やっと落ち着きました。

母も仕事が見つかり、バリバリ・・・とはいかないまでも普通の生活ができるように。

今は祖母の家の近くで一人暮らしをしています。

私達姉妹3人も都内に移り、楽しく生活しています。

父は少し見ない間にずいぶん老け、生活感の全く感じられないキレイな3LDKで暮らしています。

弟は相変わらず。




心配なことはたくさんあるけど、とりあえず全ての場所で全ての人が病気になることなく生活できている。

当たり前のことだけど、こんなに有難いと思ったことはありません。




一連のことは、ほとんど誰にも話していないけど、数少ない話を聞いてくれた方々は、みんな真剣になってくれました。

私と会おうと思ってくれて、話を聞こうって思ってくれることはいまさらながら当たり前のことじゃないなと思いました。

その方々がいなかったら、多分もうとっくに普通の社会生活ができなくなっていたと思います。




もう今年も終わります。1年振り返ると、怒涛のように過ぎました。

つらくてつらくて、いつ終わるのかと思いました。

でも、人の温かみをこんなに感じた時もないと思います。




離婚はするべきじゃない、と言う人もいましたが、他の家族は分からないけど、

私にとってはこれは良かったんじゃないかと思います。

離婚をすれば、どんなに仲の悪い夫婦でも、崩壊しきった家庭でも、多分子供は多かれ少なかれ傷つく。

私もこんなにつらいこととは思ってもいませんでした。もう私も大人だし、二人の人生考えたら離婚したほうがいいんじゃない?と思っていたのに・・・




でもこのつらい経験は悪いことではなかった、と思います。

こうならなければ分からなかったことはたくさんあった。

当たり前にあることが当たり前にあるんじゃないっていうことを今になって痛感しています。

支えてくれた友達や妹たち、こうやって吐き出したくなってブログを書いたときに読んでくれた方々、全員に感謝です。







でもやっぱり、これは残しておきたくないので、数日中に全部消そうと思います。

終わったことは終わったこと。





振り返ることは時には必要だと思うけど、今は一度リセットしてまた新しい気持ちで進みたいので・・・





誰でもつらいことは避けて、楽しいことうれしいことを求めてしまうし、自分の大事な人にもそういうことだけ起こって欲しいと思うものだけど、

試練はあるべくしてあるべきところにあるんだなと思います。

渦中にいればなかなかそういうふうには思えないけど、

悪くみえることは必ずしも悪いことじゃない

とこれからは少し思えそうな気がします。





これを反動に、いままで滞ってたいろんなことをまた再開してみたい。

後悔ないようにもっとがんばりたい。

別々になった家族をちゃんと支えられるようになりたい。

と、意欲がモリモリです。





支えてくれた方々、本当にありがとう。











父の腰巾着みたいになった弟。

家も仕事も車も与えられて、社会にも揉まれず、次期社長だと息巻く。

新しい家族もできて、来年には赤ちゃんも産まれる。

順風満帆とはこのこと、みたいな顔して生きてる弟に、ちょっと怖い思いがします。



父は弟という味方がついたからか、それまでとは別人のようになりました。

今までは決して感情的になったり見境なく怒鳴ったりしなかったのに、

完全に自分は被害者、こんだけしてやったのに、あとはすべて母が悪いという態度があからさまに出るようになりました。


家が売れるまでは払うと約束していた母の給料も渋るようになり、

まだ学生な妹二人の生活費の支払いも嫌な顔をするようになりました。



母が結婚する時に嫁入り道具として、祖母が無理して持たせてくれた和ダンスと整理ダンスがあります。

母はそれを処分するのがどうしても嫌なようでした。

祖母は貧乏で苦労だらけの人生だったのに、ないお金をはたいて持たせてくれたものだから。

でも実家を売ってしまってはもう持っていけない…

私たち姉妹のマンションにも入らない。

父は、

俺の新しいマンションなら入るから俺んとこで預かってあげるのがベストなんだろうけど、お母さんが嫌がるだろうからなぁ…

と言っていました。


この期に及んでも私はその言葉を言葉通りに受け取りました。




結局、どこにも置き場所の見つからなかったタンスふた竿。


母は父に数ヶ月だけでも預かって欲しいと頼みました。



想像すれば分かったことだろうけど、

難癖つけて父は断りました。




妹が怒って、でも冷静に、

でも助けてあげたいって言ってたよねぇ?

