10月6日の夜から、亡き母の50日祭を行うために伊勢市に帰省しました。その間の出来事をいくつか書こうと思います。

 

それぞれの日の主目的は、次の通りです。

10/7 母の銀行通帳を解約するのに必要な書類を、伊勢市、松阪市の市役所に集めに行き、銀行へ持っていく予定。

10/8 50日祭前日の、墓の掃除、実家の掃除

10/9 50日祭、納骨

 

【その1 伊勢おおまつり】

たまたま10月8日(土)、9日(日)が、「伊勢おおまつり」でした。今年は3年ぶりに開催されたということです。しかしながら、まだコロナ感染が危ぶまれ、次のような制約がありました。

※令和4年度の伊勢まつりは、新型コロナ感染症拡大防止の観点から、パレードとイベント広場での演目披露のみ開催されます。露店や展示ブース、手筒花火は行われませんので、ご了承ください。

私の過去の記憶では、伊勢市街地のメインストリート、旧国道23号線、現在の県道37号線が、歩行者天国状態になり、人が一杯いたように思うんですが……(かなり過去の記憶ですから信憑性が……)

 

でもね、そこにステージがあり、なんと、“一節太郎”さんが、

♫逃げた女房にゃ未練は無いが お乳欲しがる この子が可愛い 子守歌など苦手な俺だが、馬鹿な男の浪花節……♫

と、歌っていたんですから。すげ~、昔の話じゃん。でも、当時、けっこう人が集まっていましたよ。

 

せっかく自動車の走行を遮断したのですがね。

 

 

パレードがひっきりなしにあるでもなし。イベントがあちこちであるわけでもなし。

 

人がいない歩行者天国のようです。

 

 

車道を歩いていましたら、そこから見えた歩道に、意外な物を発見しました。石碑があったので、通常発見すると見に行く習慣がありますので、今回も行きました。これがありました。

「山田三方(やまださんぽう)」といいますのは、室町時代に自治都市として発展した伊勢の山田の自治機関であったらしいです。その「会合所」がここにあったらしいです。

 

山田三方による自治の行われていた「山田」(外宮と中心とする地域)は、しばしば、「宇治」(内宮を中心とする地域)や、国司北畠氏と対立したそうです。その対応なども、きっとここで話し合われたのじゃないでしょうか。

 

さあ、話を元に戻しましょう。わずかに見られた“祭らしい風景”の写真を撮りました。

 

和太鼓演奏です。しかし、観客の数が……

 

上の写真とは違う和太鼓演奏のグループです。

 

 

この後ろの方で旗を振り続けたおじさん、終了後、当然のことながら、とてもえらそう(疲れているよう)でした。ご苦労様でした。

 

動画もアップしておきますね。

 

似顔絵

似顔絵がなくてさみしいので、意味も無く、過去の似顔絵から、可愛く見える似顔絵を再アップしました。

キラキラ河合奈保子

このヘアースタイルから想像しますと、18歳頃じゃないでしょうか。