私はキリストを信じる前から

どういうわけかゴスペルが好きでした。

映画「天使にラブソングを」やホイットニーヒューストンの歌がきっかけだったように思います。



ゴスペルにはポップソングにはない

何か不思議なパワーを感じていたからです。



しかし、信じていなかったので

どうしても 歌詞の内容に入り込めませんでした。



コンサートのときにはクロス(十字架)のペンダントをしたものです。

日本ではクリスチャンだけでなく

単にファッションでつけている方も多いと思います。



信じてからは、

信じていないのに十字架のペンダントをつけていたことを恥ずかしく思っています。(今は信仰によってクロスのネックレスをしています。)



それは、十字架が

イエスキリストの象徴であるだけでなく

信じる者の心の中心には

常に十字架があるからです。



イエス•キリストが十字架にかけられ、

死なれたことを

皆さんは、どのように理解しているでしょうか?



「無実の人が殺されて、可哀想」

と思っているでしょうか?



キリストを信じる者は

キリストが「わたしたちの罪のために」

十字架にかかってくださったことを知っています。



[コリント人への手紙 第一  15:3〜6]

私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。

キリストは、聖書に書いてあるとおりに、

私たちの罪のために死なれたこと、


また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、


また、ケファに現れ、

それから十二弟子に現れたことです。

その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に

現れました。その中にはすでに眠った人も何人か

いますが、大多数は今なお生き残っています。




それは旧約聖書にもたしかに

預言されていたのです。



[イザヤ書 53:8]

  虐げとさばきによって、彼は取り去られた。

  彼の時代の者で、だれが思ったことか。

  彼が私の民の背きのゆえに打たれ

  生ける者の地から絶たれたのだと。


私の民の背き、

つまりイスラエルの神への不従順のために

キリストは十字架にかけられることになったのです。



キリストご自身も

はっきり述べられています。



[マタイの福音書 20:18]

「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、


異邦人に引き渡します。嘲り、むちで打ち、十字架につけるためです。しかし、人の子は三日目によみがえります。」


キリストが肉体の形を取られて

地上に来られたのは


キリストが身代わりとなって、わたしたち全人類の代わりに神から裁きを受け、わたしたちに神への背きの罪の赦しを得させるためです。



[ルカの福音書 22:19]

それからパンを取り、感謝の祈りをささげた後これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられる、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」


食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。



キリストは罪のない方であったのに

わたしたちのために

そのいのちを犠牲にして

神へささげてくださったのです。


これが

神が遣わされたキリストの

偉大なる愛の行為でなくて何でしょうか?



神は キリストを信じるものには

キリストへの信仰により、

罪の赦しを得させてくださったのです。


それは何故かというと

キリストが神に対して完全であったからです。

キリストは神の子として

人間のかたちをとられて地上に降りて来られた方だからです。



ですから

「信じる者は救われる」

というのは本当のことなのです。





またイエス•キリストは、十字架によって

世界のあらゆる「敵意」を打ち壊されました。



[エペソ人への手紙 2:14〜16]

実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し


様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、


二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました



「二つのもの」とはイスラエル(ユダヤ人)と異邦人(それ以外の人)です。

長年の歴史の中で

ユダヤ人とクリスチャンは敵対してきました。



クリスチャンはユダヤ人をひどく迫害し、

ユダヤ人はクリスチャンを敵視していたのです。


しかし、キリストが敵意を取ってくださった

のですから、本物の信仰があれば、敵対しません。

キリストにある聖徒たちは平和を持っているのです。



にもかかわらず

人間の不信仰により

世界は争い、戦いばかりなのです。




この世は、サタンが支配しているからです。

世の中が益々腐敗していることからも

それは明らかです。




日本の軍人で第二次世界大戦の中、

連合艦隊参謀を務めた

淵田美津雄さんという方がいました。



戦後はC級戦犯として、東京裁判にかけられたのですが

愛国心にあふれ、東京裁判はおかしい、と考え

アメリカ側の日本人捕虜の取り扱いについて

調べていました。


すると、浦賀のキャンプのとある話を聞いたのです。


ある一人のアメリカ人女性が

親切に日本人捕虜の世話をしていたそうです。

そして日本人捕虜全員の心を打つほどでした。


どうしてそんなに親切にしてくださるのですか?

と問うと、

「わたしの両親が日本軍に殺されたからです」と。


そんな真逆な回答に、詳しく尋ねると

宣教師であった両親は、日本軍からスパイ容疑をかけられたそうです。


彼女の両親は

「30分だけ時間をください」

と言って祈り始めました。


「神さま、いま日本軍隊の人々が私たちの首をはねようとするのですが、どうか、彼らを赦してあげてください。この人たちが悪いのではありません。」と。


この両親は

全くキリストの心とひとつとなっていたのです。



この話に胸を打たれ、淵田さんは後日、

キリストを救い主と受け入れ、

全国に福音を伝えられたそうです。





淵田美津雄さんは

アメリカ国家にひれ伏すのではなく、


アメリカ人クリスチャンの中に見た

イエス•キリストの愛とその権威に 

心から 服されたのです。