と言うと

そんなこと言ってない、と。

言ってたじゃん、あの時こういう風に、と言うと、

あ、と思い出したようで

気が変わったんだよ!

と怒鳴り散らしたそうです。




明日26日は私たち姉妹の引越しなんですが、

母方の祖父の命日でもあります。

父は母方の祖母に電話して、

26日命日でしょ?お墓参り連れてってあげるよ、と言いました。

祖母はその日が私たちの引越しと分かっていたので、

行かない、と言いました。



その夜酔っ払って帰宅した父が、

miku、おばあちゃんをお墓参りに連れてってあげたいんだけどどうしたらいい?と聞かれました。

わかんないよ、行きたくないならしょうがないじゃん、
その日は引越しだから無理だけど、別の日なら私連れて行けるよ、と言いました。

でも命日だよ?連れてってあげなきゃ

だから私が別の日に連れて行くから、


のやりとりを何回か繰り返しました。


なんで執拗にその日にこだわるのか


行きたくないと言ってる人を無理矢理連れて行けないでしょう。


父は、


でもおばあちゃんはホントは行きたいんだよ!
おばあちゃんが望んでるのは、娘と娘の旦那と孫たちとみんなで行くことなんだよ!

と怒鳴るので、



じゃあそれが叶うの?それが今できたら誰かが幸せになるの?
おばあちゃんが今本当に望んでることはおばあちゃんにしかわかんないでしょう?

と思わず言ってしまいました。

はっきり言って、こうなったのはおばあちゃんのせいでも私たちのせいでもない、あなたが張本人でしょう、と思いました。

それをなぜ他人が犯した罪みたいな言い方をするのか。


おばあちゃんはうつ病で離婚してボロボロになった娘のそばにいるだけで、精神的にかなり参っているように私には見えました。


父と一緒に祖父の墓参りに行きたいとは到底思えませんでした。




父は止まりませんでした。



俺はおばあちゃんが望んでることは分かるんだ!
長い付き合いだし、今までずっと親子だったんだから!



…もう言葉が出ませんでした。



私だって同じ時間ずっと家族だけど…



だからお墓参り行きたいっておばあちゃんが望んでるんなら私が連れてくって言ってるでしょ!それでいいんでしょ!?


