現在、イスラエルがハマスというテロ組織に攻められています。戦争が起きるまでは司法改革問題で、

イスラエルの国は分断していました。


しかし戦争が起こると、ネタニヤフ首相のもと

挙国一致内閣が誕生したのです。


どうか、一日も早く戦争が終わり、

イスラエル、パレスチナ双方の人々が安全に避難できますように。



日本でも戦時中、挙国一致内閣でした。

このように、大きな戦争が起こると、

各国の政治家たちは国を挙げて一致団結します。


では、普段はどうなのかといえば、

政治についてびっくりするほど争っていたります。



「和を以て貴しとなす」

有名なことばですね。

これは聖徳太子の定めた「十七条憲法」(604年)のはじめに出て来ることばです。


日本人のアイデンティティをみごとに現しています。


その聖徳太子ですが、自らは皇太子でした、二十歳で推古天皇の摂政(国のNo.2)となり、たくさんの功績をあげられました。


このときに権威(天皇)と権力(為政者)の分離が

完成したと言われています。


推古天皇の前の崇峻天皇が蘇我馬子によって殺されました。蘇我氏と物部氏の争いがあったとき太子は四天王像を造り蘇我氏側に立って戦いました。聖徳太子は蘇我氏から妻を娶りました。その後、初の女性天皇、推古天皇の代わりに摂政として政治を司り、日本の国体を整えた偉大な人物です。


聖徳太子の功績ですが

冠位十二階

十七条憲法

四天王寺建立

法隆寺建立

などなど様々あり、


歴史の教科書でも取り扱われていそうな言葉なのですが、


聖徳太子が偉大すぎるあまり、

生まれてすぐに言葉を発した、とか

一度に10人のことばを同時に聞いた、とか

予言できた、など多くの偉人伝説があります。


これがどこまで本当かはわかりませんが、

私は、側近であった秦河勝の貢献も大きかったのではないか、と思っています。



秦河勝は秦氏の出であり、応神天皇の時代、弓月国から移り住んだネストリウス派のユダヤ人、しかも弓月君の直系子孫と考えられています。(※Wikipedia参照)



秦氏がクリスチャンであったことは、蚕ノ社を見るとわかります。

また、兵庫県赤穂市坂越の大避神社や、その近くの民家風の博物館を観ると、秦氏はユダヤ人であったことがわかるでしょう。

「大避」はダビデという意味です。



聖徳太子が建てた四天王寺は

四箇院併せて建設しました。

病院、薬局、お寺、福祉施設です。


大阪市天王寺区悲田院町は病人や身寄りのない老人に来てもらうための施設だったそうです。


この福祉施設という概念は、

仏教というよりはキリスト教に近い発想です。

秦河勝の提案だったのかもしれません。



また、十七条憲法を良く読むと

古代に作られた、素晴らしい民主主義憲法だったことがわかります。

遣隋使が「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と隋の王に出した手紙をあわせて考えると



外交姿勢は、大国中国(隋)にも対等で

内政はすべて話し合いで決める、

という自主独立な民主国家の国体を

この時代にすでに作り上げていたのです。


そのような世界的な大快挙を

聖徳太子は成しとげたのです。

 


しかも、十七条憲法は

税を取りすぎてはならない、とか

民は農業に従事する間は使ってはならない、とか

みな人は凡夫なのだ、というふうに


非常に民衆に寄り添った憲法でした。


※十七条憲法について詳しく知りたい方は

以下の動画を参照ください。





もしかしたら、現代の政治に

何かしらの不都合があって

聖徳太子の存在を無きものに

しようとしているのかもしれませんね。



中国の「隋書」には当時の天皇は男であった、

と記載されているそうで、実は聖徳太子は即位していたのではないか、という説もあります。



聖徳太子は仏教の発展に尽力された、

というのが通説で、それは間違いないのですが


全体的に見てみると、聖徳太子はむしろ、仏教だけではなく、神道やネストリウス派など優れているものはすべて取り入れた日本の国づくりをしていたように思えてなりません。


これこそが日本国の国体です。

明治政府、伊藤博文はこの十七条憲法を取り入れ、

大日本帝国憲法を制定しました。



しかし、第二次世界大戦後

この国体が破壊されてしまったのです。



それどころか

大日本帝国憲法を持ち出すと

極右とさえ、言われかねないように

戦後から刷り込まれてきたのです。


国体、国のあり方、国の成り立ち、建国の理念、

正しい歴史認識…

これらを失えば

国は滅びてしまうのです。



わたしたちはこのように

古い時代から、素晴らしい国体を持つ国であったことを忘れてはなりません。





[マタイの福音書 5:9]

 平和をつくる者は幸いです。

  その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。



キリストはこのように言われました。


私たちは

この憎悪、争いの世にあっても

平和をつくり続けなくてはなりません。



そのためには

歴史観や信仰心が不可欠です。



きっと、聖徳太子も

キリストと神を知っていたのでしょう。


いのちの君である、キリストを。




[マタイの福音書 7:21]

 わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。


[ヨハネの福音書 3:15]

それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」