安倍元総理大臣が旧統一教会信者の息子に射殺された事件は、日本中を震撼させました。安倍元総理は日本を代表するような長期政権を保った首相だったからです。
彼の祖父は岸信介で、戦後日本で初めて、CIAから支援を受けた政治家でもありました。それ以来、与党自民党はアメリカからの賄賂を受け続けています。(これは国会質問で明らかな証拠が提出されています。)

そういうわけで、日本の政治屋たちは、宗主国アメリカの利益になるよう政治を長年行ってきました。

その孫にあたる安倍元総理暗殺においても、
様々な憶測が飛び交っています。

この統一教会という教団も、岸信介の時代から
戦後、対共産主義のために政治協力をし、
選挙運動などを無償協力してきたのですが、
他にも右派思想において影響力を与えたのが
「生長の家」です。
生長の家は後に、日本会議に分かれることとなり、安倍元総理など大物政治家の精神的支柱となりました。

その生長の家は、現在政治から離れています。
それは、政治が人間を尊重しなくなったからだそうです。

生長の家総裁、谷口雅宣氏は言います。

 “「うまみ」は「悪いこと」の裏返しです。昔は宗教と政治は事実上一体化していました。それで宗教はどんどん腐敗し、堕落した。キリスト教でいえば、それで宗教改革が起こり、プロテスタントが生まれました。政治と近づくと権力が手に入り、お金も入るようになる。それが「うまみ」に映っても、宗教としては一番まずいことなのではないかと思います。”
やはり、政治と宗教が絡むと
どちらも腐敗するのです。
実際に関わっている人の話は説得力があります。


さて
今日は、キリストの使徒、
ペテロの終末預言について見ていきましょう。
彼はまず、こう言っています。

[ペテロの手紙 第二 3:3、4]
まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、
こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」

つまり、終わりの時代に
キリストは再来しないじゃないか、
聖書の預言は成就しないじゃないか、という
傲慢な人たちが現れる、ということを預言しています。


[ペテロの手紙 第二 2:1]
しかし、御民の中には偽預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れます。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込むようになります。自分たちを買い取ってくださった主さえも否定し、自分たちの身に速やかな滅びを招くのです。

使徒たちの時代(紀元1世紀)にはすでに偽預言者が現れ、また偽教師も現れていました。そしてキリストや使徒たちが語らない、異端の教えを持ち込みます。
使徒たちの時代ですらそうなのですから、一体今は、どれほどに偽りの教えが語られていることでしょう。

不安な時代になると、人々は安心を求め、
中には宗教に依存する人も増えます。

それはそれなりに安心感や他者との関わりができることで良いこともあるとは思いますが、
多くの新興宗教が、世に多大な悪影響をもたらしているのもまた周知の事実です。

しかし実はそれ以上に状況は深刻です。
多くのカルト教団や、ビジネス宗教のため、人々は益々神から離れていくからです。

不必要な金品の要求、あるいは派手なプロパガンダ、
スローガンを掲げるところ、イエス•キリストのない教え、悔い改めのない教団には警戒が必要です。

現実は、純粋な心で神を求める人が、
食い物にされている現状があるのです。
それでは救いに至るどころか、滅びに至ってしまいます。

信仰の基本は神(キリスト)と個人との関係性です。
その信仰によって他者と関わるべきなのです。

[ペテロの手紙 第二 2:2、3]
また、多くの者が彼らの放縦に倣い、彼らのせいで真理の道が悪く言われることになります。
彼らは貪欲で、うまくこしらえた話であなたがたを食い物にします。彼らに対するさばきは昔から怠りなく行われていて、彼らの滅びが遅くなることはありません。

[ペテロの手紙 第二 2:18]
彼らは、むなしいことを大げさに語り、迷いの中に生きている人々の間から現に逃げ出しつつある人たちを、肉欲と好色によって誘惑しています。

なぜ、このようなことが起こるのか、
それは、教会がサタンに最も狙われる場所だからです。

サタンはキリストの正しい教えが広まらないように
あの手この手で誘惑し、間違った教えに導いたり、
あるいは堕落させます。


[ペテロの手紙 第二 2:19]
その人たちに自由を約束しながら、自分自身は滅びの奴隷となっています。人は自分を打ち負かした人の奴隷となるのです。

一見どれほど敬虔な人に見えても、本人が「人を教会に連れてくる自分は神に対して良いことをしている」と思っていても、貪欲で、人を欺き、自分本位の偽りの教えを教えていれば、それはサタンの奴隷なのです。

知名度や地位によって人は判断しがちですが、
わたしたちはどんなことも
神の基準、すなわち聖書の基準によって
冷静に判断しなければなりません。

キリストが十字架にかけられてから、およそ2000年、
わたしたちの神に対する信仰は成長するどころか、
退化する一方です。

2000年もキリストの再来がなかったのですから、
「彼の来臨の約束はどこにあるのか。」という人が
出てくるでしょうが、神はどうしてその間、
キリストを遣わされなかったのでしょうか。

それは神が、わたしたちすべての人が悔い改め、
すなわちイエス•キリストを信じ、唯一まことの神に
立ち返り、また聖霊に従うことを望んでおられるからです。

[ペテロの手紙 第二 3:9]
主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

この信仰の堕落した終わりの時代にあって、
神の忍耐は、わたしたち多くの者を
救いに導くでしょう。

また、キリストは神のご計画を実行される方です。
それほどまでに、神とキリストは偉大なのです。

[ペテロの手紙 第二 3:15]
また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。愛する、私たちの兄弟パウロも、自分に与えられた知恵にしたがって、あなたがたに書き送ったとおりです。