と怒鳴って、何かぶつくさ言ってる父を無視して部屋を出ました。


父に怒鳴ったのなんて生まれて初めて。


怒鳴られたのも初めてかもしれません。


その晩は父は明け方まで大音量で音楽を流していました…





その翌日、父の引越しが26日になったと聞きました。


それで分かりました。


要するに私たちの引越しを手伝うのが面倒だったのね、

だからおばあちゃんまで持ち出して何か予定を入れようとしたのね…





脱力感でした。







今晩が10年暮らしたこの家での最後の日。

父が頑張って働いてやっと建てたマイホーム。

いろいろこだわってカスタマイズした家。

ごくごく普通の幸せな家族だった私たち。

自分の部屋ができるーってはしゃいでいたなぁ。

カーテンもベッドもウキウキして選んで、

初めてのウォークインクローゼットもロフトも、外国の部屋みたいって思ったんだよなぁ。







新しいマンションは立地も広さも申し分ないんです。

便利で友達も近くにいるし、きっと楽しいと思う。


でもなんでかなぁ…



すごく寂しいです。





明日にならなければいいのにって思ってる。






無理だって分かってるのに、何か起こって今までのことがなかったことになんて

あるわけないね。



荷造りまだ終わってないから

きっと忙しくしてれば

忘れちゃうかな。





もう何なら信用できるか、自分では判断できない感じです。


いろいろ湧いてくる感情はとりあえず押し殺して


先に進むしかないんでしょうね。





iPhoneからの投稿
母がもともと、ヒステリックというか、被害妄想的というか、子供というか、

自分の思い通りにならないとすぐ、どうせ私なんて、とか、誰も私のことを分かってくれない、とふさいだりする人なので、

うちの中は今までも問題が絶えませんでした。

外から見たら、ごく一般的な仲のいい家族。

多くの時はそれに間違いはなかったんだけれども、問題が起きた時は大変でした。



母親をやめるからといって一切家事をしなくなったことも、

浮気したとかしないとかでもめたことも、



数え始めたらキリがないくらい。



そんなときはいつも私たち子供が、お母さんお母さんといって間に入って、事なきを得てきました。



ただ、なぜか両親は、弟にだけは一切のことを耳に入れようとしませんでした。

いつも渦中にいるのは私たち女の子3人。

弟はこの離婚問題まで、何一つ問題に関わらずにきました。

なぜだかは分からないけど。



だから弟がどんな考えを持っているのか、問題にどう対処するのか、家族のことを思っているのかいないのか、

聞いたことも相談したこともありませんでした。





弟は今、父の擁護に余念がないというか、10対0で父が正しい、母と私達が間違っている、と思っているようです。

直接聞いたわけではないけど、弟いわく、




あの人(母)が一人で頭おかしくなって、うつになって、離婚とか騒ぎ出して、

それに巻き込まれて金まで取られている父がかわいそう、

なんだそうです。





もうなんと言っていいのか分かりません。




うつになったのには原因がある。

病気の母親に向かっていう言葉か。

父のほうから、財産の共有の話は出て、母は一度も父にお金を要求していない。




言いたいことは山ほどあるけど、どれも伝わる感じがしません。






母が悪くなかったとは言いません。

父が一方的に悪いとも思っていません。

そもそも、どちらが良くてどちらが悪いなんて、子供の口出すことではないと思っています。





弟とは最近話すたびに、わけの分からないキレ方をされます。

なんでもことなのに、突然怒鳴りだす。

どうしてこうなっちゃったんだろう、と毎日考えています。




弟は今年結婚して家を出てしまっているということもあるので、

やはりこの離婚問題で出てきた問題のアフターケアは私達。




夫婦で決めてくれればいい問題でも、

二人が私達を間に入れて話そうとするから、

両方に気を使いつつ、母のいなくなった家で仕事しながら家事もしつつ、

そのうち病気になってご飯も食べられなくなっても、

必死で支えてきたのはやっぱり私達。




これをやったから見返りをくれって言いたいわけではないけど、

責められるようなことはしていないって、それだけは言えるのに、

なんでこんなに悪者にされなきゃいけないのか、

実の弟にここまで嫌われなきゃいけないのか、




考えると悲しくなってきます。




