私はアメリカで大学を出て、そのまま現地で就職しました。
結局2年半勤めて帰国したのですが、仕事は激務で、周りからは散々、こんなひどい会社は見たことないと言われる始末でした。
月120時間以上の残業はすべてサービス残業、私は、購買部長、人事部長、経理部長、営業、通訳、翻訳、秘書業務をすべて兼任していました。
それでもいろいろ任されることにやりがいを感じたこともあって続けてきましたが、2度目に胃潰瘍になったとき、そろそろ退陣せねば、と思い、退職を決意しました。
20代前半の頃は、絶対に日本の社会では働けないと思っていましたが、祖父に会いに2年半ぶりに帰国した時、あ、今なら東京でやってみたいかも、という気持ちが起きたこともあって、思い切って退職と同時に帰国しました。
帰国して2週間で、母に話がある、と言われました。
離婚しようと思う、と。
私達姉妹3人は、いいんじゃない?お母さんの人生だから、自分の幸せのために生きたほうがいいよ、と言いました。本心でした。
弟は税理士試験を目前にしていたので、彼にはまだ言わないで欲しい、ということでした。
何日かたって、両親が私のいるその場で離婚話の続きを始めていました。
事務的なこれからどうするという話でした。
私は父に、どうしてお母さんがそうしたいか理由は知ってるの?と聞きました。
父は、「知らないけど、前から俺のことを避けてたみたいだったから、いつかその日が来るかなと思ってた。それでその日が来たんだと思った」と言いました。
理由は聞かなくていいの?なんとかできるかもしれないのに、理由も知らないまま、そうですか、それじゃあそうしましょうでいいの?お母さんもちゃんと説明しなくていいの?と言うと、
じゃあ何?と父。母は話し始めました。今まで言えずにきたこともすべて、洗いざらい話しました。
母もはっきり物を言う人ではありますが、少し被害妄想的というか、溜め込んでしまって、どうして私だけ、といった発想に陥りがちな人でもあるので、その場で母が全て話してくれて、私は正直ほっとしました。
母の幸せを願ってはいます。でもその時は私はまだわずかながら、もしかしたらまた皆で一緒に幸せに暮らせるかも、という期待も持っていました。
だから今までお互いに何も言わず・聞かずに来たのなら、これからはきちんと話し合える関係になれば、きっと変わるはず、きっとまだ修復できるはず、と思っていました。
父は、母がこれがこういう風に嫌だった、というたびに、「俺はそんなつもりじゃなかった」「そんな意味で言ったんじゃなかった」「お母さんの言ってることは正論だけど、正論をするのは難しいんだよ」を繰り返しました。
最終的に、「まぁ俺も自分の思うことを変えられない人だからな」と。
そっか・・・じゃあしょうがない・・・ね。
母にも悪いところがありました。母も自分の悪いところを棚にあげ、父を責めるのに、自分のことを責められると、私はこんなにやってきたのに、私が悪いっていうの?といったことを言うので、
それは違うでしょう、人を責めておいて自分の非は認めないなんて、と母に言いました。
今お互いが思ってることが分かったんだから、一度よく考えてみよう、と。
その夜、母が行方不明になりました。
父が出社すると、書置きがあり、「すべて私が悪かったです」と。
携帯も繋がらず、荷物もほとんど家に置いたままでした。
最悪のケースが頭をよぎりました。
前の夜に母にぶつけた言葉全てを後悔しました。
すぐに警察に行きましたが、着ている服なども分からないし、たとえ見つかったとしても、子供じゃないので本人が帰りたくないといえば無理に連れ戻すことはできない、といわれました。
でも早く見つけなければ、もしかしたら・・・