黙示録3章17~22の概要

 

 

ラオディキアは

聖霊によらず、一般の人々の意見、

肉により運営された教会を意味します。

 

 

ラオディキアの人々は

回復の教えにとどまってはいたものの

自分は富んでいる、豊かになった、

足りないものは何もない

と思い違いをしました。

 

 

主は火で精錬された金と、

裸の恥をあらわにしないための白い衣と、

目に塗る目薬を

主から買うように言われます。

 

どんな信者も

熱心に悔い改めることが大切です。

 

どうか、主の御思いに

目が開かれますように・・・。

 

 

 

  七つの教会 ・・まとめ・・

 


ここまで見てきたとおり、

七つの教会、つまりすべての信者が

勝利を得るために

必要なことをまとめてみます。

 

 

①主への愛、兄弟への愛を持つ

エペソの教会が初めの愛を忘れ、

さばかれたのとは対照的に

フィラデルフィアは兄弟愛の教会として

主に愛されました。

 

 

②初めの教え、使徒たちの教えに戻る

パン種である異端の教えが、

またたく間に教会中に広まることは

主イエス様がおっしゃったとおりのことです。

(マタイ13:33)


肉によっては

神のみことばを理解することができないからです。

 

 

③悔い改める

人間は間違いを犯すものです。


それでも神はあわれみ深いお方ですから

悔い改める(=神の方に向きを変える)ことで

改めて赦してくださいます。


完全な方はイエス•キリストただお一人です。

 

 

④異端の教えと霊を見抜く

異端の教えと霊を見抜く力があれば、

たいていの困難は乗り切れるのです。


しかし、使徒たちの教えと

聖霊による固い信仰がなければ

多くの人は容易に惑わされてしまいます。


教会はサタンの攻撃の対象です。

どうか、すべての聖徒たちの

目が開かれますように。

 

 

⑤この世(魂のいのち)を捨て去る

この世の多くの物事はサタンの支配下にあります。

勝利者はこの地上で

天の生活をすることが求められます。


しかし、仕事をしないとか世捨て人になる、

ということを意味しません。

禁欲主義に陥ることは間違いです。(コロサイ2:23)


教会が政治権力と結び合うこと、

利得を追い求めることなどは

決してあってはいけません。


ただ主のみこころの知識を蓄え、それを実践して神に喜んでいただくことに注力できますように。

 

 

 

 3章17~22節を瞑想する

 

 

17:あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、

実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない。

 

 

■自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もない・・・キリストを得て、真理も得て

すべてを得たかのように自分を誇ること

 

■実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸である・・・そのように思うことがみじめであり、

哀れであり、貧しくて、盲目で、裸である

 

 

 

 

18:わたしはあなたに忠告する。

豊かな者となるために、

火で精錬された金をわたしから買い、

あなたの裸の恥をあらわにしないために着る

白い衣を買い、

目が見えるようになるために目に塗る

目薬を買いなさい。

 

 

■豊かな者・・・試練を通り、義の行いをし、

聖霊により真理に目が開かれる者

■火で精錬された金・・・試練により、神の性質を

纏う、それはキリストにより得られるものである

 

■裸の恥をあらわにしないために着る白い衣・・・

義となる者は肉体が滅びた後も

魂がずっと裸でいることはない。

白い衣を得るためには義の行いが必要である、

それはキリストから得られるものである


●ヨハネの黙示録 16:15

──見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩き回って、恥ずかしい姿を人々に見られることのないように、目を覚まして衣を着ている者は幸いである──


 

■目が見えるようになるために目に塗る目薬・・・

真理に目が開かれるために必要な聖霊は、

生けるキリストから得られる

つまり、生けるキリストが必要である

 

 

 

19:わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。

 

主は、神は愛する者を子として厳しく扱われる。

神の義を得るためには熱心な悔い改めが必要である。

すなわち絶え間なく十字架を持ち続けることが必要である。

 

 

 

20:見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。

だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、

彼もわたしとともに食事をする。

 

 

■戸の外に立ってたたいている・・・主の来臨が

近づいている

■わたしの声を聞いて戸を開ける・・・キリストの声を聞き、迎え入れる

 

■わたしはその人のところに入って彼とともに

食事をし、彼もわたしとともに食事をする・・・

 

食べる、食事をするということは

キリストがその人と一つとなるということ、

主がいつもその人とともにあるということを意味する

 

 

 

21:勝利を得る者を、わたしとともに

わたしの座に着かせる。

それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに

父の御座に着いたのと同じである。

 

 

■わたしの座に着かせる・・・すべての勝利者は

千年王国でキリストとともに御座に着く

 


 

 

22:耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』」

 

 

神のことばに聞き従う者は、

キリストの霊がすべての教会に告げることを聞きなさい