私は今でも弟は大好きだし、

来年には姪か甥も産まれるってワクワクしてたのに、







もう弟は私達のことは、敵にしか見えないようです。

少しずつ全てが良くなってきたように見えました。

もうブログも書く必要ないかな、と思って。



そろそろ全部消そうと思っていました。

だってなんか人の悪口書いているみたいで嫌。

その人がこのブログを見ることは100%なくても、陰でコソコソ言ってるみたいで嫌だったから・・・






そしてぱーっと明るいブログにしたいな、なんてのんきなことを考えていました。








思えば、物心ついたころから、父が苦手でした。

子供の頃から、父が遊んでくれたり、かわいがってくれたような記憶はあまりなくて、

でも物をくれたり、お菓子をくれたり、その代わりに○○してよ、ということはよくありました。



一番古くて覚えているのは、多分3歳くらいの頃。

家の2階で、父方の祖父母が来ていました。

父が私の両手を持って、自分の足の間をブランコみたいにぶらーんとして遊んでくれたんです。

普段はそんなことしてくれないけど、その日はやけにテンションが高いなぁって子供ながらに思っていたのを覚えています。

でも力が強すぎて、腕が痛くて、やめてほしかった。

普段そんなことしてくれないのに、なんで?痛くてやめて欲しいけど、楽しいフリしたほうがいいのかな?って

我慢しました。

我慢してお父さんに遊んでもらってうれしい子供を演じました。



何がといわれると、分からない。でもなんか苦手。なんかおかしい。そんな感じでした。

思春期になるとお父さんが嫌っていう女の子よくいるけど、私はそんな起伏はありませんでした。

もう小学生に上がったくらいからは、ほとんど会話もなかったように思います。





でもそれはいけないことだとずっと思っていました。だからそんな違和感も誰にも、もちろん家族にも相談したことはありませんでした。





ここ数年、数ヶ月、数週間で、父の顔も見たくないほど嫌になったけど、

それは長年蓄積されてきたものが表面化してきただけと言えばそうです。

程度の差こそあれ、根底にはずっとそれがあったんだと思います。







こんな離婚問題やそれに付随していろんな問題が起こって、

いまさらながらに分かったことは、




そんな風に思ってきた父でも、やっぱり父親なんだってこと。

今まで育ててくれたから、とかそういうことがあってもなくても、

親であることに変わりはないんだってこと。



話しかけてくれたら嬉しいし、

子供たちのことが心配なんだよと言われたら、本当でも本当でなくても嬉しい。



本当に嫌いなら、多分その人のことで悩んだりもしないはず。



愛情があるからこそ、いろんな感情が湧いてくる。



初めて、お父さんに対してこんなに愛情があるってことに気がつきました。




遅いよね。28歳で。





こんなにことになってよかったなんていえないけど、


だからこそ気付いたことがあった。





悲しいことも辛いこともたくさんあった数ヶ月だったけど、


でもみんながバラバラになる前に気付けてよかった。





そう思っていました。




ここ数日間は体調もよく、ご飯も少しずつ食べられるようになってきていたし、


父親とも世間話したりするようになって、


家族っていいな、と改めて思う日々でした。














だけど父のほうは、そうじゃないみたいでした。



誕生日からの数日間は、自分がどうやって過ごしていたのか、思い出せません。



ちゃんと仕事に行ったのか、

家事はしたのか、

誰かと何か話したのか、

眠れたのか、眠れなかったのか、

あっという間だったのか、ノロノロ過ぎていったのか・・・




本当に何も思い出せません。




言われれば、あぁそういえばそこにいたねぇ、ということもあるにはあるけど、

すっぽり数日間の記憶がないような感じです。




それから母にも何度か会ってはいますが、

どんな顔してたのか、

悲しそうだったか、元気そうだったか、

何を話したのか・・・




1週間たってやっと、我に返ったという感じです。




気付いたら、妹たちと住むアパートは決まっていて、

契約も済んでいて、

何もかも流れるようにスムーズに決まっていきます。





アメリカから元同僚が研修のために帰ってきていて、ご飯食べ行きましょうよ~って言われて、

明日食事に行きます。

あさっては友達の誕生日会だし、

