3月21日(木)から23日(土)まで、実家のある伊勢に帰りました。表向きの目的は、
1 彼岸の墓参り
2 叔父、叔母の三回忌
の二つです。でも、個人的には、これ以外に
3 外宮参拝(今年はまだ内宮参拝しか行っていません)
4 古墳見学
5 「豚捨」でコロッケを食べる
6 春探し
も、目的です。
見てきたことを小出しに話を展開したいと思います。今回は「その③」です。
3月21日の帰省の道すがら、1箇所だけ立ち寄ったところがあります。「向山(むかいやま)古墳」です。松阪市にあります。
何故、そこに立ち寄ろうと思ったかといいますと、切っ掛けは、宝塚古墳を見学に行ったときにさかのぼります。
参考 https://ameblo.jp/miksssa6353/entry-12410600600.html
そこで、松阪市の古墳を示した略地図が説明板の中に表記してありました。そこには、宝塚古墳(古墳時代中期の5世紀初頭)より古くて、けっこう大きな古墳が表記してありました。しかも、宝塚古墳1号墳が前方後円墳であるのに対して、前方後方墳でした。わたしは、前方後方墳の形を知っていても、実際に見たことがないように思います。そこで、その後、見に行きたいと思っていたのです。その古墳が向山古墳なのです。
伊勢自動車道の「一志嬉野インター」を降り、近くの三重県道58号線、松坂一志線を伊勢自動車道の「松坂インター」方面に向かって走ります。中村川を渡ってからの丘陵地上にあります。伊勢自動車道の「嬉野パーキング」があるのと同じ丘陵地にあり、パーキングの東700mに位置します。
向山古墳の近くまではすぐに行き着きました。ところが、周辺の道路から、古墳になかなか近づけないのです。
古墳への案内板が周囲の道路を回ってもありません。地図を見ても進入路が表記されていません。しかも、丘陵地の上は、木と草におおわれています。
車から降り、丘陵の麓を歩きました。それらしい道がありません。古墳北側の嬉野保育園の辺りに住宅地があり、散歩をしていた年配の方に古墳への進入路を尋ねました。
上のgoogleマップの、道路上の「松坂一志線」表記の「松」の字の辺りに進入路がありました。その入口は、こんなふうです。
道を尋ねた人が言うには、
「軽自動車ぐらいじゃないと、車を傷つける可能性がある。」
とのことでした。
進入路の入口から、少し道路を南に行ったところに「北斗山向山院」へ上る階段があります。その階段の登り口に2台程駐車できるスペースがあったので、そこに駐車させて貰いました。
進入路から入り、200m程歩いて、やっと到着しました。
案内板を見ますと、確かに前方後方墳です。4世紀後半の古墳ということで、確かに宝塚古墳より古いです。墳長は71.4mで、宝塚古墳の1号墳の111mには劣りますが、この辺りの古墳としては大きい方です。
ところで、案内板を見ますと、「嬉野町」「松阪市」が別のもののようにうつります。実は、ここは平成の大合併以前は、異なる行政区域でした。嬉野町でした。それが合併により、現在は松阪市になりました。
ところが、この案内板以外、古墳の範囲が分かるようなものが全くないのです。だって、周辺部は木と草におおわれているんですから。
そういう次第で、勝手に想像することにしました。実際と異なっていましたらごめんなさい。
ウィキペディアによりますと、
全長82.2m(案内板と違う‥‥‥?)
前方部長35.4m
同幅36.4m
同高5.6m
後方部長東西46m
南北40m
同高6m
前方部高さ5.6m、後方部高さ6mということなので、こう想像しました。
下の写真は、前方部から、後方部を眺めたところとします。
先ほどのところを側面から眺めます。
左側3分の1が前方部(さらに左に行くと、先の写真を撮った場所)、右側が後方部ということにします。
さらに、後ろに場所を移して撮りました。ただし、道が少しカーブしていましたので、左側が写真に撮りづらくなりました。
さあ、想像が合っているかどうか知りませんが、とにかく現地まで行き着きました。今までは、公園や神社にある古墳が中心でしたので、見つけやすかったですが、今回は苦労しました。それに、草でおおわれた道を歩いたり(まだ、蛇は出ないだろうけど‥‥‥)、変な人に出会ったら助けを呼べず困るようなところだし‥‥‥。