8月12日から、16日までの間、実家の伊勢市に帰省しておりました。その間に、いろいろなものを見たり、調べたり、食べたりしました。次期が過ぎてタイムリーでなくなった事柄もありますが、少しずつブログにアップしていこうと思っています。(その6)
前回話題にした旧「伊勢電気鉄道」の跡を一級河川宮川の方まで歩きました。たどり着いた宮川の堤防、この辺りは、春には多数の桜が咲く桜の名所(「日本さくら名所100選」に選定されています)の端になります。夏には伊勢神宮奉納全国花火大会の会場になる辺りです。そこにこんな物がありました。
「松井孫右衛門社」。「松井孫右衛門」という人名の付いた神社です。この名前に記憶はありませんが、この辺りで「人柱」になった人が居るという話を、小・中学生の頃に学んだような記憶があります。
写真の碑に「人柱堤」という文字があります。やはりそうです。当たっていました。
それでは、「人柱」となった「松井孫右衛門」というのは、どのような人だったのでしょうか。
かつて、宮川は、伊勢の地でよく水害を起こす暴れ川でした。松井孫右衛門は、地元の有力者で、私財をなげうって、地元民を使って堤防の補強に当たらせました.。本堤防から、川に向かって「はねだし堤防」という物を5本築くことにより、本堤防に当たる水勢を弱め、本堤防を守ると考えました。
ところが、工事中に大雨が降り、川が荒れることがあり、何度か失敗しました。やっと5本目のはねだし堤防が完成する頃、村人は、堤防を守るためには、「人柱」が必要であると考えるようになりました。
人柱とは、守りたい施設に生きたまま埋められ、やがてそこで命をなくします。それは、神、今回の場合は水の神の心を和らげて貰い、堤防が壊れないようにするというねらいがありました。
誰が人柱になるかという段階になり、誰もなり手が居なかったため、松井孫右衛門が申し出て、自ら人柱になったそうです。
現在神社はこのような場所にあります。
これは、本堤防の前に造ったはねだし堤防の上になります。
この物語をビデオ化された方がおり、You tubeにも投稿されていました。参考のため、ここに挙げておきます。