しあさってはずっと会っていなかった幼馴染と会う。




私がぼーっとしていても、

何も待ってはくれない感じです。




母は調理師の専門学校に通うと言っていて、

少し前向きになってきたように見えます。




父もだんだん気持ちが外に向いてきたようで、

家具やら何やらを揃えるのが楽しそうです。



多分、父は誰か気にかける人がいるんでしょう。

予防線のようなことを時々口にします。

俺だって、いい人ができるかもしれないし、とか

やっぱり一人になったら、友達とか彼女とか欲しいし、とか。



末っ子の妹は、学校まで片道120円になる!とはしゃいでいます。






大好きなグランドピアノは、やっぱり持っていけないので売ることにしました。

音がすごく良くて、すごく気に入ってて

疲れたり、ストレスが溜まったときはいつも弾いてたピアノ。

いいやつだから、きっとそれなりの値段で売れるでしょう。






今日はぼーっとしていたら、会社帰りにバスを2駅も乗り過ごしてしまいました。

パンプスで歩くのは大変なのにな、と思いつつ、とぼとぼ帰ると、

家には誰もいませんでした。






なんだか、私だけがこの変化についていけていないような気がしています。





新しい家は、今よりずっと通勤しやすくなるし、

ちょっと予算オーバーだけど広いし、

お父さんもお母さんも、それぞれの人生を楽しもうと頑張ってる。

妹たちもウキウキしているし、

弟もほっとしている様子。





きっともうちょっと時間が必要なんだと思います。

でもきっと受け入れられると思う。





人生は人のためにあるんじゃないから、

自分のために精一杯生きればいいと思います。

親が子供のため、と思ってくれるのは嬉しいけど、

自分の人生を犠牲にしてまで守ってくれていると、

きっと重荷になってしまいます。

言い訳もしてしまうと思います。





賛否はいろいろあるだろうけど、

紆余曲折あってのこの結果だから、

受け入れるしかないし、

この選択肢の中でできることを探していかなきゃ。




少し休憩したら、また両親のことを応援したい。

別々にだけど。

こうなって良かったじゃん、と言えるようになりたい。






だけどそれにはもうちょっと時間が必要な気がします・・・

母のことだから、泣いてるんだろうな、と思いました。


感情だけで突っ走ってしまう人だけど、家族に対する愛情は人一倍ある人なので。


だからこそ、少し落ち着いて考えて欲しいとも思いました。




弟からの電話を切ると、今度は一番下の妹から電話が来ました。


事情を説明すると、「はぁ・・・」と一言ため息をついて、


もう無理だよ・・・と言いました。もう何回目なの・・・と。




妹からの電話を切って、一人で考えていました。




どうしたらいいんだ。


何が正解なんだろう。




そうしているとまた電話が。





母からでした。





とても母に優しい言葉をかけてあげられるような精神状態じゃなかったので、


出るのをやめようかとも思いましたが、


きっと何か言いたいことがあるんだろうと思い、取りました。





「あ、mikuちゃん?いろいろごめんねー!なんかさぁ、家に帰っていろいろ考えたらさぁ、


mikuちゃんがこのカーテン趣味悪いとか言ったのとか思い出してさぁ、なんだかもう一回やれるかなって気に


なっちゃったのねー。でもやっぱりお父さんと二人になることを考えたら無理だからさぁ、


やっぱり決めた通りでいいから~。変なこと言って混乱させちゃってごめんね~。


お誕生日なのに嫌な思いさせてごめんね~!」





本当は悩んで悩んで、泣いて泣いて、子供達と一緒に住みたいという思いで胸がいっぱいのくせに、


明るく何もなかったかのように、思いつきで言っちゃった~ごめーん!と言う母の言葉に


胸がつまって何も言えませんでした。





電話を切ったら、


今まで行き場がなかった思いが、うわーっと溢れてきて、


号泣してしまいました。








誰も愛情がないわけじゃない。


バラバラを望んでるわけじゃない。




ちゃんとみんな、お互いを愛していて、お互いの幸せを望んでいて、


だから悩んだり無理したり、わざと明るくふるまったりするんだ。




弟だって、お父さんだって、お母さんだって・・・










気付いたら子供みたいに、しゃくりあげて泣いていました。


こんなに泣いたのはいつぶりだろう?





