11月24日(土)、鈴鹿・亀山方面に行きました。目的地は3つありました。思いがけず1箇所立ち寄ったところもあります。小出しにブログを展開したいと思います。その3です。

 

鈴鹿川河川緑地の上空を、熱気球グランプリ出場のバルーンが通過し、フェスティバル会場の出店の雰囲気を見終わると、まだ朝の9時前。はうばる鈴鹿まで来て、これで帰宅はもったいない。さっそく、第2の目的地を目指すことにしました。

 

第2の目的地の位置はこうです。鈴鹿川河川緑地の会場は、鈴鹿川右岸ですが、そこから少し下流の左岸にある河岸段丘(?)上です。

 

白鳥塚古墳6

 

落ち着いた雰囲気の神社です。鳥居前ではなく、正面奥の本殿前の狛犬を撮影しました。

 

白鳥塚古墳9

 

白鳥塚古墳10

 

比較的新しそうですが、しっかりとした造りです。

 

ここは加佐登神社と言います。

 

白鳥塚古墳7

 

白鳥塚古墳8

 

日本武尊(やまとたけるのみこと)を主祭神とした神社です。そうするためのしっかりとした理由があります。「日本書紀」「古事記」の中で、日本武尊は能褒野(のぼの)という土地で、生涯を終えたとされています。その能褒野が、このあたりとされています。そして、神社の隣に実は古墳があり、それが日本武尊の陵墓であると考えられてきたのです。実際に「本居宣長や平田篤胤ら江戸時代後期の国学者の多くが、古事記にあるヤマトタケルの能褒野(のぼの)陵墓として最有力視した。」らしいです。

 

その古墳の名前が「白鳥塚古墳」と言います。

 

白鳥塚古墳3

 

三重県下最大の帆立貝式古墳で、

・墳長78メートル後円部墳径67メートル

・墳丘高9メートル

・前方部墳長16.4メートル、幅27メートル

の大きさです。5世紀前半に築造されたとみられているそうです。

 

白鳥塚古墳4

 

左に後円部、中央・右に帆立貝式の造り出し部分(前方部)が写っています。

 

後円部には、登っていける階段が付いています。

 

白鳥塚古墳5

 

墳頂部は、このように侵入できないようになっております。

 

白鳥塚古墳2

 

墳頂部直径50m程がこのように守られています。しかし、その境目に幅1m程の平らな部分があります。

 

白鳥塚古墳1

 

そこを通って、墳頂部を一周しました。昔、歴史の教科書に出てきた本居宣長さんや平田篤胤さんも、この地を訪れ、こうやって歩いたのかもしれませんね。

 

ここを見学しても、まだ午前中。次なる第3の目的地へ‥‥‥   つづく