般的な強奪も減少する)、人間は必然的に生きるために何か考えなければならなくなります。
それが少しでも多くの人にとって、働くことに目を向けて、新しい社会に適合して行くことができれば、何もしないでこのままを容認する社会よりはよっぽどいいと考えます。

そういううちも前述した通り膨大なコストとリスクを払って現金勘定しています。そこには明確な意志があっても、これだけは社会全体で動いて環境を作らないと実現しないので、指をくわえて見ているというのが現状なのです。