あ、おじいちゃんが死んだ時以来だ。





と、思ったら、今日はおじいちゃんの命日でした。


ちょうど1年前のちょうど同じ時間も、同じようにして泣いてたなぁ。









一番下の妹が帰ってくるところでした。





だから泣きやまなきゃ、と思いました。


私が泣いていたら、また心配をかける。


また余計な気を使わせる。







少し前に、ある友人から、


末っ子は末っ子の顔をしなきゃいけないときがある、と言われたことがあり、


いつも子供っぽくてふざけてばっかりの末の妹を思い出して、


はっとしたことがありました。






末っ子には末っ子の役割があるなら、


長女には長女の役割があるはずだと思いました。


だから私が泣いてちゃいけない。しっかりしなきゃ。






だけど今日ばっかりはどうやっても止まってくれませんでした。





そうしてるとその末の妹からまた電話が。


もうすぐ帰るよ、という電話でした。


いつもはそんな電話してこないのに・・・




努めて明るく電話に出たつもりでした。


でも、「泣いてるの?」と・・・


やっぱり分かるよね・・・




妹はわざと明るく、


も~なんで泣いてるの~!しょうがないなぁ、じゃあ私の写メ送ってあげるから~


と言って、変な顔の写真を送ってくれました。




末っ子の顔・・・




この子だってつらいはずなのに、バカなふりして笑わせてくれる。


私はちっともおねえちゃんの役割を果たせてない・・・


ごめんね・・・







みんな愛情がたくさんある。


優しい思いやりのある素敵な家族。






どうしてそんなこと、今気付くんだろう。


もう戻れないのに。






本当は、


子供みたいに駄々こねて、


お父さんお母さん行かないで!って言いたいんだと思う。


みんなで住んだこの家が誰かのものになっちゃうのが嫌なんだと思う。







だけどもうそれはできない。





こんなにいい家族なのにどうして。










それまではつらくても、家族以外の人に頼るのを避けてきました。


多分、説明しても分かってもらえないと思ったし、


こんな重いテーマ、聞くほうも大変だと思ったので。





でも今回は無理でした。


どう説明したらいいかも分からないまま、すがるような思いでした。


次の日は28歳の誕生日でしたが、一日中泣いていたような・・・


腫れぼったい目で会社に行き、仕事中もずっと泣きそうになるのをこらえ、


終わったらお好み焼き屋さんのカウンターでまた・・・





答えが欲しいわけではなかったけど、誰かに聞いて欲しいわけでもなかったけど、


理解して欲しいわけでもなかったけど、


でもちょっとだけ一瞬だけ誰かに寄りかかれたら・・・という気持ちでした。


いろんなことが決定して、少し元気になりました。


まだご飯は食べられないものの、少し人と話せる気分になってきました。


それまでは誰かといても、友達と電話をしても、無理していつもどおりを装ってきましたが、


その話し合いからはそれも少しだけ良くなった気がしました。


妹たちと住む家を探すことが楽しくて・・・




ちょっとだけ、本当にこれでいいのかな、という気持ちもありました。


離婚なんて円満にできるわけはないけれど、でもみんながもう限界で、バラバラになる形で家族が離れていいのかな。


大変なことから逃げるような形でいいのかな、と。


家族なのに。




でもそんなこと、口にしてしまえば、また皆を巻き込むことになる・・・




話し合いから2日経った夜、会社から帰宅すると、父がもう帰っていました。


その日は妹の誕生日であり、私の誕生日の前日だったので、


テーブルの上には母が作ってくれた料理がたくさん並んでいました。


Nちゃん、mikuちゃん、お誕生日おめでとう♪と母からのメモが残っていました。




おじいちゃんの命日でもあったので、そのお料理を仏壇に置いて、お線香をたいて、


それから食べ始めました。





父が、


「疲れてるとこ悪いんだけど、話があるんだ」と言ってきました。




なんだろう、と思いました。


全て決まったのに、何かまだ?


きょとんとしていたと思います。




祖父の命日なので、父は弟を連れてお墓参りに行き、その後自分のその後の生活のための家具等を物色しに行っていたようなのですが、


突然母から電話があり、


今家にいるから帰って来て欲しい、といわれました。




二人が帰ると、母から



「やっぱりやり直したい」




と。





7月の終わりに弟が結婚して出て行ったあと、母が弟の部屋を使うことになりました。


初めて自分だけの部屋ができたことで、母はウキウキしていました。


カーテンやら何やら、いろいろと新しいものを買っては、取り付けていました。


買ってきた新品のカーテンは、一方がオレンジ、もう一方がピンクの花柄・・・


かわいいでしょう~♪と言う母に、


うわっ、どんなセンスしてんの!とバカにしました。




家に帰ってきて、ぼーっとその部屋にいたら、


私にそうやってからかわれたことを思い出して


あぁこの家には思い出がいっぱいあるなぁ・・・


と感極まったようで、




やっぱりやり直せるかも




と思ったんだそうです。








父はそうは言われたものの、本当にどうするべきなのか判断つかず、


私に意見を求めてきました。





私は正直、いらっとしました。


そしてなんとも言えない脱力感がありました。


これだけいろんなことがあって、みんな悩んで傷ついて、ぼろぼろになってやっと決まったことなのに、


また今度はそれを覆す。


こんなことを続けてたら、全員病気になってしまう・・・


やっとほんの一部開放されたのに・・・


やっとほんのちょっとだけ方向性が見えたのに・・・





母の気持ちが分からないわけじゃない。


私だってまた家族全員でやり直せるならそれがベストだと思ってる。


でもそれができないからこんなに何年もかけてこの結論に至ったんでしょう。


だから今こんな大事なことを決めるなって言ったのに・・・!





