笠谷幸生さんが、4月23日に虚血性心疾患のため亡くなられました。80歳でした。

 

笠谷さんのいえば、スキージャンプでかずかずの活躍をされた方です。なかでも国民に強烈な印象を残されたことがありました。

 

1972年、札幌冬季五輪70m級でした。笠谷さんは初回の最長不倒を生かして、第1位で逃げ切ることができました。しかも、他の日本人2選手と、表彰台独占もあり得るかというプレッシャーの中で、それをやり遂げました。

笠谷さんの似顔絵を描こうとしました。写真が小さいので、似るはずはありません。雰囲気だけでも出しました。気合いで宙に体を乗り出したところでしょうか。口を大きく開いています。

 

1964年の東京オリンピックを経験した私は、放送の中で、日本人選手が活躍するシーンは、日本人選手を応援し、日本人であることが誇らしく思えました。

 

それが、札幌冬季オリンピックの中では、1競技の中で、複数の日本人選手が活躍し、表彰台独占をしました。金銀銅メダルの独占です。頼もしい選手の皆さんでした。

金メダル 笠谷幸生さん

銀メダル 金野昭次さん 

銅メダル 青地清二さん

のお三人です。

 

なつかしく思いだしていましたら、金野昭次さん、青地清二さんのお二人は、既に亡くなっていらしたのですね。

 

「日の丸飛行隊」と初めて言われた笠谷さん、金野さん、青地さんが、全員あの世の人となってしまいました。寂しいですね。

 

笠谷さんのご冥福をお祈りします。