そんな思いでした。


もういい加減にしてくれ。


思ってることはもう全て言ったから、あとは夫婦で決めてくれればいい。


そう父に言いました。


どっちでも私はかまわない。もしまた戻って、私が無理になるなら出て行くからいい。




父も困っていました。


俺だってどうしたらいいか分かんないんだよ・・・


本当に迷っているようでした。




父はしばらく考えて、


やっぱり決めたとおりにしよう、といいました。


それでいい?と聞くので、


私はそれでいい、けど他の人は分からないから聞いてくれ、と言いました。


半ば投げ捨てるように話を終えたような気がします。







弟はそういった母の感情論に左右されることをすごく嫌うし、


よく言えばプラクティカル、悪く言えば損得勘定が先立つ人なので、


きっとすごく怒っていただろうな、と思いました。




父に聞くと、


「まぁ、いい加減にしてくれと思ったとは言ってたけど、目の前で弱りきってる母親を見たら何も言えなかったって言っていたよ」


と言いました。




弟から、ありがとうとか、ごめんなさいとか、~してくれる?とかそういう人をねぎらうような言葉を一切聞いたことがないので、


「弱ってる母親を見て何も言えない」なんて本当に弟の言葉?と耳を疑いました。


成長したなぁとか場違いなことを考えていたように思います。





でもとにかく、私はイライラする気持ちを抑えられませんでした。


いつものこと、とは片付けられませんでした。


本当にバラバラだ、と思いました。





しばらくすると、弟から着信が。


出ると、「聞いた?」と。


聞いたよ、とだけ言いました。




俺、それはないでしょと思ったけどさ、すごい弱ってて、何も言えなかったよ、と弟。


あぁ本当に、この子がそう言ったんだ、なんだか信じられない、と思いました。


mikuどうしたらいいと思う?と弟にも聞かれました。


俺入院させたほうがいいかなとも思ってるんだけど・・・と弟。


話がまた別の方向に行きかけてる・・・という気もしましたが、弟が本当に母を心配しているのが伝わってきました。






あぁちゃんと考えてくれてるんだ。


この子にも家族に対してちゃんと愛情があるんだ。


と、このとき初めて実感として感じました。

時間がたてばたつほど、家族がバラバラになっていくのが目に見えて分かりました。


仲良しな妹たちとの間にも、お互い地雷を踏まないよう、なるべく笑顔でいるよう、気を使った空気が流れていました。


誰が何を言っても、どんな些細なタイミングでも、いつ誰が次に具合が悪くなってもおかしくない。


3年も4年も続いたんだから、当然といえば当然。




祖母の家に緊急避難しろといわれた私は、泣きながら嫌だと言いはりました。


唯一笑っていられるのは、妹たちとふざけあってるときなのに、それを取り上げないでくれ、と。


子供みたいだなぁと思いました。


でも強制的に荷物をまとめられ、家を出させられました。


もはや私の判断のどこまでが正常なのか、自分でももう分からなかったので、言われるがまま、祖母のマンションで生活することにしました。




でもやっぱり体調は悪くなる一方。


私が出てって、お父さんはどう思ってる?傷ついてない?そればっかり考えていました。


一緒にいると顔も合わせたくないのに、一緒にいなくなると気になるんだー、と他人事のように思いました。




数日たって、やはり父から、


「もう限界だからはっきりさせよう」と母に言ってきました。


母も了承して、話し合いを持つことになりました。




私は反対しました。


母はまだうつが全く治っていないので、そんな状態でこんな大事な話をしても、


絶対に迷いが出るし、新しい生活に前向きに向かっていけないと思いました。


精神科の先生も今はまだダメだと言っていたし・・・




でも話し合いは行われました。




離婚は決定。


実家は売却。


私達姉妹3人は、どちらかにつく格好はしたくないので、3人で住むことに。




母以外は賛同しました。




今まですべて子供中心で生きてきた母にとって、私達と離れて住むことは耐え難いようでした。


私は子供たちと住みたい、とはっきりは言わなかったものの、見ればすぐ分かります。




でも・・・


やっぱり母を取れば父を選ばないことになる。


父を取れば母を選ばないことになる。


どっちかなんてできませんでした。




共依存になってしまう気もしました。




何より、もう精神的にこれ以上の負担は負えないとも思いました。


とりあえず一度離れなきゃ、共倒れになってしまう。


というのが正直なところです。




母は納得はしていないようでしたが、それ以外の選択肢がないことも分かっていました。


だから、それでいいよ、と言って話し合いは終了しました。




今までみたいに母が泣き叫んだり、出て行ったり、


誰かが怒鳴ったり、


具合が悪くなったり、


そういう話し合いじゃなくて、


建設的な淡々とした話し合いでした。




そんなこと、初めてでした。




話し合いが終わると、自分の家なのに、家族に「じゃあかえるから」と言って


また祖母の家へ。





なんとなく、これで終わらないような、煮え切らないような、変なもやもやが残りました。





祖母の家に着くと、母が


「もう一度やり直せないと思ってる自分のこの判断が、本当に正しいのかどうかが分からない」と言いました。


そりゃそうだ。うつなんだもん。今自分が正常な判断してるかどうか、判断つくわけない。


と思っても、目の前には弱りきった母。


でも現実を見れば、今日決めたこと以外の選択肢はないだろうし。




その時なんて声をかけたのか、思い出せません。


もう自分のことで手一杯でした。


こうやって母とまともに話す精神状態を保つだけで、それ以上のことはできませんでした。





たくさんある悩み事のうち、とりあえず向かう方向はわかった。


それだけですごく気持ちが楽になりました。


合ってるか間違ってるかは分からない。母の気持ちも分かる。


でも決まったことに向かって行けばいいと思えば、まるで先が見ないより遥かにマシでした。







とにかく疲れた。早く休みたい。


それだけでした。

いつのまにか母は出ていき、弟も結婚して出て行きました。


父と姉妹3人との生活が始まりました。


6人の仲の良かった家族は、4人になり、会話もほとんどありませんでした。


妹たちとふざけたりさわいだりすることが唯一気がまぎれる時間でした。





ある日、父に突然嫌味を言われました。


私のお弁当の作り方が悪い、と。


私は節約のために毎日お弁当を作って会社に持ってっているのですが、(父はいらないというので自分のだけ)


朝は苦手なので夜作って冷蔵庫に入れておく、ということをしています。


お弁当を作っている私を見て、それってどうなの、と。


お母さんはそんなことしなかったけどね、食べるときもう腐ってるんじゃないの?等々


私が私のためだけに作って、おいしく食べられてるんだからいいでしょ?って言っても


「俺はお前のことを心配して言ってるんだ」


・・・またいつもの・・・


なんでこんなこといわれなきゃいけないの・・・会社行きながら家事もやってるのに・・・


なんだかその頃には、笑顔を作っている薄い表皮の下に、真っ黒いものが影みたいにあるような、


そういうものと対峙しているような気分になっていました。





そんな些細なことから、張り詰めていたものがぷっつり切れてしまった感じがしました。





それから胃がきゅーっと痛む日々が続きました。


だんだんご飯が食べられなくなりました。父と顔を合わす日は余計に。


2週間で4キロ体重が落ちました。


今も通院しているし、胃潰瘍の薬を飲んでやっとおにぎり1個食べられるくらい。





おかしいと思いました。


実の父親に会うと具合が悪くなるなんて。


今まで育ててくれた父親のことを嫌いになるなんて。


実親のことが嫌いなんて、いけないことだと思いました。


いいところもあるはず。まだ私たちのことを娘として愛してくれているはず。家族を修復しようと思ってくれているはず。


そう思えば思うほど、心身共に疲労が積もりました。


諦めてしまうほうがどれだけラクか。


でも心のどこかでやっぱり・・・という気持ちがありました。


でも顔を合わすと、会話をすると、どうしても真正面で向き合えない。


そういう自分に嫌悪感も覚えました。






私はスポーツが好きで、よくジョギングとかヨガとかをやってるんですが、


ある日走りに行こうとしていると、父が話しかけてきました。


俺も行こうかな。


どういう風の吹き回し?


でも断る理由もなく、じゃあ行こう、と言って二人でジョギングに行きました。


一緒にといっても、お互いペースも違うので、スタートとゴールだけが一緒。


ジョギングが終わって、帰宅して、もう夜10時過ぎていましたが、あぁ洗濯しなきゃと思って夜から洗濯をしていると、


鼻歌混じりですごくゴキゲンな自分に気付きました。


あれ?なんかいいことあったんだっけ??




その時、


あ、私うれしいんだ、


お父さんが私とかかわりを持とうとしてくれたことが、うれしいと思ってるんだ、


ということに気付きました。


まだ私のこと、娘と思ってくれてるんだ、どうにかしたいって思ってくれてるのかもしれない、って思って


うれしくなっている自分がちょっと滑稽なような、最近感じたことがないような、


変な気分になりました。





もしかしたら本当に心底嫌いなわけではないのかも。


私もまだ父親って思っているのかも。





でもそう思うと、余計に分からなくなってきした。




母がうつになり、家を出て行って1ヶ月以上たってから、



「で、うつってなんなの?」



という父親を許すことができない自分。




でも父親だから、やっぱりいろんなことを捨てきれない自分。


諦めきれない自分。




整理がつかなくなってきて、体はますます弱っていきました。




弱りきっていた私を心配した母親、妹たちに、「とりあえずこの家を出なさい」と、


強制的に実家を出させられました。


祖母のマンションでしばらく生活しなさい、と。





母が出ていって、今度は私まで・・・





こんなことしたらお父さんも精神的に追い詰められるよ・・・


だけどもうそんなことを言っていられる状態ではありませんでした。


倒れてしまう。みんなに迷惑をかけてしまう。







もうみんな限界でした。